論語を現代語訳してみました。
述而 第七
《原文》
子在齊、聞韶三月、不知肉味。曰、不圖、爲樂之至於斯也。
《翻訳》
子〔し〕 斉〔せい〕に在〔あ〕りて、韶〔しょう〕を聞〔き〕くこと三月〔さんげつ〕、肉〔にく〕の味〔あじ〕を知〔し〕らず。曰〔にたま〕わく、図〔はか〕らざりき、楽〔がく〕を為〔な〕すの斯〔ここ〕に至〔いた〕らんとは、と。
《現代語訳》
〈あるお弟子さんがまた、次のように仰られました。〉
先師(=孔子)が斉〔せい〕の国に滞在されていたとき、韶を学ばれること三か月、あまりに没頭〔ぼっとう〕されすぎて、食したものの味すら分からなくなるほどだったようで、先師はこのことをふりかえり、次のように仰られました。
まったく、思いもしないことであったわい。楽(=琴)を究〔きわ〕めようと思ったのだが、自分の才能が至らなすぎての、と。
〈おわり〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
孔子が琴を学んだ際、次のようないい伝えが遺されています。
孔子が琴を学んだ。 孔子は10日経っても他の曲に進もうとしなったので、楽師は「他の曲に進まれてはいかがでしょう」と言った。
孔子は「この節奏の数理がまだ理解できないのです」と答えた。
その後しばらくして、楽師は「もうこの曲の数理は理解なさいました。別の曲に進まれてはいかがでしょう」と言った。
孔子は「この曲の意味がまだわからないのです」と答えた。
その後しばらくして、楽師は「もうこの曲の意味は理解なさいました。別の曲に進まれてはいかがでしょう」と言った。
孔子は「この作曲者の人柄が、まだわからないのです」と答えた。
その後しばらくして、楽師は「あなたは深く思うところがあり、心楽しく、高く望み、遠くを志すところがおありのように見受けられます」と言うと、孔子は「この作曲者の心は四方の国に王者たるもののように思われます。文王でなくて誰でしょう」と言った。
楽師は再拝して「私くしの師匠も、たしかこれを文王の琴曲だと仰いました」と言った。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考