論語を現代語訳してみました。
述而 第七
《原文》
互郷難與言。童子見。門人惑。子曰、與其進也、不與其退也、唯何甚。人絜己以進。與其絜也、不保其往也。
《翻訳》
互郷〔ごきょう〕 与〔とも〕に言〔い〕い難〔がた〕し。童子〔どうじ〕 見〔まみ〕ゆ。門人〔もんじん〕 惑〔まど〕う。子 曰〔のたま〕わく、其〔そ〕の進〔すす〕むを与〔ゆる〕し、其の退〔しりぞ〕くを与さざるに、唯〔ただ〕 何〔なん〕ぞ甚〔はなは〕だしきや。人〔ひと〕 己〔おのれ〕を絜〔いさぎよ〕くして以〔もっ〕て進む。其の絜きを与すは、其の往〔おう〕を保〔たも〕たざればなり。
《現代語訳》
互郷あたりの人は、他の地域の人と交わることがほとんどありませんでした。ところがあるとき、ひとりの童子が孔先生の下へと訪れ、面会しました。
すると、この少年が互郷あたりの出身者だったために、他のお弟子さんたちが、その童子と孔先生が面会したことに対して、困惑した表情を浮かべたのでした。
そんなお弟子さんたちを見て、孔先生が次のように仰られました。
学問の道を志すことを許し、怠〔おこた〕ってその道を外れることを許さないのが人の道だというのに、お主らのその横柄〔おうへい〕な態度は一体どういうことか。
人が率直な気持ちとなって学問に進もうとしているのだ。
そうした率直な気持ちをともにすれば、互いに抱く偏見〔へんけん〕に、こだわることすら、なくなるであろうに、と。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
この語句を語訳するにあたっては、まず『互郷』という地に関しては不明なために、ここでは「互郷あたり」とだけ訳しています。そして『往を保たざれば』については、『往』を「互いに・・・」と訳し、『保たざれば』を「こだわることはない」と訳してみました。
さて、この語句の意味としては、弟子らに対する孔子の怒りがにじみ出ています。 なにより、 "人の道" を求め学んでいるはずの弟子たちが、それを平気で裏切るような行為を犯したのですら、さずがの孔子も怒るでしょうな。
それに、志しを共にする者が、互いに学問に励む、というのが、孔子一門の最も基本的なスタイルだとも思われ、『学而第一:朋 遠方より来たり有り』のことを思えば、孔子のやるせなさみたいなものも伝わってきます。
また、徒党を組むことにおいて、もっとも注意しなければならないのが、こうした外部者への偏見や差別意識ですから、このような意識を己自身や徒党のなかに根差さないようにするためには、相当なまでに学を修める必要があるんだなあ、と感じてやみません。
とにもかくにも、自分自身は差別や偏見をしていないつもりでいても、知らず知らずのうちに差別や偏見に繋がるような言動を犯している、所詮はそんなものですからね。よくよく肝に銘じておかないとといけません(=学を修め、己を律することの本意)。
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※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考