和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:述而第七 〔11〕 吾が好む所に従わん


論語を現代語訳してみました。



述而 第七

《原文》
子曰、富而可求也、雖執鞭之士、吾亦爲之。如不可求、從吾所好。

《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、富〔とみ〕 求〔もと〕む可〔べ〕くんば、執鞭〔しつべん〕の士〔し〕と雖〔いえど〕も、吾〔われ〕も亦〔また〕 之〔これ〕を為〔な〕さん。如〔も〕し求む可からずんば、吾〔わ〕が好〔この〕む所〔ところ〕に従〔したが〕わん。




《現代語訳》


〈あるお弟子さんがさらに、次のように仰られました。〉 


先師(=孔子)はまた、次のようにも仰られていました。


〈もし仮に、祖国が〉豊かさを求め、それにこの身を投じろというのであれば、〈大国の軍隊を指揮するような重大任務ではなくとも、〉たとえそれが馬車の御者〔ぎょしゃ〕とする小さな任務であったとしても、わたしはこの任務を誠実に遂行することだろう。

しかし、〈祖国が〉豊かさを求めないというのであれば、わたしは天命のもとにしたがい、この身を投じる所存であるぞ、と。


〈つづく〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

当時では、馬車の御者は、六芸に匹敵するほどの大事な任務でしたから、このことからも、誠実に任務を果たさなければならない重要な任務だったと考えられます。しかも、もしこの任務に失敗するようなことがあれば、厳罰によって処される可能性もあるわけで、ですから孔子は、御者そのものの重要性を知りながらも、あえて、たとえ話しとして、述べたんだろうと思われます。

誤訳の「天命のもとにしたがい」の "天命" については、何か我に有らんや』とのなかで孔子が述べた内容でよろしいかと。

さて、『富を求む』の語訳についてですが、投稿日の翌日になってですが、その内容を変更してみました。変更前は単に「富を得ようとするならば…」とした語訳でしたが、その富を得ようとしているのは誰なのか、と考えたとき、これを孔子自身とするのは少し違う気がしたので、あれこれ考えるうちに、しっくりくる内容が浮かび、結果、『祖国が豊かさを求める…』という内容に変更しました。

では、そのしっくりくる理由としてですが、前述の子路の孔子へのお尋ねのなかで、『子 三軍を行らば、則ち誰と与にせん 』とあり、この一文をもって、子路の問いかけが、祖国からの依頼、すなわち国の利益のためと考え、国益とはつまり国の豊かさにつながるものと捉えた次第です。

ですから、今回の語句も前述からのつづきの内容としてまとめさせていただこうかなと思います。また、最後の天命についても、前述の顔回に語った内容にもつながってくると思われますので、尚いっそう、『祖国が豊かさを求める…』という語訳がしっくりくると思われます。(5月24日追加・変更)

ちなみに六芸のひとつ、御者について、次のような言い伝えが遺されています。
紀元前522年、宋国の華氏が騒動を起こし、宋平公の子、城〔じょう〕は鄭国へと出奔してしまう。その翌年、晋・曹・斉・衛国の援助をうけた公子・城は、11月7日になって宋国へもどるために進軍する。その道中、華豹と遭遇するが、華豹が「城や」と大呼したため、公子・城は腹を立てて引き返し、矢を弓につがえ、華豹を射殺した。それからも華豹の供の者を射殺したが、その御者を務めていた干犨〔かんしゅう〕が公子・城にむかって「自分も射殺してくれ」と願いでた。しかし公子・城は「主君に申し上げて命乞いをしてもらおう」といったが、干犨は「同乗の者と一緒に死なないのは、軍法の大罪です。早く殺してくれ」といったので、公子・城は干犨を射殺した。



※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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