論語を現代語訳してみました。
述而 第七
《原文》
子食於有喪者之側、未嘗飽也。子於是日哭、則不歌。
《翻訳》
子〔し〕 喪〔も〕 有〔あ〕る者〔もの〕の側〔かたわら〕に食〔しょく〕するとき、未〔いま〕だ嘗〔かつ〕て飽〔あ〕かず。子 是〔こ〕の日〔ひ〕に於〔お〕いて哭〔こく〕すれば、則〔すなわ〕ち歌〔うた〕わず。
《現代語訳》
〈あるお弟子さんが、次のように仰られました。〉
そういえば先師(=孔子のこと)は、喪〔も〕に服〔ふく〕されている人と食事を共にするときは、相手の心情〔しんじょう〕を思って、食べ物がのどを通らない様子でした。
また先師は、親しい人が亡くなったとの訃報〔ふほう〕があれば泣きくずれ、その日から幾日〔いくにち〕かは、ほとんどことばを述べられなくなりました。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
この語句を語訳するにあたっては、まさにその時代背景というものを深く考えなければならないと思われ、純粋なこころをもって、大切な人を失ってしまった感情に、自分をおいやらねばならないわけで、非常に語訳することの難しい語句ともいえます。
さて、そんなわけでこの時代背景というものを深く考えてみますと、現代とはちがい、父母にかぎらず、祖父や祖母、叔父や叔母、兄や姉といった年長者に対する敬いの気持ちが、想像をはるかに超えたものであったろうと私は考えています。
それは、一般の民のあいだでもおなじで、余程のことがないかぎり、こうした年長者に対してタメ口をきくようなことはなかったんだろうと信じてやみません(映画やドラマの見過ぎかな?)。ですから、当時の村々の通りなんかを歩けば、至るところから笑い声や、泣きわめく声が聞こえていたのかもしれませんし、それだけ "人間" というものが純粋だったんだろうとも思われ、 それは"気取る" という概念すらもなかったことを意味すると思われます。
ともあれ、今回の語句を語訳するうえで『歌わず』という語を「ほとんどことばを述べない」と訳した背景には、当時は現代のように「歌をうたう」と捉えるのは少しちがうんではないかと考え、そこで、日本の古今和歌集のように、自分の気持ちを歌にして伝える、という意味に近いのではないかと考えることで「親しい人が亡くなった悲しみのあまり、歌う(思いを伝える)ことすらできない心情」として訳してみた次第です。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考