10月下旬、今年二度目の沖縄へ。
わざわざ台風シーズン外して有給と予約を確保したというのに、まさかの台風接近。
関東直撃も沖縄直撃も避けなければ飛行機は欠航、とヤキモキしながら台風情報をチェックしていた。
でもそれも杞憂に終わり、25日、無事に那覇上陸。
……いや、かなり揺れたけど。
那覇空港に到着したのは18時過ぎ。
レンタカーをすぐに借りて、豊見城へ向かう。
那覇市内のビジネスホテルで宿泊予定だけれど、夕食を下手な沖縄料理屋で食べるよりも、おばあの手料理を食べたいと思った。
10ヶ月ぶりに会うおじいとおばあは相変わらず元気そうだった。
かめーかめー攻撃に、早速胃薬が大活躍。
おばあちゃん、もう腹くちいわ。
21時をまわり、宿泊予定のビジネスホテルへ。
おじいんちに泊まらずビジネスホテルを選んだのはわけがあって、翌日の朝が早いから。
あまり朝早くに起こすわけにもいかないし、沖縄自動車道へのアクセスも那覇からのほうがいいので、ビジホを選んだ。
週末の混雑する国際通りを抜ける。
翌朝、26日朝5時。
まだ暗い国際通りの朝。
チェックアウトし、車を走らせる。
目指すは沖縄本島最北端、それこら最高峰。
かねてから行きたいと思っていたやんばるだ。
どれくらいかかるだろう、となかなか明けない夜を走りながら沖縄自動車道へ入る。
8時、リゾートで知られる名護市を越えて、大宜味村、国頭村へはいる。
交通量は極端に減り、レンタカーナンバーも見かけなくなった。
代わりに増えたのは軽トラ。
58号をひた走り、左手にオーシャンビュー、右手に手つかずのやんばるの山々を眺める。
道の駅で休憩をとったあと、沖縄本島最高峰・与那覇岳の登山道へ向かう。
大国林道をしばらく走るが、すれちがう車もない。
急カーブと急勾配の間に倒木が道をふさぐ。
やはり台風がきた後だからだろうか。
台風後の登山は危険だと言われたけれど、登山道入口までいってみようとは思った。
その装備もしてきたし、登山可能ならば登るつもりだった。
が、やはり林道の時点からこの状態ではさすがに恐怖を覚える。
どうにか登山道入口までは着いて、しばらく歩いてみたが、予想以上の状態の悪さに足元を取られる。
これは危険、山に詳しいわけではないけれど直感でそう感じて引き返した。
登るも登らぬも自己責任だが、ここで事故や遭難にあってしまっては大変なことになる。
仕方ないか、と原生林の木漏れ日を見上げるとノグチゲラのような鳥が飛んでいった。
オオシマゼミが鳴いていた。
登山は諦めて、近くの森林公園へ。
同じような原生林だけれど、一応人の手が入ってるので足元は悪くない。
森林セラピーロードを歩いてみると、「ハブ注意」の看板。
看板のおかげでリラックスどころか、結構ドキドキする。
でもゆっくり深呼吸、森呼吸。
酸素が気持ちいい。
はるかにかすむ潮の匂いや、木漏れ日の暖かさ。
強い風にゆれる葉音、セミと鳥の鳴き声。
目を閉じていても景色が浮かぶ。
ああ、森林セラピーってこういうことか。
呼吸を何度かくりかえし、体と心が癒されるのを感じる。
ふと目をあけると、羽根の黒いトンボがとまっていた。
これも確かやんばるの固有種だったはず、と図鑑をめくってる間にトンボは飛び去った。
山を58号にくだり、昼食のいのぶた丼を食べたあと、また北をめざす。
西からの潮風が気持ちいい。
海は大しけで、寄せては返す波が白波を描く。
クニガミドーナッツをほおばりながら走る海岸線。
走ること30分、沖縄本島最北端である辺土岬に到着した。
辺土岬の雰囲気は、北海道最東端の納沙布岬によく似ている。
海の向こうは、同じ国なんだけど違う国に感じる。
白波の向こうにかすむ与論島に、沖縄で初めての県境を感じた。
ここはもう国境じゃない、県境だ。
1972年、うちなーんちゅはどういう思いでこの岬から見える「日本」を眺めていたんだろうか。
辺土岬から国頭村の繁華街へおりていく。
途中にヤンバルクイナ展望台や茅打バンタをみながら、昼前に予約した国頭の民宿に辿り着いた。
挨拶をして荷物を置き、近くを歩いて散歩しにいこうとすると、ご主人から声をかけられる。
「ドラゴンフルーツ食べるね?」
その鮮やかな色に一瞬驚きながら、遠慮なく頂いた。
聞くと民宿の畑で作っているらしい。
幹に密着して実がなるので台風の風には飛ばされることはない。
消毒も不要、必要なのは堆肥くらいとの話を聞き、驚く。
「トイレ真っ赤になるけど驚くなよ」
カッカッと笑いながらご主人が言った。
シーサーによく似ている。
夕食はおよそ格安民宿とは思えないくらい豪華なやんばる料理だった。
美味しい、と夢中で頬張りながら、他の宿泊客との歓談が盛り上がる。
食べ終わるとご主人やおかみさんたちが加わり、そのままゆんたくへ。
客はひとり旅の人や、沖縄リピーターの夫婦、あるいは初めて沖縄にきたというカップル。
「岬のほうは風がすごかったね」
「あのドーナツは食べたか?」
「ヤンバルクイナが昨日出たんだよ」
「台風の被害がそんなになくてよかったね」
初対面だというのに、盛り上がる話に時間が過ぎるのを忘れる。
27日朝。
朝食を頂いたあと、民宿のおばあとおしゃべりをした。
朝のゆんたくだ。
沖縄の方言が消えていくこと、震災のときにうちなーんちゅができたこと、老いるのは仕方ないことだけど元気でいたいこと。
たくさん話しているうちにまた時間が過ぎるのを忘れていた。
最後に失礼承知で年齢を伺ったら、80オーバーだというので驚いた。
沖縄のおばあは本当に元気だ。
のんびりとした時間を過ごし、また高速道路を豊見城へ向かわせる。
おじいとおばあが待っている。
おみやげ話をたくさんしよう。
27日昼過ぎ、豊見城に到着した。
おじいとおばあがまた出迎えてくれた。
大叔母2人、伯母伯父夫妻が加わり一気に賑やかになる。
美味しい蕎麦屋があるとみんなで食べにでかけた。
20年ぶりに会う大叔母たちは、私が最初誰だかわからなかったらしい。
無理もない、20年という歳月がもう流れたのだ。
おしゃべりは尽きない。
見上げた空が眩しい。
夕食までの時間があるということで、来月に叔母の家の近所へ引越す予定のおじいとおばあの荷造りを手伝った。
写真が出てくる出てくるったらもう。
子供たち、家族たち、孫たち。
おじいとおばあ本人の写真はほとんどない。
でもどこかにおじいとおばあはいる。
2人がいなければここに私はいなかった。
母も叔母も伯母も、私も、いとこも、弟も、妹も、みんなみんなおじいとおばあがいなければここにいなかった。
これが2人の歴史なんだ、と思わず涙がこぼれそうになる。
夕食は日本シリーズをみながらの焼肉、そのままゆんたく。
楽天ファン、アンチ巨人、巨人ファンがそれぞれに画面に見入り、それぞれに歓声をあげている。
その間にやんばるの土産話や、関東でのこと、新しい仕事のことなどたくさん話をした。
沖縄にいるとほとんど喋りっぱなしになるから、喉がかわく。
冷たい泡盛が喉にしみる。
暖かい空気が目にしみる。
おじいとおばあは来月には引越す。
那覇の古民家を売り払ったのは10年前。
おじいが倒れ、段差の多い古民家での暮らしは困難であると豊見城のアパートに引っ越した。
あの冬、今でもよく覚えている。
「お母さん!おじいちゃんが、おじいちゃんが……」
呆然としていた母、気丈に振る舞って翌日には羽田から那覇へ経った母。
杖をついていたおじい。動かない右腕。
部屋のすみにある車椅子。
そうだ、私が介護職を志したのはおじいの力があったんだ。
どんなに辛くてもがんばろうって思えたのは、リハビリにがんばるおじいの姿があったからだ。
諦めて、それでももう一度って思えたのも多分そうだった。
おじいのため、おばあのため、それが私のため。
優しく暖かい2人にできること。
それが私自身が介護のプロになること。
沖縄最後の夜、いろんなことを考えた。
お風呂からあがり、おばあと話した。
おばあ、困ったことがあったら何でも言ってね。
これでも私、一応は介護士なんだから。
看護学校でも勉強したから。
私の結婚式まで、曽孫抱っこしてもらうまで、それいつになるかわからないけど、でも元気でいてほしいからさ。
だから元気でいてよ。
それが私の一番の幸せ。
そんなことを言えるはずもなく、ゆんたくは他愛もない世間話だった。
最近パーマをかけたこと。
今の韓国ドラマ。
京都を観光したときの思い出。
そんなごく普通でごくありふれた、そんな当たり前の積み重ねが、かけがえのない歴史と未来につながっているんだとふと思う。
28日。
沖縄を発つ。
朝食前におばあと散歩をし、それからデイサービスの準備を手伝った。
あれから10年、いろんなことがあったけれど。
おじいとおばあがこうやって頑張ってる。
私も諦めずに頑張ろう。
「一月に、介護士の国家試験受けるんだ。それ合格できたら、三人で瀬長島の温泉いこうね」
おじいとおばあに笑いながら手を振った。
「これ、交通安全の。レンタカー返してからも、飛行機乗ってからも、気をつけるんだよ」
おばあがくれたのは『ぬちまーす』。
なんだかどんな御守りより強い気がする。
だってうちなーのおばあの力が入ってるから。
おじいが笑った。
また帰ってくる、必ず帰ってくる。
おばあの握ってくれた油みそのおにぎりを食べる。
おじいの笑顔を思い出す。
さよならがいつになるかわからない。
そのとき後悔しないようにしたい。
でもおじいとおばあと一緒にやりたいことはたくさんあって。
そういうことばかりで。
だから私はきっと何時がさよならでも後悔もするんだとおもう。
悲しくて悲しくて仕方ないんだとおもう。
でも今は大丈夫。
笑っていられる。
心から笑顔でいられる。
「次こそボーイフレンドと来なさいよ」
「それは約束できないなあ」
沖縄の空はどこまでも青く。
海は限りなく澄んでいて。
でも何より美しいのはそこにいるうちなーんちゅの歴史と未来なんだとおもう。
私にとっての沖縄はやっぱり「故郷」だ。
飛行機が離陸する。
風を切って、飛び立った瞬間、私も飛び立てそうな気がした。
わざわざ台風シーズン外して有給と予約を確保したというのに、まさかの台風接近。
関東直撃も沖縄直撃も避けなければ飛行機は欠航、とヤキモキしながら台風情報をチェックしていた。
でもそれも杞憂に終わり、25日、無事に那覇上陸。
……いや、かなり揺れたけど。
那覇空港に到着したのは18時過ぎ。
レンタカーをすぐに借りて、豊見城へ向かう。
那覇市内のビジネスホテルで宿泊予定だけれど、夕食を下手な沖縄料理屋で食べるよりも、おばあの手料理を食べたいと思った。
10ヶ月ぶりに会うおじいとおばあは相変わらず元気そうだった。
かめーかめー攻撃に、早速胃薬が大活躍。
おばあちゃん、もう腹くちいわ。
21時をまわり、宿泊予定のビジネスホテルへ。
おじいんちに泊まらずビジネスホテルを選んだのはわけがあって、翌日の朝が早いから。
あまり朝早くに起こすわけにもいかないし、沖縄自動車道へのアクセスも那覇からのほうがいいので、ビジホを選んだ。
週末の混雑する国際通りを抜ける。
翌朝、26日朝5時。
まだ暗い国際通りの朝。
チェックアウトし、車を走らせる。
目指すは沖縄本島最北端、それこら最高峰。
かねてから行きたいと思っていたやんばるだ。
どれくらいかかるだろう、となかなか明けない夜を走りながら沖縄自動車道へ入る。
8時、リゾートで知られる名護市を越えて、大宜味村、国頭村へはいる。
交通量は極端に減り、レンタカーナンバーも見かけなくなった。
代わりに増えたのは軽トラ。
58号をひた走り、左手にオーシャンビュー、右手に手つかずのやんばるの山々を眺める。
道の駅で休憩をとったあと、沖縄本島最高峰・与那覇岳の登山道へ向かう。
大国林道をしばらく走るが、すれちがう車もない。
急カーブと急勾配の間に倒木が道をふさぐ。
やはり台風がきた後だからだろうか。
台風後の登山は危険だと言われたけれど、登山道入口までいってみようとは思った。
その装備もしてきたし、登山可能ならば登るつもりだった。
が、やはり林道の時点からこの状態ではさすがに恐怖を覚える。
どうにか登山道入口までは着いて、しばらく歩いてみたが、予想以上の状態の悪さに足元を取られる。
これは危険、山に詳しいわけではないけれど直感でそう感じて引き返した。
登るも登らぬも自己責任だが、ここで事故や遭難にあってしまっては大変なことになる。
仕方ないか、と原生林の木漏れ日を見上げるとノグチゲラのような鳥が飛んでいった。
オオシマゼミが鳴いていた。
登山は諦めて、近くの森林公園へ。
同じような原生林だけれど、一応人の手が入ってるので足元は悪くない。
森林セラピーロードを歩いてみると、「ハブ注意」の看板。
看板のおかげでリラックスどころか、結構ドキドキする。
でもゆっくり深呼吸、森呼吸。
酸素が気持ちいい。
はるかにかすむ潮の匂いや、木漏れ日の暖かさ。
強い風にゆれる葉音、セミと鳥の鳴き声。
目を閉じていても景色が浮かぶ。
ああ、森林セラピーってこういうことか。
呼吸を何度かくりかえし、体と心が癒されるのを感じる。
ふと目をあけると、羽根の黒いトンボがとまっていた。
これも確かやんばるの固有種だったはず、と図鑑をめくってる間にトンボは飛び去った。
山を58号にくだり、昼食のいのぶた丼を食べたあと、また北をめざす。
西からの潮風が気持ちいい。
海は大しけで、寄せては返す波が白波を描く。
クニガミドーナッツをほおばりながら走る海岸線。
走ること30分、沖縄本島最北端である辺土岬に到着した。
辺土岬の雰囲気は、北海道最東端の納沙布岬によく似ている。
海の向こうは、同じ国なんだけど違う国に感じる。
白波の向こうにかすむ与論島に、沖縄で初めての県境を感じた。
ここはもう国境じゃない、県境だ。
1972年、うちなーんちゅはどういう思いでこの岬から見える「日本」を眺めていたんだろうか。
辺土岬から国頭村の繁華街へおりていく。
途中にヤンバルクイナ展望台や茅打バンタをみながら、昼前に予約した国頭の民宿に辿り着いた。
挨拶をして荷物を置き、近くを歩いて散歩しにいこうとすると、ご主人から声をかけられる。
「ドラゴンフルーツ食べるね?」
その鮮やかな色に一瞬驚きながら、遠慮なく頂いた。
聞くと民宿の畑で作っているらしい。
幹に密着して実がなるので台風の風には飛ばされることはない。
消毒も不要、必要なのは堆肥くらいとの話を聞き、驚く。
「トイレ真っ赤になるけど驚くなよ」
カッカッと笑いながらご主人が言った。
シーサーによく似ている。
夕食はおよそ格安民宿とは思えないくらい豪華なやんばる料理だった。
美味しい、と夢中で頬張りながら、他の宿泊客との歓談が盛り上がる。
食べ終わるとご主人やおかみさんたちが加わり、そのままゆんたくへ。
客はひとり旅の人や、沖縄リピーターの夫婦、あるいは初めて沖縄にきたというカップル。
「岬のほうは風がすごかったね」
「あのドーナツは食べたか?」
「ヤンバルクイナが昨日出たんだよ」
「台風の被害がそんなになくてよかったね」
初対面だというのに、盛り上がる話に時間が過ぎるのを忘れる。
27日朝。
朝食を頂いたあと、民宿のおばあとおしゃべりをした。
朝のゆんたくだ。
沖縄の方言が消えていくこと、震災のときにうちなーんちゅができたこと、老いるのは仕方ないことだけど元気でいたいこと。
たくさん話しているうちにまた時間が過ぎるのを忘れていた。
最後に失礼承知で年齢を伺ったら、80オーバーだというので驚いた。
沖縄のおばあは本当に元気だ。
のんびりとした時間を過ごし、また高速道路を豊見城へ向かわせる。
おじいとおばあが待っている。
おみやげ話をたくさんしよう。
27日昼過ぎ、豊見城に到着した。
おじいとおばあがまた出迎えてくれた。
大叔母2人、伯母伯父夫妻が加わり一気に賑やかになる。
美味しい蕎麦屋があるとみんなで食べにでかけた。
20年ぶりに会う大叔母たちは、私が最初誰だかわからなかったらしい。
無理もない、20年という歳月がもう流れたのだ。
おしゃべりは尽きない。
見上げた空が眩しい。
夕食までの時間があるということで、来月に叔母の家の近所へ引越す予定のおじいとおばあの荷造りを手伝った。
写真が出てくる出てくるったらもう。
子供たち、家族たち、孫たち。
おじいとおばあ本人の写真はほとんどない。
でもどこかにおじいとおばあはいる。
2人がいなければここに私はいなかった。
母も叔母も伯母も、私も、いとこも、弟も、妹も、みんなみんなおじいとおばあがいなければここにいなかった。
これが2人の歴史なんだ、と思わず涙がこぼれそうになる。
夕食は日本シリーズをみながらの焼肉、そのままゆんたく。
楽天ファン、アンチ巨人、巨人ファンがそれぞれに画面に見入り、それぞれに歓声をあげている。
その間にやんばるの土産話や、関東でのこと、新しい仕事のことなどたくさん話をした。
沖縄にいるとほとんど喋りっぱなしになるから、喉がかわく。
冷たい泡盛が喉にしみる。
暖かい空気が目にしみる。
おじいとおばあは来月には引越す。
那覇の古民家を売り払ったのは10年前。
おじいが倒れ、段差の多い古民家での暮らしは困難であると豊見城のアパートに引っ越した。
あの冬、今でもよく覚えている。
「お母さん!おじいちゃんが、おじいちゃんが……」
呆然としていた母、気丈に振る舞って翌日には羽田から那覇へ経った母。
杖をついていたおじい。動かない右腕。
部屋のすみにある車椅子。
そうだ、私が介護職を志したのはおじいの力があったんだ。
どんなに辛くてもがんばろうって思えたのは、リハビリにがんばるおじいの姿があったからだ。
諦めて、それでももう一度って思えたのも多分そうだった。
おじいのため、おばあのため、それが私のため。
優しく暖かい2人にできること。
それが私自身が介護のプロになること。
沖縄最後の夜、いろんなことを考えた。
お風呂からあがり、おばあと話した。
おばあ、困ったことがあったら何でも言ってね。
これでも私、一応は介護士なんだから。
看護学校でも勉強したから。
私の結婚式まで、曽孫抱っこしてもらうまで、それいつになるかわからないけど、でも元気でいてほしいからさ。
だから元気でいてよ。
それが私の一番の幸せ。
そんなことを言えるはずもなく、ゆんたくは他愛もない世間話だった。
最近パーマをかけたこと。
今の韓国ドラマ。
京都を観光したときの思い出。
そんなごく普通でごくありふれた、そんな当たり前の積み重ねが、かけがえのない歴史と未来につながっているんだとふと思う。
28日。
沖縄を発つ。
朝食前におばあと散歩をし、それからデイサービスの準備を手伝った。
あれから10年、いろんなことがあったけれど。
おじいとおばあがこうやって頑張ってる。
私も諦めずに頑張ろう。
「一月に、介護士の国家試験受けるんだ。それ合格できたら、三人で瀬長島の温泉いこうね」
おじいとおばあに笑いながら手を振った。
「これ、交通安全の。レンタカー返してからも、飛行機乗ってからも、気をつけるんだよ」
おばあがくれたのは『ぬちまーす』。
なんだかどんな御守りより強い気がする。
だってうちなーのおばあの力が入ってるから。
おじいが笑った。
また帰ってくる、必ず帰ってくる。
おばあの握ってくれた油みそのおにぎりを食べる。
おじいの笑顔を思い出す。
さよならがいつになるかわからない。
そのとき後悔しないようにしたい。
でもおじいとおばあと一緒にやりたいことはたくさんあって。
そういうことばかりで。
だから私はきっと何時がさよならでも後悔もするんだとおもう。
悲しくて悲しくて仕方ないんだとおもう。
でも今は大丈夫。
笑っていられる。
心から笑顔でいられる。
「次こそボーイフレンドと来なさいよ」
「それは約束できないなあ」
沖縄の空はどこまでも青く。
海は限りなく澄んでいて。
でも何より美しいのはそこにいるうちなーんちゅの歴史と未来なんだとおもう。
私にとっての沖縄はやっぱり「故郷」だ。
飛行機が離陸する。
風を切って、飛び立った瞬間、私も飛び立てそうな気がした。
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