妄想ジャンキー。202x

人生はネタだらけ、と書き続けてはや20年以上が経ちました。

【ショートショート】足音

2024-11-27 10:18:00 | 物書き
小学校3年生の頃、体育の授業が大嫌いだった。
中でもマラソンが大嫌いの中でも特に大嫌いだった。
今日はマラソンの練習がありますなんて予告されようものなら、前日に水風呂に入って風邪をひこうとした。
授業ですら嫌で嫌で仕方がないのだから、練習などミリともしたくない。

そんな大嫌いなマラソンの練習につき合わせたのがミカちゃんだった。
だからか、私はミカちゃんにちょっと、いや、かなりムカついついた。

走るのが大好きですらりと手足の長いミカちゃんと、本を読むのが大好きで鈍くさいヒロちゃん。
共通点なんてどこにもないはずなのに、苗字の順が前後しているというだけで強制的に友達になってしまう。
友達のはじまりなんて案外そんなものだ。
別に友達にならなくてはいけないわけでもない。
なんだったら友達をやめることだって問題はない。
そんなこと今ならわかるのだけれど、小学生当時、世界の大部分は『友達』が占めていた。

ミカちゃんはいつも強気だった。
宿題のページを私は連絡帳にメモをしていたけれど、ミカちゃんは頭のメモが正しいと言い張った。
それで翌日になれば、「なんで正しいこと教えてくれないの」と今度は責めてきた。
私もそれなりの主張をしたけれど、ミカちゃんは聞く耳を持ってくれなかった。
だから私がいかにマラソンが嫌いかを説明しても、絶対に自分を曲げようとしなかった。

ならば作戦を変えよう、とミカちゃんがマラソンを好きなのと同じくらい、私は本を読むのが好きなんだ、と言ってみたがだめだった。
「走りながら読めばいいじゃん」と無理を言う。
馬鹿を言うな、歩きながら読むならまだしも、走りながらなんて──と試しに一度やってみたけれど、用水路に落ちそうになってやめた。

一度だけ、どうして私なの、と聞いたことがある。
「それはヒロちゃんが友達だからだよ」
友達。
それを言われたら何も言い返せないじゃないか。
「……でも私は走るのいやなの!」
「いやなの?友達と走るの」
「ミカちゃんは友達だけど。走るのは嫌なの」
「なんだ、友達ならよかった」
と強気な女は笑いながら靴紐を結び直す。

人間よりも、蛙と蝉の方が多いんじゃないかと思える世界。
春も夏も秋も冬も、マキちゃんと私は世界を走り抜けた。
息を切らした後に思い切り深呼吸をすると、雨上がりの湿った空気が肺中に広がる。
それから高台の公園で水を飲む。
坂の下の街は夕焼け色にそまる。
川縁から大きな虹が街をまたいでいた。
見て、虹だよ、とミカちゃんが私を呼ぶ。

「ミカちゃんはさ、なんでそんなに走るの好きなの?」
「なんでだろ、わかんない」
「ふぅん」
私もミカちゃんて本当に友達なのかな。
むかつくし、話聞かないし、意味わからないし。
でもな、なんでだろう。
嫌いにはなれないんだよな。
そういうのが友達なのかな、と何度か一人で頷いた。

「帰ろうか」
「うん」
そこからは歩いて坂を下る。
一歩ずつ、一歩ずつ足音を踏み鳴らす帰り道。
他愛のない話をした。
それはその日眠ってしまえば忘れてしまうような、それでも毎日を輝かせる小さな宝物。
このときだけ、私はこの自我の強い女と喜びを分かち合って、弱さを補い合っていた。
一緒にいる時間が愛おしく感じていた。

小学校を卒業して以来、ミカちゃんとは会っていない。
中学校の学区は別だった。
高校も隣県の私立に行ったらしい。
お父さんとお母さんが離婚して名前が変わったとか、陸上競技でインターハイに出たとか。
ヤンキーの先輩との間に子どもができて、高校を中退したとか。
しょうもない噂だから確かめようがないのだけれど、これ全部本当だとしたらずいぶん波乱万丈な人生なんだなあと驚いてしまう。
あの子のことだから有り得なくもないよな、と彼女の顔を思い出す。

平成も30年を過ぎて彼女の噂をきくこともだいぶ少なくなり、思いだす機会自体も減った。
二人で虹を見た公園には巨大な物流センターができた。
広い世界の真ん中に高速道路のインターチェンジが置かれて、トラックが走りまわっている。

強気で自我の強いわがままなあの子と、言いたいことも上手に言えない私。
2人は並ぶ足音を踏み鳴らしながら、輝く宝物を探していたのかもしれない。
もう2度と手に入ることのない、少女時代の宝物。

来週の今頃、私はこの関東平野の寒い田舎町にはいない。
新天地でも友達できるかな、なんて年甲斐もないことを呟きそうになって飲み込んだ。
「歳とっちゃったな」
ずいぶん遠くまで歩いてきたんだな。
あのころ夢見てた未来はそれほど離れてはいない場所にある。
それでも、今という時代はそれほど悪くはない。
少し滲んだ涙をぬぐって、私は靴ひもを結びなおす。
足音があの子に聞こえるように、また走り出す。

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