大学時代に好きだった男が夢に出た朝、目覚めは最悪だった。
酒を飲んだわけでもないのに、二日酔いのような吐き気が込み上げてきた。
浩一とは大学のゼミで知り合った。
19歳、冬が終わりかけた時期に何かの拍子で好きになった。
きっかけ自体は覚えていない。
メンタル少し弱っていたときに優しい言葉をかけてくれたとかそんなもんだった気はする。
基本的にはいわゆるバカ話ばかりだけれども、たまに真剣な話もした。
普段はおちゃらけているくせに、真面目な話をする横顔はやけにカッコよく見えた。
しっかりとした芯を持ちながらも、危うさのある魅力的な男に見えたのだ。
2人で過ごす時間が長くなり、自然と好きになっていたし、彼も私のこと悪いとは思っていなかったと思う。
帰り道は待ち合わせて駅まで歩いた。
九段下の夜桜が美しい季節。
夜の首都高をドライブし、レインボーブリッジを眺める。
神宮球場でナイター観戦をしては大騒ぎをしていた。
東京湾の花火大会も観に行った。
男女の関係こそなかったが、付き合ってるカップルがやるようなことを、付き合う前の私たちはしていた。
浩一と過ごす東京の夜は、それはもうとても楽しく、毎日がイルミネーションのように輝いていた。
軽く酔っぱらったときのような、楽しい高揚感。
だからきっと私判断を誤ったのだと思う。
失恋をしたのは、ちょうど1年くらい経った、神宮外苑の銀杏並木が輝く季節だった。
いつものように渋谷駅近くの居酒屋で2人で飲んだあと、井の頭通りを並んで歩く。
手が触れてしまいそうな距離。
いっそのこと触れてしまいたい。
そんな酔いに任せて想いを告げた。
「ごめん」
浩一の言葉で一気に酔いが覚めた。
甘く楽しい、恋の酔い。
「ごめん」
彼はそれしか言わなかった。
渋谷駅で別れたときも、最後まで
「ごめん」
それ言わなかった。
急に冷たい風が吹いて、またひとつ季節が変わった。
後日、いくつかの噂話を聞いた。
同じゼミの後輩と付き合っていると。
いつのまにと、どうしてあの子と、と疑問に思わないわけではなかったが、そこを深く考えるにはあまりにダメージが大きすぎた。
正直なところ、怒っていたのだ。
浩一本人に対する怒りも多少はあったが、それ以上に勘違いしていた自分自身が恥ずかしくて情けなくて、怒っていた。
怒りながら、泣いていた。
記憶はそこで止まっている。
それから15年以上経った初冬。
夢の中で私は浩一に恋をしていた。
現実には一切ありえないのだけれど、潜在意識の中ではまた好きになってるとでも言うのか。
起きた瞬間の気分は今年一番に最悪。
どうして今更浩一の夢なんて……と思いつつも、すぐに現実に引き戻された。
慌ただしく夫と子供を見送り、ダイニングテーブルの上の食器をシンクに運ぶ。
泡をつけて水で流す。
消えていく泡を眺めていると、突然巨大な感情が爆発した
「あのクソ野郎マジでありえねえだろ!」
思わず口に出していた。
自分の語気の強さに驚いた。
15年前井の頭通りで言いたかったことが、今になって込み上げてきたのだ。
なんで何とも思ってない女と、夜の首都高ドライブする?
買ったばかりのマイカーの助手席に乗せて?
花火大会見にいく?
何とも思ってない女とそういうことすんなよ。
勘違いするに決まってるじゃん。
その気がないなら、デートみたいなことすんなよ。
つかこっちから告らなかったら、どうするつもりだったんだよ。
あのごめんってどういう意味だったんだよ、説明しろよ。
「謝ってチャラにするとかふざけんなハゲ!」
口にしながら、少し視界が滲んだ。
違う。
泣いてなんかいない。
泡が跳ねて目に入っただけだ。
だって15年前あんなに泣いたじゃないか。
全部チャラにしたじゃないか。
楽しかった思い出を全部なかったことにしたじゃないか。
九段下の夜桜も、レインボーブリッジの夜景も、神宮球場のナイターも、東京湾の花火も、全部。
忘れたはずなのに結構覚えてるもんだな、と自分に対しての気持ち悪さが込み上げる。
やはり、浩一は優しいお酒のような男で、並んで過ごした日々は酔っ払っていたようなものだったんだろう。
気持ち悪いことには変わりがないけれど。
もう決して届かない、15年前への怒り。
忘れてしまいたいけど、完全に忘れられない。
酔いから覚めた気持ち悪さだけが残る。
今は少しだけ願わせてほしい。
どうか小太りになって頭髪も薄くなっていてほしい。
加齢臭なんかもしていてほしい。
あの頃の横顔なんて嘘みたいな、ちょっとカッコ悪いおじさんになっていてほしい。
それで、少し酔っぱらってよろけて、箪笥の角に小指ぶつけてちょっと痛がっていて欲しい。
ちょっとでいい。
ちょっと痛い程度でいい。
ちょっと痛い程度でいい。
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