妄想ジャンキー。202x

人生はネタだらけ、と書き続けてはや20年以上が経ちました。

ゆいまーる

2012-07-06 18:27:16 | 沖縄
羽田空港はあんなにテンションあがるのに、那覇空港はいつもセンチメンタルな気分になる。
沖縄限定土産に目もくれず、手荷物を預けたら空いてるベンチに座り込んで一息つく。
ずっと堪えていた涙が出そうになるのは、気が少し緩んだせいか、それとも眩しい西日のせいか、あるいは私の中のウチナーンチュの血が流れ出してるのか。


この26年間、どんなに間が空いても2年に1回は来沖していた。
母が一緒のときもあったし、春に来たときもあった。
でもいつも思い出すのは、初めて1人で飛行機に乗って那覇へ着いた20年前。
――もう20年も前になるのか。
20年も経てば、私も両親も祖父母も歳をとる。
あれからいろんなことがあった。
時の流れの残酷さがしみわたる。


今回の来沖の目的は3つあった。
1つは、純粋に気分転換。
2つは、おじいとおばあに元気な顔を見せるため。
3つは、転地療養の場としての足掛かりを探すため。

気分転換にはなった。
青い空に美しい海、神々しい遺跡を眺めていたら自分のちっぽけさを知った。
ゆいまーるの精神に触れて、自分が出来そうにないことは助け合う、そんな当たり前のようなでも忘れていたようなことに気付いた。
今の私には出来ないことがたくさんあるけれど、それでも出来ることをして生きていこうと思った。
苦しみや悲しみを受け入れ、これまでの生き方を省みて、きちんと歩いていこう、と。


おじいとおばあは優しかった。
昨晩のゆんたくの場でその優しさに思わず涙が出そうになった。
でも絶対に泣かない、そう誓っていたから、泣かなかった。
学校を休んでることは伝わっていたが、病院にかかって薬に頼っていることは絶対に漏れないようにしていた。
それでも祖父母は全てを見透かしたように
「もう勉強しなくていいから、健康になりなさい」
「いろんな生き方がある、いろんな幸せがある」
その言葉1つ1つに奥歯を噛み締めて涙を堪えた。
疲れやすいことや体格の変化はやはり少し心配をかけてしまったようだ。
「学校休んでるのは病気じゃないんだね?」
と聞かれた。
「病気じゃないよ」
うん、病気じゃない。
多分ちょっと運やいろんなタイミングが悪かっただけ。
薬もいつか手放せるし、元気に働いて、素敵な旦那さんと結婚して、私の幸せを感じるときはいつか来る。
そう思い聞かせているうちに、今はそれが本当のことのように思える。


沖縄の自然は全てを受け入れてくれる。
そんな気がした。
海も空も風も、私の生を許してくれる。
生きていける。


まだ帰りたくないと思うと同時に、早く埼玉の家族に会いたい気持ちもある。
家族。
私の居場所。
沖縄へ行くことに悩んでいた私の背中を押してくれた家族。
私には居場所がある。
帰ったら、ありがとうと言おう。
それから、きちんと前を向くことを誓う。

年内にまた来沖することになる。
今度はもっと長い時間、おじいとおばあと一緒に過ごしたい。
今度はもう心配をかけない。
ゆんたくは涙を堪えたりしないで、きちんと笑いたい。
北部や宮古にも行くんだ。
たくさんたくさん思い出を作るんだ。



那覇空港の展望デッキで涙がとまらない。
悲しいとか悔しいとかじゃなくて、どれかって言うなら嬉しいに近い。
正直とても不安だった。
泣かずにいられるか、抑鬱にならずにいられるか、おじいの手伝いができるか、おばあのご飯を食べられるか、二人と一緒にきちんと笑えるか。
でも大丈夫だった。
たくさんのゆいまーるに囲まれて、私は生きている。
これからも生きていく。
「私大丈夫だ、生きていける」
生きていける。
それがこんなに嬉しいことだなんて。



学校のこと、仕事のこと。
まだ問題は山積みだけど。
でも前に進む。
生きていく。

南の国の、空と海と人に誓う。

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