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日々の雑記

俗と非俗の狭間で自分を大事にしすぎない

2021-03-10 20:58:00 | 日記
仏教的な記事が多くなってしまって申し訳ないですが、わかりやすい仏教というものには注意が必要です。

最近では酒を飲んだり、俗化してる僧侶の方もいます。
世俗の方と同じことをすることで身近に感じてもらうというような理由を挙げる僧侶の人を見たことがある。
だとしたら、わざわざ仏教徒でなくカウンセラーにでもなれば良いのであって、仏教に限らず宗教にとって身近さというのは必要なことではないと思っております。

宗教家の方達は我々世俗の人とは全く別の尺度で社会と関係すらから価値があるんであって、我々の中に入ってきて同じような目線で同じように語るならただの人です。
言うなればお金も地位も名誉も度外視して別の立場から意見を言うことができるから価値がある。それは我々世俗の人間にはできませんが宗教家には言う権利がある。
世俗の人間がお金なんていらないというのは無理がありますが、宗教家がお金など幻想だと言うのは別に構わない。

最近というかここ数年流行ってきたテーラワーダのような上座部仏教は分かりやすいのです。科学っぽいものを導入してみたり、論理構造が単純明快です。内容が簡単なのではなく、誰でもわかったと思うことができる。

しかし、結局上座部ではうまくいかなかったから大乗ができたのだろう。
結局上座部では悟れなかったからだ。

最近無常を感じるようなニュースを見た。
某経営者が事故を起こし被害者は植物状態になるということがあったそう。
親は今でも植物状態の息子を介護している傍らでは経営者として意気揚々と生きる人がいる。
しかし10年前のことで、もう刑事罰も受けて賠償金も払っている。
これは難しい話だなと思った。
これからも介護は続くのだろう。一方で罰を受け終えた人は何事もなかったかのようにまた社会で成功者として大手を振って生きていく。
もう罰を受けたのだから責めてはいけないというのも分かる。逆に被害者の方はあまりにもやり切れないだろうなという気持ちも。

何が起こるか分からないし、物事は非対称だ。
被害者が失ったものと同等のものを加害者が失うわけではない。
色々と考えさせられたなぁ。