旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

最上海道(軽井沢越)を歩いた

2010-06-06 23:41:56 | 宮城県の山
最上海道研究会のイベントに便乗させていただき、宮城県と山形県を結ぶ古道を歩いてきた。その距離約14km。山越えのこの長さはケッコウしんどい。




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最上海道(軽井沢越)は、続日本紀によれば天平9年(737年)陸奥国按察使兼鎮守府将軍大野東人(おおのあずまびと)が、多賀城と出羽国を結ぶ軍用路として開鑿(かいさく)したとされている。

以来、軍路、交易路、そして出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)詣での路として利用された。幕末から明治初期にかけては、かなりの往来があったらしい。

しかしその後は衰退が激しかったことから、明治9年(1876年)には、宮城時亮(みやぎときすけ)宮城県令宛てに、野蒜築港と酒田港を結ぶ新道開削の嘆願書が宮城県側の住民から提出されている。

この海道は、「奥州仙台領遠見記(宝暦11年(1761年))によれば、起点を吉岡(現在の宮城県黒川郡大和町吉岡)に置き、軽井沢(現在の宮城県加美郡加美町軽井沢)を経て出羽国上ノ畑(現在の山形県尾花沢市上ノ畑(かみのはた))までとなっている。

また、色麻を通るものと、中新田で出羽街道から別れて小野田に向かう道の二通りがあったという。

  <距離>
    漆沢~軽井沢   二里十三丁二十五間(約9317m)
    軽井沢~御境   五丁十五間(約567m)
    軽井沢~上ノ畑  一里五丁四十間(約4539m)
                 総延長 約14.423m
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今日の天気は申し分なし。というより、快晴にちかく、暑い。
加美町小野田の「やくらい文化センター」をマイクロバスで午前8時に出発。
8時半過ぎに漆沢の山の神社からウオーキングを開始。







(▲船形山遠望)

(▲長沼遠望)



軽井沢番所跡で昼食後、山形県側から登って来た九州大学・東北大学の研究グループと合流。

イエス・キリストの「山上の垂訓」ではないが、九州大学の服部英雄教授から調査研究の一端を教えてもらった。




   
軽井沢番所までの道は、趣きもあり手入れもされているので比較的歩きやすい。
しかし、その先の県境まではぬかるみがひどく、難儀を強いられた。

山形県側の情況に比較すると、宮城県側のこのひどさはとても残念に思える。
ここにも、「他を顧みない」と思わせてしまいそうな宮城県気質を知らされた気がする。

上ノ畑到着は午後3時半近く。
ただちに待っていたバスに乗車し、徳良湖「花笠の湯」へ移動。
温泉で汗を流し、やくらい文化センターに戻ったのが午後5時15分ころ。

初対面のわれわれ3人をあたたかく迎えてくれた、研究会の方々に心から感謝、感謝!!

今年10月の第一週には、とうほく街道会議が1泊2日の日程で加美町を会場に開催されるという。そして、参加者によるこの海道のウオーキングが予定されているとのこと。
初秋の歴史の道を大いに堪能してほしいと、願わずにはいられない。










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