旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

少しいじけた寝正月

2007-01-02 18:10:02 | キラ星の人
年末年始の休みも残すところあと一日。特段何することなく日を送っても、過ぎる時間はけっこう早く感じられる。

これまで毎年、大晦日の夜まで家の内外の掃除をし、正月はその褒美であるかのように満ち足りた思いがしたものだ。

しかし今回はまるで違う。「掃除、暖ったかくなってからやっても遅くない」「まったりと過ごす正月もあってもいいはず」などと、理屈にもならない“御託”を並べ、無為の日々を過ごしてきた。

ネコの世話も適当に・・・。そのせいかネコのほうも寝正月を決め込み、体重も増え、飼い主同様まさにメタボリック・シンドローム状態。

本来、正月とは年神を迎え豊作を祈る年初儀式で、盆とともに祖霊をまつる二大年中行事。それが、我が家においてこうであっては、今年一年が思いやられる。・・・よし!! 明日一日かけて、気を引き締め直そう・・・。(こんなことだからなお駄目か!?)


14歳で日本興業銀行に事務見習いで就職し、40年間勤務したという詩人 石垣りん(1920年~2004年) の詩の中に、次のようなものがある。

どこか今日の自分の心境のよう。


ひとり万才
                            石垣りん

新年
と言ってみたところで
それは昨日の今日なのだ。
別段のこともあるまいと
寝正月を決めれば
蒲団の衿のあたりから
新年らしいものがはいり込んできて
何となくそんな気分になってしまう。

習慣とか
しきたりとか
常識とか
それらは木や石でこしらえた家より
何倍かがっちり仕組まれていて
人間共の心の住処(すみか)になっている。

だから
正月といえば
正月らしい気分になり
今夜は是非とも良い初夢を見よう、などと
夢のような期待を
自分にかけたりする。

それ、
それほどの目出度さで
新年という
あるような
ないようなものがやってくる
地球の上の話である。

(注)
出典:『現代の詩人5 石垣りん』 発行:中央公論社 1983年(昭和58年)初版
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