世界一周した最初の日本人として知られる千石船『若宮丸』の漂流民。
今日、その漂流と船についての講演会があったので、聴講してきた。
日時:平成28年2月14日(日) 午後3時~4時半
場所:塩竈市公民館
講師:安達裕之さん(弁才船研究の第一人者)
主催:石巻若宮丸漂流民の会
<若宮丸漂流民>
寛政五年(1793)十一月、16人の乗組員を乗せた800石積弁才船「若宮丸」は石巻湊から江戸へ向かう途中、荒天の塩屋崎(福島県いわき市)沖で遭難。破損した船は太平洋を北東に流され、約5ヶ月後の寛政六年(1794)五月、16人全員がアリューシャン列島に漂着。
その後、イルクーツクを経て、帝政ロシアの首都ペテルブルグへ移動し、皇帝アレクサンドル一世にも謁見。3人が死亡、3人が病気、6人が帰化によりロシアに残留。残りの帰国を望んだ4人が、日本との交易を構想するロシア政府によって世界周航の船に乗せられ、およそ12年後、帰郷した。
帰国者:儀兵衛・多十郎(宮戸島出身) 津太夫・佐平(寒風沢島出身)
(寒風沢島に設置されている案内板にある図)
講演の内容は、主に若宮丸と同型の弁才船に関すること。
その構造と操船について、日本各地に残る大型絵馬などを示しながら教えていただいた。
何事もそうだが、「参加しなければゼロ、すればプラス」になるというもの。
なおいっそう千石船や漂流への興味・関心が増してきた。
(弁才船の舵)
(大阪河口を出る弁才船)
(荒天をしのぐ弁才船)
今日、その漂流と船についての講演会があったので、聴講してきた。
日時:平成28年2月14日(日) 午後3時~4時半
場所:塩竈市公民館
講師:安達裕之さん(弁才船研究の第一人者)
主催:石巻若宮丸漂流民の会
<若宮丸漂流民>
寛政五年(1793)十一月、16人の乗組員を乗せた800石積弁才船「若宮丸」は石巻湊から江戸へ向かう途中、荒天の塩屋崎(福島県いわき市)沖で遭難。破損した船は太平洋を北東に流され、約5ヶ月後の寛政六年(1794)五月、16人全員がアリューシャン列島に漂着。
その後、イルクーツクを経て、帝政ロシアの首都ペテルブルグへ移動し、皇帝アレクサンドル一世にも謁見。3人が死亡、3人が病気、6人が帰化によりロシアに残留。残りの帰国を望んだ4人が、日本との交易を構想するロシア政府によって世界周航の船に乗せられ、およそ12年後、帰郷した。
帰国者:儀兵衛・多十郎(宮戸島出身) 津太夫・佐平(寒風沢島出身)
(寒風沢島に設置されている案内板にある図)
講演の内容は、主に若宮丸と同型の弁才船に関すること。
その構造と操船について、日本各地に残る大型絵馬などを示しながら教えていただいた。
何事もそうだが、「参加しなければゼロ、すればプラス」になるというもの。
なおいっそう千石船や漂流への興味・関心が増してきた。
(弁才船の舵)
(大阪河口を出る弁才船)
(荒天をしのぐ弁才船)
拙ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
儀兵衛の墓は観音寺に移されているようですが、お寺には行っても私はいまだ目にしていませんでしたので、今度は確認してこようと思っています。
元の墓所近くのオロシア漂流記念碑前では、漂流された人たちに思いを馳せながら海原を眺めたことが何度かあります。
大震災・津波・・・無念でなりません。でも、前に向かって進むしかありませんよね。
鎖国していた江戸時代によくぞ帰ってこれたと関心してました。
最近のブログで不老山や鷺巣森の画像見ましたが、震災で洗われた岩肌や嵩上げ工事で変わり行く砂浜を見て故郷の変貌に心が痛くなりました。