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旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

明治潜穴と新・吉田川の整備で消えた小川閘門(水門)

2011-02-18 22:07:38 | 水の道逍遥
元禄時代に品井沼を干拓し、新田開発を推し進めるために設置された小川閘門(水門)。やっとその場所を把握することができた。

大崎市鹿島台と松島町との境界上に位置している。


この閘門は、品井沼の水を小川(こがわ)を通じて鳴瀬川に抜くために4本の潜穴(水路トンネル)とともに設置されたもの(4枚扉)。

明治時代にも改修されている。
このとき扉は8枚になった。

その後、明治潜穴の開削がなされ、品井沼の水が高城川を通じて松島湾に注ぐようになってその役割を終え、大正2年に扉は取り外されている(今は鹿島台小学校の校門扉となっている)。

そして吉田川が幡谷サイフォンを越えて、鳴瀬川に沿って石巻湾側に開削されていく中で堤防(背割堤)が造られ、その姿を消していった。

 
ここまでいろいろな方々から情報提供を受けた。

昨日は、国土交通省東北地方整備局北上川下流河川事務所のMさんに、数ある所持資料の中から「小川水門」の文字を見出し、鎌田三之助展示室(鎌田記念ホール)が所蔵している資料に表示されているということを教えていただいた。

皆さんには本当に感謝!! 感謝!!


近日中にこれら一連のものを整理し、『品井沼干拓300年-元禄潜穴・明治潜穴・わらじ村長鎌田三之助』の中で取りまとめたいと思っている。



▲鎌田三之助展示室の資料:左が全図、右は閘門(水門)の文字等のある部分を拡大


▲現在の地図に表示:青線は昔は小川だったところ


▲新吉田川の対岸側から見た小川閘門があった場所(中央のクレーンのあるあたり)
山をくりぬき4本の水路トンネルを掘り、鳴瀬川側に扉を取り付けた。


▲小川閘門があった場所(新吉田川の堤防)から見た鳴瀬川への合流点



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