旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

大学の庭で(その1)

2006-07-03 02:01:50 | 地域魅力
東北大学農学部の構内を歩くと様々な歴史に会える。

 「えッ、何で?」という代表格が“粟野観音”。





 大きな石の上に鎮座するこの観音様は、とても優しげで涼やかな面持ちをしている。すぐ傍らが交通量の多い北六番町の通りにも関わらず、ヒマラヤシーダと黒松の混在する一角のそこだけは静寂な空間を形成しているのである。



 石碑板に刻まれた説明文は次のような内容である。長いが全文を記載する。

 この観音像は二高名誉教授粟野健次郎先生の記念像である。先生は元治元年一関藩士の家に生まれ、明治二十年弱冠二十三歳で新設の第一高等中学校教授に任ぜられ、ついで明治二十五年第二高等中学校教授に迎えられた。爾来昭和七年に至るまで実に四十一年の長きにわたって、一路二高で英語を教え、その間無類の学識、卓抜な警句、超俗の風格をもって幾千の二高生を傾倒せしめ、全二高生の敬慕の的であった。先生の致仕に際し、同窓会員は先生の肖像を造ってその功績を長く後世に顕彰しようとしたが、世の名聞に恬淡たる先生は自己の像を遺すことを許されなかった。よって知識と慈愛の権化たる観音像をもってこれに代えることにし、帝展審査員国方林三に嘱して、中宮寺如意輪観音を模した観音像を造って校庭に安置した。台石には荒巻山屋敷産の重量一万貫の巨石を選び、二高の校風である雄大剛健の意をあらわした。二高生はこれを粟野観音と愛称、朝夕先生を偲んだ。戦後二高の三神峯移転、教養部の川内移転に伴って三神峯、川内に移されたが、昭和五十三年十月最初の位置に復した。 
                 昭和五六年十月二高創立九十五周年
                 記念事業の一つとしてその由来をしるす
                        第二高等学校尚志同好会



 この地に学び、巣立っていった多くの学生に、かくも影響を与えた人物がいた。それも、“知識と慈愛の権化たる観音像をもってこれに代える”人物である。

 きっと、活気にはやる学生達は、構内を歩きながら口角泡を飛ばし、議論をしていただろう。それを眺めながら粟野先生は、困難な時代に立ち向かわなければならない学生達に深い思いやりと励ましの心をもって、時に厳しく、時に優しく接していたに違いない。

         夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡    松尾芭蕉

 この句の背景と、粟野観音像のそれとはまるで異なっていることは分かっていても、ここに立つとなぜかそうした思いにさせられてしまう。そういう不思議な場でもある。





(参考)
第二高等学校に関する歴史については、こちらを参照 
  ⇒東北大学史料館(第三展示室)http://www.archives.tohoku.ac.jp/tenji/niko.html


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