旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

七ッ森・笹倉山(宮城県)

2010-07-18 22:06:45 | 宮城県の山
宮城県内は天気が良さそうなので、近場の山に登ることにした。

場所は、宮城県黒川郡大和町にある笹倉山(506メートル)。
七ッ森の中で、この山だけが独立している。
他の六つは連なり縦走が可能なので、秋の紅葉時まで楽しみに待つことにした。


(▲笹倉山:宮床国道457号から撮影)

ここが登山口。



杉木立は鬱蒼としている。
手前の駐車スペースは結構広く、ゆうに10台くらいは止められそうだ。
(今日はすでに3台がいた。)

登山口脇の案内板には、次のように記載されている。


   
登り始めてすぐ右側に『日本刀「葉山丸」作刀の地』という標識。
その先には、大荒神碑。文久元年(1861年) 安達政義が大森の霊泉で刀を作ったという所。



スギ木立の中を登っていく。



ここからが姥坂。この山で、一番の急坂。
途中から擬木の柵が設置されている。


(▲姥坂)

しばらく行くと、ちょっとした平場に出る。
丸太のベンチもある。
右手は「銚子ノ口」へと続いている(ただし、すぐに行き止まり)。


(▲銚子ノ口への道)

銚子ノ口から眺めた南川ダムの方向。
秋にはこちらを縦走!!


(▲南川ダム方向。ダムの右側は、鎌倉山、遂倉山、画面の端が蜂倉山。)

(▲宮床側の方向。左端から撫倉山、松倉山。)

銚子ノ口から分岐点に戻り、大きな姥坂の石の脇を抜け、左の道を行く。


(▲姥坂の石)

こちらの道も歩きやすい。
段々と傾斜がキツクなってくるが、辛抱。
しばし登ると頂上とあずま屋への分岐点標識が見えてきた。


(▲分岐点の標識)

こちらがあずま屋。「国見ヶ崎 四阿」とある。
総重量3トンの資材は、平成5年4月15日大和駐とん第六戦車隊77名の奉仕により山頂まで人力搬送してもらったのだという。


(▲あずま屋)
左側の木の根元に石碑があるが、判読ができなかった。

あずま屋からの眺望。画像左側の白いドームはシェルコム仙台、中央には仙台市街地のビル群。


(▲国見ヶ崎からの仙台市街地方向の眺望)

「国見ヶ崎」とはよく言ったものだ。
ちなみに、第五代仙台藩主伊達吉村(だてよしむら)は宮床が出身地。

いよいよ山頂。
三等三角点は、薬師堂の物置きの脇にある。



ここが大森薬師堂。
(宝暦十二年(1762年) 宮床伊達家の家臣である八巻景任父子が背負って登り、安置したというのがこの中か?)


この石碑は、仏画がレリーフされている。
文政九年(1827年)とある。





草に埋もれた石仏。




(なんとこれらの写真を撮ってから、参拝となった。順序が逆だろうに・・・!!)

あとは下山。
倒れても葉を茂らすスギ、ミズナラ。
そしてここにもあったカツラの巨木(まだ候補生か?)。


(▲倒れた杉。この先は薬師堂)

(▲姥坂の石近くにある。根の張り方にご注目を。)

(▲風格が出てきたカツラ)

姥坂の斜面には、こういうのもあった。
トーチカ状に組まれていたらしい石組み。
何に使われていたのだろうか?



登山開始が9時25分。下山が12時半。
往復2時間コースらしいので、われらはだいぶノンビリ写真撮りをしていたことになる。

登山口脇にある御神水。
とてもうまそうだが、こちらは飲用には適していない。




このあと、南川ダムサイトに移動。
産直施設で、地元野菜を購入。

帰宅途中に、泉パークタウン内のマーケットへ立ち寄る。
職場の仲間が、「鬼首(おにこうべ)山学校」の皆さんの出店に昨日から応援に入っているので、様子見。激励までには至らなかった。


(参考)
船形山・七ツ森・升沢遊歩道案内
パンフレット・入山届出書ダウンロード  ⇒ こちら


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