デザイン遊び

人と人のコミュニケーションを
スムースにするデザイン

コミュニケーションは難しい…!?

2013年12月25日 | 日記


このごろはあえてコンピュータ時代と言う人も少なくなりました。
テレビから携帯電話までなどあらゆる物がコンピュータ化されています。
しかも、映像化の進歩発展は凄まじい物があります。
携帯電話にカメラが付いた事により写真が非常に手軽な物になりました。
人々のコミュニケーションはテキスト時代から映像化時代に変化しています。
これにより、携帯電話は、直接の会話よりむしろメールによるコミュニケーションが優先しているように感じます。
テキストだけの会話に対して、画像を添付出来る様になり、ますますコミュニケーションは映像主力の傾向が強いようです。
しかし、この一見活発なコミュニケーションですが、重要な情報伝達が行われているのでしょうか?
百聞は一見にしかずと言いますが、果たしてそのような活用が出来ているのでっしょうか?
視覚的な表現を生業とする私にとっては、疑問が生じます。
頻繁に行われるこのコミュニケーションは本当に互いの役に立っているのでしょうか?
むしろ、媒体に使われ始めているような気さえして来ます。
グラフィック(視覚的)な表現は確かに面白いのですが、一瞬に伝わるからこそ、刺激的な画像を追い求める傾向があり、どんどんエスカレートしてしまい最後は自分で行き詰まってしまう人もいる気がします。
媒体の持っている機能を使いこなすことは非常に善い事だと思います。
しかし、機能を使うのは、あくまでも伝達したい情報があり、
その情報を伝えたい人がいて、
伝えるタイミングを考慮し、
かつ伝え方を考えたうえで、
コミュニケーションする事が大切だと考えます。
このように考えるのは職業病でしょうか?
いや、ほんとに楽しいコミュニケーションとは実際に対面して熱く語り合える事ではないでしょうか?

名画から学ぶその優れた色・質感・構図など!?

2013年12月12日 | 日記

純粋絵画とグラフィックデザインはまったく違う物ですが、視覚表現ということで同じ様なものと勘違いされる方も多いのではと思います。たしかに色を使いさまざまな表現を試み、構図なども神経を使います。しかしながら、決定的な違いは、デザインワークは依頼主の伝達テーマがあります。自分で描きたい物を決めて自由な表現で描く事は、殆どの場合ありません。さりとて、色々な表現方法が必要になる事は間違い無いのです。このごろ改めて、絵画を見ると意外な点が見えて来た感じがします。
絵画には作家の独特の筆使いがあり、それが独特の材質感や作風を生み出しています。その証拠に、写真を切り抜いて埋め込んでも、そのタッチに吸収されてしまう事を発見しました。あるいは、作家により独特の色使いがありますが、やはりそんな個性的な絵画は多少の悪戯書き程度では、絵が崩れない事に気がつきました。さらに、確りした構図は、多少の違和感あるモチーフを足しても、バランスが崩れる事無く飲み込んでしまう力を持っている言う事にも関心しました。むかしから、名画を模写して学ぶ方法がありますがむしろ、名画をいかに壊そうかチャレンジする方法も面白いのではないでしょうか?そうする事によって、その絵のパワーや魅力を肌で直接感じ取れるのではないのでしょうか?

デジタル作業とアナログ作業の違い!?

2013年12月02日 | 日記

最近デジタル作業と、手作業の違いがふと疑問になり考えてみました。手仕事時代には、下書きやアイディアスケッチなるものを色々描いた物です。だいたいの完成図が出来ると実際の作業に取りかかります。制作途中でも色々考えながら、微修正を行い完成迄一直線に進めた物です。手作業の場合、やり直しは出来ませんので、一筆一筆が真剣で独特の緊張感に包まれる作業です。また、たえず自問自答しながら進め、作品を確認しながら進めていく自分がいます。
一方、デジタル作業はどうでしょう、完成図は頭の中だけ、手順も手作業の順番とは大きく違います。デジタル作業の場合には、素材の仕込みとでも言いましょうか、とにかく必要な素材集めから始まり、次にその素材に対して加工処理を行う作業です。ちなみに素材をきれいに切り抜いたり、色を変えたり、大きさを変更したり、とにかく手仕事ではまったく考えられなかった作業が必要になります。作品を完成すると言うより、オペレーション作業の積み重ねです。この感覚は絵筆を握る物とはまったく別の物でしょう、従って良く「めんどくさいんだなぁ~」と言った声が聞こえて来ます。確かに手作業ではなかった作業をするのですからその感想も納得出来ます。つまりデジタル作業に置いては、まったく異なる性質の作業をこなして行かなければならないと言う事でしょう。
従って、パソコンは苦手と言う人も多くいます。たとえ使っていても、自分と相性の良いソフトしか使用していない人も沢山います。ましてや、このごろのソフトは二次元ソフトなのに三次元加工が出来るようにバージョンアップをしているので、益々混乱をきたす人が増えています。
アイディアを形に変える作業には、発想したものを再現する技術とそれとは逆に、技術から発想してアイディアを生み出す事も出来ると思います。とにかくパソコンと言う道具をどのように使いこなすのかが発想の分かれ道ではないのでしょうか?あくまでも命令を下さなければパソコンは動作してくれません、その命令を下すのは自分の発想そのものです。
パソコンならではの魅力も多いのですが、いまだに人間の描く魂のタッチを超える事は難しいのでしょうか?