この記事は「1. 朝鮮民族の世界観」の続きです。
韓国人の世界観について秀逸な考察をしているサイトがあった。日韓翻訳掲示板での論戦を通して得た知見であろうと思われる。
だが、DoS攻撃でも受けているのか、極めてアクセスしづらい。そこで一部の章を転載させていただく。
なお、オリジナルにある「入場」とは韓国語で同音異義語となる「立場」であるとの指摘を受けたので、この単語は差し替えている。
韓国人の世界
http://www37.tok2.com/home/koreanworld/
2. 朝鮮民族の精神世界
2-1. 幼児のような民族性
朝鮮では一般的に、民族の総体としての主観「立場」以外の視点を持つことを禁じられているため、朝鮮人はこの「立場」と個人の「個」としての主観を区別する事ができません。また同様に、朝鮮民族間における全ての判断基準は朝鮮の自称「(普遍的)真実」を通じて共有されているため、自他の思考を区別する事もできません。
朝鮮人はこのように自他の思考を区別する事ができないため、まだ自他の区別がつかない幼児のような、極めて自己中心的な行動をとります。つまり、根拠の無い全能感を持ち、我慢する事ができず、自分の目先の利益にのみ執着し、自分の主観を常に周りに押しつけて他人の意見を聞かず、自分が気に入らない事があれば全力で騒ぎ立てる(ネットで言うところの「火病」)といった行動を取る事になります。
2-2. 目先の利益が最優先
朝鮮人は自他を区別できない幼稚な利己主義者であるため、彼らにとって最も重要なのは自分の「目先の利益」です。また、彼らはそもそも我慢する事に価値を認めておらず、実際に朝鮮の家庭教育では我慢や感情のコントロールについて躾ける事は無いため、彼らは常に楽をして目先の利益を得るためにあらゆる手段を講じ、またその行為に対して悪びれる事がありません。
また朝鮮には、譲歩という考えが存在しません。よって相手がもし譲歩をすればそれに従って要求を拡大するのが彼らの常識であり、互いに譲歩して妥協点を探るという選択肢自体、彼らの脳内には存在しません。
そして朝鮮における「恥」とは、「自分の利益を得られない事」を意味します。このため朝鮮では貧乏こそが最も恥ずべき事とされており、また他人の利益を損なう行為は全く「恥」ではないのです。
2-3.「公正」が存在しない社会
朝鮮人には「他人の視点」というものが存在しないため、彼らには「公正」という概念を理解する事ができません。彼らに理解できるのは、朝鮮民族の総体としての主観「立場」を基準とした、主観的な「正当性」だけです。
また、この「正当性」は民族の総体としての主観を基準とするため、その判断は「朝鮮民族全体を満足させ得るか、否か」という、非常に極端なものになります。つまり彼らにとって、朝鮮人を民族の総体として納得させ得るものだけが「正当」であり、それ以外は全て「不当」なのです。
2-4.「卑怯」が存在しない社会
「公正」という概念が存在しない朝鮮では、「卑怯」という概念も、当然存在しません。彼らに取っては如何なるルールであれ、朝鮮民族の総体としての主観「立場」に照らして納得できない取り決めは全て不当なものであり、それを守る必要など全く無いのです。
彼らが国際的なスポーツ大会において、如何にスポーツマンシップを踏み躙っているかは御存じの方も多いと思います。これはつまり、彼らが「ルールに則った公正な判断」なるものを理解する事が不可能だからなのです。そして当然ながら、朝鮮人の卑怯な行動はスポーツに限った事ではありません。
このような卑怯な行動を外国人に指摘されると、彼らは必死になって反論をします。しかし、その場合も「どうやら攻撃されている」事に対して反応しているだけであり、彼らには何が問題なのかすら、そもそも全く理解できていないと考えた方が良いでしょう。
2-5.「責任」が存在しない社会
朝鮮人は目先の利益を非常に重視する幼稚な利己主義者であり、また朝鮮には「卑怯」という概念が存在しないため、彼らは自分の非を決して認めず、ひたすら責任転嫁や自己正当化を行います。また、朝鮮語で良く使われる言葉に、「ケンチャナヨ」があります。これは日本語に訳せばば「気にするな」というような意味ですが、これを使うのは迷惑をかけられた側ではなく、迷惑をかけた側です。つまりこの言葉は、"開き直り"の言葉です。
このように朝鮮は責任逃れが常態化した社会であり、朝鮮の「立場」や「真実」に従う限り、とにかく自分の非を認めずに責任転嫁していれば、個人の失敗をそれほど批難される事もありません。朝鮮人にとって責任という概念自体、重要なものではないのです。
「責任」が軽視される朝鮮では、成功した事は自分の手柄ですが、失敗しても自分は悪くありません。これを彼らの民族の総体としての主観「立場」から考えれば、朝鮮民族によるあらゆる偉業は当然自分達の功績ですが、逆に民族の失態は朝鮮民族の責任ではありません。このような思考回路から、朝鮮人の脳内には(数少ない)偉業だけが残り、彼らは常に「我が民族の優秀性」に浸る事ができるのです。
2-6.「約束」が存在しない社会
朝鮮では、「約束」とは「相手と話し合う関係になる事」を意味し、決して「遵守するべき相手との取り決め」を意味しません。そのため朝鮮人は、「約束」を交わした後にその約束の妥当性について、相手と議論しようとします。
つまり彼らが約束を破るのは、自分達の利益を重視しすぎるためというよりも、そもそも朝鮮における「約束」という言葉の定義が、朝鮮以外の世界と違うかららしいのです。一説には日韓併合以前の朝鮮には「約束」という概念自体が存在しなかったとも言われますが、それほど朝鮮とそれ以外の世界とでは「約束」という言葉の意味に大きな隔たりがあるようです。
2-7. 他力本願社会
朝鮮人は、自他の区別ができません。このため朝鮮人にとって、他人の助力を仰ぐのは申し訳ない事でも情けない事でもありません。
また、彼らは目先の利益を最優先するため、他人に助力を与えるのは基本的に自分の利益に直結する場合だけであり、彼らは自分に利がない場合の協力はキッパリ断ります。このため協力してくれた相手に対して恩義を感じる必要もありません。それどころか、自分が恩義の対象になった場合、彼らはそれを重荷だと感じてしまうようです。
また、朝鮮には「公正」や「卑怯」の概念も存在しないため、彼らは目先の利益のためにあらゆる手段を惜しみません。朝鮮人は日常的に嘘を吐き、時に徒党を組んで弱者を攻撃したり、他人の功績をパクったりといった卑劣な手段を用いますが、これは朝鮮では自然な行動であり、自分の利益を損なわない限り全く「恥」でも何でもないのです。
(続き)
3. 朝鮮の文化
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