当時の事情と皇室存続のための駆け引きはわかるが、戦後70年経っても軍備放棄に追随する国は現れなかったし、当の日本も自衛隊で事実上の再軍備を果たした。空虚な理想は無価値。
幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について
http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou-text.html
僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集るようなことは空想だろう。だが何らかの形に於ける世界の連合方式というものが絶対に必要になる。何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少くも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。
(中略)
日本民族は幾世紀もの間戦争に勝ち続け、最も戦斗的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。何故なら武力は神でなくなったからである。神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。日本人はその悪魔を投げ捨てることに依て再び神の民族になるのだ。すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である。
この幣原喜重郎のロジックがおかしいのは、次に核戦争が起きれば人類が絶滅するから軍縮せねばならぬ、各国の交戦権を制限し、武力を一個にまとめねばならぬ、という方向性まではいいのだが、その手段として、だから日本は武力放棄せねばならぬ、と持ってきてるところ。
現実問題として武力放棄の理念に賛同する国家はないんだから、武力統一の方法としては、善悪は別にしてどこかの国が世界を征服するか、軍事同盟を広げていって最終的に全世界を覆い尽くすか、そのくらいしか方策はない。前者なら第三次世界大戦だから、事実上後者のみ。
中国の野望はそれこそ最初に日本を倒して日米同盟を無力化した後に米国をも倒して世界を征服するつもりだから、チベットやウイグルの惨状を皆が受け入れるなら「戦争」はなくなる。だがそんなものが平和と言えるか。であれば、軍事同盟を広げるしかない。
とすると、既に存在する日米同盟やNATOを基盤にしてこれを拡張していくのが現実的。両者の統合もよし、ASEAN、豪州、NZ、インドなどもどんどん取り込んでいけばいい。そうすればこの巨大軍事同盟に戦争しかける国家はいなくなる。だから、私は安保法制に賛成。
ただ、戦後の混乱期に幣原がこういう世界平和へのビジョンを打ち出したことは評価する。内容には賛同しないが。今の日本人に欠けてるのはこういうビジョンを打ち出す野心的な能力。日米安保に依存しすぎてビジョンを考える能力すら失い、形骸化した9条信仰だけが残った。
今般成立した安保法制には賛成するが、これだって角度を変えて見れば「米側の要請に応じただけ」に見えなくもない。その意味で、安倍内閣ですら将来の世界平和へのビジョンを打ち出したわけではない。まだ戦後処理やってるから、その段階ではないのかもしれないが。
今の日本が徐々に踏み出していってるように「ASEANの海を守る」などの責務を負って世界に出て行くようになれば、否応なく「世界の平和をどう実現するか」のビジョンも求められるようになる。日本政府がそれを求められるなら、有権者もその責任の一端を担う必要がある。
(以下、蛇足)
それにしてもすごい言い回しだ。まさに新興宗教。
《日本民族は幾世紀もの間戦争に勝ち続け、最も戦斗的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。》
「日本人は神の民族である」なんて言ったらパヨク陣営から猛烈な批判が飛んできそうだが、その彼らが信奉する9条を生んだ立役者である幣原喜重郎自身が《僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う》などと言ってるんだから、皮肉なもんだ。w
(参考)
これまでの《左派-右派》という横軸に《理想主義-現実主義》という縦軸を加えたところ、様々な政治問題をめぐる対立構造が見えてきた。
イデオロギーポジションマップ
http://goo.gl/1WKHJ4