南京戦当時の図面など。
《南京城全景》
・城内で建物が密集しているのは中央部から南側の中華門にかけて。
・安全区(緑の枠)にはほとんど建物がない。外国公館、大学等の大きめの建物が点在するのみ。
・城外には建物は少ない。左上の下関、安全区左下の漢西門外、南の中華門外に少しあるのみ。
《下関〜宝塔橋街》
・城内最北端の獅子山のすぐ上が煤炭港。鉄道の引き込み線も見える。
・煤炭港を挟んで南に下関、北に宝塔橋街がこじんまりと並んでいる。建物の数が数えられそう。
・下関〜宝塔橋街にはそれほどの人口を収容できる街があったように見えない。
・揚子江上に並んでいる文字列は埠頭の名称。
《城内北側》
・城内最北端の獅子山付近には建物があるが、他にはあまり建物がない。
・上側に点在する丸は池とか沼ではないか。「安全地帯の記録」にも「処刑するのはいいが池を汚すな」という苦情がある。
・左下のエリアは等高線のようだから丘陵地帯に見える。もう少し南に下がると五台山と清涼山がある。
・この画像内に安全区の北半分が入っている。
《安全区》
・中央に安全区、その南に五台山、その左側には清涼山。
・安全区内には大きな建物がありそうだが、数は少ない。
・太線で囲んであるのが「列国権益」の区画。資料のタイトルは「南京市街列国権益図」。
《城内南側》
・建物が密集しているのがわかる。他のエリアと全然違う。
・城内の住民の大半がこの地区に居住していたのだろう。
《中山門外》
・南京城東端の中山門を望むスケッチ。
・スケッチの中には建物は6軒しかない。畑と、少々の林だけ。
・南京城の周囲の大半がこのような風景なら、戦闘で巻き添えになった市民は少なそう。
・城攻めにあたっては城門突破より、大砲で城壁を撃ち破ることを狙ったように見える。
・クリーク(濠)の幅は90mと書いてある。
《幕府山》
・中央付近に幕府山。
・幕府山から対岸の八罫洲までの距離が極めて狭いことがわかる。
・当時と今では本流と支流が違う。当時は北回りが本流で、幕府山の前は支流。今は逆。
以上。