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筒井清忠「戦前日本のポピュリズム、日米戦争への道」を読む(その2)

2023年11月15日 | 読書

(承前)

  • 1931年9月、満州事変が起こると新聞は(軍縮から)大旋回した。例えば大阪朝日新聞は、「満洲に独立国が生まれることについては歓迎こそすれ、反対すべき理由はない」と報道した。事変後、朝日を困らせたのは不買運動だ、10月中旬の役員会で事変支持が決定した
    (コメント)新聞社の主張や倫理観などはこの程度のものだ
  • 5.15事件では、被告人の主張する元老・財閥・政党等特権階級への批判がそのまま正当化され報道された。また、減刑運動が検討され始めた段階で、この運動を唆し支援するものであることが明白な記事が出された。そして異例に軽い判決が出ると11月10日の時事新報は「法を破るその罪は大、愛国の至情は諒とする、36年への危機憂慮が暴発、条理備わる判決理由」という見出しで伝え、内容は被告らの主張そのままであった。
    (コメント)安倍首相暗殺犯の主張を、それが本当かどうかもわからないのに大騒ぎし、減刑運動まで取り上げる報道姿勢は今でも同じだ。
  • 満州事変のリットン調査報告書について、12月19日の全国132紙は受諾拒否共同宣言を出した。翌2月7日に日比谷公会堂で国際連盟緊急国民大会が開かれ、政府に連盟脱退して直ぐに帰朝せよとの声明を採択した。これをNHKがラジオで全国中継した。松岡の背後にはこの「国民の声」があった。2月20日、政府は連盟脱退を決定した。当時学者が現実的な意見として「頬被り論(連盟非脱退論)」を主張していた。日本がこの理論を採用していればその後の歴史は変っていた可能性がある。だが、東京日日は社説で「連盟脱退の外なし、頬冠り主義を排す」と書いた。外交では価値・理想も必要だが、利益の追求は合理性を担保することになり、置かれた環境を無視する非合理的行動に走らせないと言う視点が重要である。
    (コメント)新聞社の国際情勢を見る目の無さは今も同じではないか、ただ学者はこの時、現実論を言った

  • 評論家の清沢洌は、ポーツマス会議とジュネーブ会議(国際連盟問題)を比較して、相違点として、桂太郎と小村寿太郎はいかに民論による迫害があろうと断固として講和会議をまとめる意志があったが、松岡は民論に責任を転嫁して、その陰に隠れようとした、また、桂と小村が絶対に我が国の国際的孤立を避けんとしたのに対して、斉藤と内田はむしろ我らから進んで孤立を選んだ傾きがあった、と批判した。日清・日露の時は、国家の絶大なる難局に面した場合には、暫く世論を無視し、国家のために一身を犠牲にするのも国民、ことに指導者の任務ではなかろうか、この視点を絶えず維持していた石橋湛山から今日学ぶべきことが多い理由でもある。日清・日露の時はそういう指導者に事欠かなかった。
    (コメント)明治の政治家たちは偉かった。そもそも新聞社の主張は世論ではないし、往々にして間違っている。
  • また、清沢は海外の老練なジャーナリストは知力で勝負し、優れた分析力を見せる、正確なデータに基づいた報道を心がけるが日本の新聞は不正確なものが平気で横行している、と批判し、ポピュリズムに足を取られやすい危険性を指摘している。
    (コメント)最近でも同じである。ある新聞の慰安婦強制連行報道はひどかった。

(その3・完に続く)



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