ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

18 十分の一献金

2021-06-14 23:55:50 | 民数記

私の生活の全ては神からの賜物であり神によって支えられている。自分のいのちを捨てて、復活の力で主に従う姿勢で生活する者は、本来すべてをささげなくてはならない。
それで、いったんすべてをささげて、その後、改めて預からせていただいている。

 

夫は召される前に税理士に頼んで、すべてを私に譲る遺言状を準備してくれた。
内容は現金以外のものもあったが、とりあえず総額の十分の一以上を献金した。
当り前なのですが、ケチることなく、すぐに、大胆にささげられたことは祝福でした。

 

なぜなら、その後も、さらに多くをささげようという気持ちになり、さらに祝福されたから。
日常は年金生活ですが、大胆に献金をしている。貯金通帳の金額は減ったが、全く心配はしていない。神様がちゃんと、心配しなくても良いように、取り計らってくださるはずですから。

 

教会の会計係りの兄姉は、誰がいくらの献金をしたのかを、牧師にはもちろん、いっさい口外しない。私達は、ただ週報で項目と金額の報告と、年度末に総合的な会計報告を聞くだけです。

私がそこにも載せないでと言って大きな献金したものも、どこにも数字は出て来ないが、私は全面的に会計担当者を信頼し、彼らのその信仰を尊敬しています。

 

自分の経済のことを考えるより、教会の会計が満たされるように祈り、どのように献身するか、どの働きに身をささげることができるか、そんなことに祈って気を使って生活できることは、本当に祝福です。

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イサクをささげたアブラハム

2021-06-14 19:30:22 | 通読・創世記

アブラハムは神から呼びかけられた翌朝早く出発した。私も神様から呼ばれていると感じたら、「はい。ここにおります」と、逃げず、隠れず、後回しにしないで、すぐに祈りの姿勢に入らなくてはならない。そこで示されたことはすぐに行動に移さなくてはならない。

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イサクをささげるようにお告げになった場所が見えるところまで三日間かかった。神様からの示しや促しがあっても、時間がかかることがある。アブラハムは子供が生まれると言われてから25年待ってやっと生まれた。アブラハムにとってのこの三日間も長く感じたことだろう。時は神様のものだから、私達は委ねて神の時を待たなくてはならない。

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アブラハムは若い者たちに、「私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。二人で戻って来ると言ったのは、神はイサクを復活させることもできると信じていた証拠です。そのことを後の世の人々に知らせるために若い者が備えられていた。

私達の身に起こる奇蹟のような神のみわざも、他の人に証しをする機会があるかも知れない。その日に備えて、記憶する、記録するようにしようと思う。そして福音が真実であり実際に体験することのできる祝福に満ちたものであることを伝えて、伝道をして行きたいと思います。

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