BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

小和田恒氏、その重大な罪 

2018-07-01 | 皇室問題

 まず「軟禁」と「監禁」の差を知らねばなりません。
小和田恒氏のバーゼルにおける軟禁を、監禁と取り違えて国際裁判所に
出ていたから軟禁などされていない、という擁護をする人たちがいますが、
軟禁とはそもそも、監視付きではあるがある範囲内の自由は認められています。

小和田氏の不祥事に拠る軟禁は事実です。

国際裁判所に出ていたのは事実ですが、おそらく軟禁開始の時期とかぶるかと思うのですが、裁判所を「我々にも把握できない突発事で欠席」と、裁判所がステイトメントを出した一件があり、これは過去記事で述べました。記事を探すのが億劫なので、裁判所の文言は、概略であり当時出された文言そのままではありません。

東京にいったん戻ったとされる情報もありましたが、その時すでに軟禁が解かれたのか、あるいは特例としての一時帰国が叶ったのかそこは解りません。(某所と某所からの数回に及ぶ救出作戦が功を奏したのか、あるいは小和田氏が当局の要求に応えてあるケジメをつけたか・・・・現在では軟禁は解かれて帰国、ある一件で動き始めるまではコンクリート御殿に蟄居していらっしゃいました)

情報を収集していた時の時系列がもはやうろ覚えで、過去記事に遡って検証する時間がなく申し訳ありません・・・・が過去記事には正確に記録があるので、今回は駆け足の概略で失礼します。

小和田氏(及び協力者)はひょっとしてフェイク画像使用ないしは、これは明らかに日時を捏造なさるお方です。

この画像、(6月)6日とされていますが、ありえません。なぜなら、この日付の時小和田氏は東京にいました。情報を得ています。詳細は割愛しますが、やや書けば小和田氏はその時、供も連れず一人で電車移動でした。

この画像自体が合成ではないか、という指摘も複数得ましたが、そこはブログ主には判断できません。ただ、日時に関してははっきり、「あり得ない」と断言できます。6月中、小和田氏は一歩も日本を出てはいません。
これは調査すれば足跡は知れることなので、ブログ主が当てずっぽうを書いているわけではありません。

また付随的におかしな点は、6月6日に裁判所の一室にいた設定なのに、小和田氏はハーグにおける新旧判事交代式にすら出ていらっしゃいません。考えられない非常識と非礼。(6月7日に正式退任)

 以下はネットの片隅ではすでに早くから出ている情報なので、BBも書きやすいのですが・・・・隔靴掻痒ではあります・・・・。

たとえばこちら。

 

 

https://blogs.yahoo.co.jp/s_kengokeiko/28434890.html

 

古い記事のせいでもあるのか、上記の情報は・・・・当たらずと言えども、遠からず・・・・というレベルです。↑
事実はもうちょっと、入り組んでいる・・・・かもしれません。(”知恵”の回る小和田氏が、何のバックもなく単独で違法をやらかすような幼い真似はしません・・・・)

しかし、聞こえてくる小和田氏の最近のちょこまかした動きについては小和田氏のなした以下の、重大な日本国毀損行為に比べれば、まだましなほうかもしれません。

以下は、平成26年8月12日の拙ブログ過去記事をベースに、日本という国にとって小和田恒氏がどれほど悪辣なことをやらかしたかのまとめです。

・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏は国会喚問に値するのではないか。

 

河野談話を批判し、河野洋平を喚問せよと主張する保守ブロガーたちが以前は
いて、拙ブログ主もそれには賛同をするものの、しかし
小和田恒氏を等閑視するのは、整合性が取れぬ上、怯懦だとも思いますね。同じく東宮問題を避けて、直視する勇気のない保守論客たちも。現実を直視なさい、日本を何とかしたいのなら。

 

ニューヨークタイムス東京支局(所在地 朝日新聞社内)で、反日記事を発信している 田淵広子氏さえ喚問が言われていたというのに、小和田氏の果たした日本毀損の役割に比べれば、田淵某など蚊ですよ。

 

◆舛添要一前都知事に見られた日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

 

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

 

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

 

つまり・・・・

 

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのもの」を肯定したわけではない。

 

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

 

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました

 

靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

  

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

 

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

 

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。
誤訳なら後に深甚な謝罪と訂正が、国民にあるべきで、それがないところを見ると確信犯でしょう。

なぜ小和田氏がかくも、粗雑に祖国を扱うのか、いえもし祖国ならこうも貶めは出来ないでしょうに?

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

 

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

 

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

 

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(万世一系皇室の破壊行為)

 

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

 

4 福田赳夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と豪語していた人物。それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

 

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

 

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

  

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

 

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」と日本の提訴の動きを牽制。

 (その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国発言です)

 

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

 

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

 

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

  

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

  

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

 

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

 

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

 

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

 

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

 

 ・・・・・・・・・・・・・

 

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

 

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化施策とも連動しながら、今現在の姿です。

 

小和田恒氏と雅子妃が親密な外務省創価学会グループ「大鳳会」の
メンバーは約50名もいます。

 

池田大作を大臣級扱いで海外に送り出す手配を担当し、対韓・対朝・対中の日本外交を歪めてきた張本人的組織で、そこを仕切っていたのが、小和田恒氏です。

 

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が小和田・東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

 

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「極悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

 

 安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認もそこに含まれるでしょう。

 

それを阻んでいるのが自民党のある政権と、民主党政府の不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した暗愚の歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

 

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな国家毀損者の娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

 

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。
無理を承知で故意に言っているのですが。

 

しかし、かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

  

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

 

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

  

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

BB注 A級戦犯呼ばわりは、間もなく上皇后におなりの方です。小和田史観との連動、あるいは共同プロパガンダ。

 

 従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を承諾いたすということになつております」

 

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

 

 大橋武夫法務総裁(当時)は

 

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

 

と答弁している。

 

 以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

   下皇后のお父上は、悪党福田父子のご家来

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。日本人ですか? と思わず問い詰めたいこれまでの言動です。

 

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

 

第91代内閣総理大臣・福田康夫氏の反日。親中派。台湾から熱愛と言うほどの親日家である李登輝氏が病気治療目的で来日を希望した際、河野洋平氏とともにビザ発給に反対。

福田康夫元首相が「南京大虐殺記念館」を訪問 中国外務省「歴史を正視」と称賛 (産経)

 【北京=西見由章】上海で開かれた学術会議に出席するため訪中した福田康夫元首相は24日、「南京事件」の資料を展示する江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪問した。中国メディアによると、福田氏は「南京大虐殺の犠牲者を深く哀悼する」と書かれた花輪を供え、同行者らとともに黙祷。「過去の事実を正確に理解しなければならない。もっと多くの日本人が記念館を参観すべきだ」と記者団に語った。

 日本の首相経験者が同館を訪れるのは海部俊樹、村山富市、鳩山由紀夫各氏に続いて4人目。

 

・・・・・ここまで

 南京大虐殺など、中国政府の日本貶めプロパガンダに過ぎません。
そのプロパガンダに加担する連中って、本来の意味での日本人ですか?
悪辣な福田父子の家来であるのが、小和田恒氏と優美子氏です。
ジョウ皇后の下に、シモ皇后として即位なさる雅子妃のご両親です。

 

福田家と小和田家との密着の関係。小和田雅子入内の発端。

 

http://seesaawiki.jp/w/dosukono/d/%A5%BD%A5%E9%A5%DE%A5%E1

 

 

福田赳夫氏の孫娘と親密だった雅子妃。(スキー写真)

 

 

1988年3月20-21日 福田赳夫元首相の孫娘横手香代子さんと北海道スキー旅行、滝川市のホテル三浦華園に小川東洲夫妻が合流
左画像:左から小川東洲夫人、小和田雅子、ホテル女将の三浦夫人、福田元首相孫の横手香代子さん/右画像:ホテルの三浦社長、小和田雅子、横手佳代子さん

 

 

福田家に忠誠を表す帯。「福」の字が染め抜かれこれは
福田夫人とお揃い。

 

 

」」

 

婚約の記者会見に皇居に入るときも、大将福田氏への忠誠の福の帯。
娘入内の「感謝」のつもりか。世間が信じこまされているように
無理やり入内させられたということではなく、
以前から周到に仕組まれていた婚姻です。
雅子妃も周囲の仕組みに積極的に応えていらっしゃる。

2006年4月2日、元フジテレビ女子アナのチノパンこと千野志麻氏が福田赳夫の孫・横手真一氏結婚、その挙式披露宴に小和田優美子氏が出席。国賊級元大臣に、忠誠の小和田夫妻。

小和田氏売国の発端

福田赳夫首相の政務秘書官に迎えられて、最初に立ち会ったのが日中平和条約締結。それ以来の外務省人脈が連綿。

小和田恒ssiと福田康夫氏は官邸の秘書官室で机を並べていた。以降家族ぐるみのつきあい。

小和田ssiは東京・代沢の福田邸に雅子さんをたびたび連れて行き、福田赳夫元首相に可愛がられていた。

福田・小和田という水面下の、「もう一つの」結びつきの可能性にも留意!!
小和田・江頭の結びつきと同様に。
鳩山・・・ブリジストン創業者の娘と、その嫁との共通項・・・は。

 

 

 

 

一官僚の出版記念に、駆けつけた福田赳夫氏と宮沢喜一氏。売国2人組。

 

 

 

 

 

マンデラ氏の追悼式で皇太子殿下に付き添ったのは福田赳夫氏の息子の康夫氏。

 

 

 

↑左が韓国首相として始めて竹島に不法上陸した韓昇洙。
右が潘基文。

 

 

 潘基文夫妻と。

 

 

 

 

竹島(独島)に碑文を打ち立てた韓 昇洙。
皇太子と親しく食事。

  

 

ご成婚に現れた、創価三色。

日付の嘘に準じる「虚言癖」に属することなのか? 小和田恒ssiの論文紛失事件。
外務省からオックスフォードに国費を使って研修に行ったものの、一人だけ修士号を取れずすごすご帰国した娘、雅子妃の過去と何となくかぶる、うろんさ。

何度も検証してみたことですが、雅子妃の英語力でハーバードをまともに受講は出来ません。出たことは出ています。卒論のバックにこちらも仕掛けあり。東大は出てませんので。いまだに盛り学歴の印象操作に惑わされている人たちがいますが。小泉進次郎氏の、ありえない偏差値高校からプリンストンでしたっけ、あれも
笑っちゃいますけどね・・・。要するに庶民の常識の外では「そういうこともあるげな」よ、でしょうか。饒舌な進次郎氏ですが、そう言えば英語を聞いたことがないですねえ・・・・? 雅子妃の、sigunature とautographの区別すらつかない尻尾の出し方はまだしてませんが。

後記 ⇒進次郎氏、関東学院大(1年留年)卒業後に、コロンビア大学大学院に留学。

TOEFLiBTでスコア100以上のレベルが求められるコロンビア大、大学院に?
偏差値44留年の人が?

◆小泉進次郎氏は本当に英語がしゃべれるのか検証してみた!
https://ameblo.jp/don1110/entry-11918266596.html



 さて肝心の小和田ssiですが“ 船便で送った学位論文の原稿が入ったトランクが紛失したため ” 、博士号を取る機会を失った・・・・そうな。

小和田恒 | Dosuko Wiki |
http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%81%92

ぎっくり腰妃の母方ご実家である江頭家の、企業犯罪ともいうべき水俣病への関わりは読者さんご紹介のこのサイトが、まとまっているかも。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4444/surf18.html

  “ 船便で送った学位論文の原稿が入ったトランクが紛失したため ” 、博士号を取る機会を失ったそうで、こちらに載っています。
http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%81%92

替えのきかない大事な論文を手元から離して船便? あり得ないでしょう。カーボン紙しかコピーが出来なかった時代に、しかも提出期限のある論文を時間のかかる船便で、トランクの中に詰めて送る?

・・・・・長過ぎましたね、記事。2つに分けるべきでした。
このところ、いよいよ時間が取れなくなっていて、書ける時間に書いておこうと合間を縫ってバンバン打って構成も考えず、すみません。

余計なこと書きついでに、最近ネットの片隅で流れている皇后陛下の御陵問題・・・・は要するに多摩御陵(武蔵野陵墓地)はお嫌だと。だから、よそにお墓が欲しいと。従来の御陵(みささぎ)忌避は理由不明。神道色をなくべく排したいお考えからか、天皇家への反感なのか・・・? 天皇陛下の御陵のそばの小さな祠でいい、などと・・・・おっしゃっていたのに(口はおきれい、なさることエグい)・・・・開発用の山を某地にお狙い、その取得のお使いにちょこまか動きまわっているのが小和田ssiだ・・・・そうで・・・・・。
バーゼルでの不祥事で顔向けできなくなったことへの挽回なのかもね・・・・ってことで。
この方「法の正義」がどうかって、退任にあたってぶち上げていなかった?
嫁の父も二枚舌、姑も・・・・。あー・・・・・孫はまた遅刻早退、欠席のスパイラルだそうで・・・・ご優秀報道のマスコミも二枚舌(sigh)これだけ学業から遠ざかっていて、ご優秀なら本当にご優秀なんでしょうね。(wry smile):-}

祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え 

無記名Unknown は読まぬままハネます。

内容要約のタイトルを入れ他とかぶる可能性のないHNを記名の上、ご参加ください。 

文章の一部をHNに代用すること禁止。「匿名」「通りすがり」など
極力受け付けません。

異論反論歓迎、しかし一定の知的レベルに満たないコメントは、最初は極力公開しますが、それ以降は読まぬままハネます。