神戸での「笑福会全国大会」に出席して帰りました。
その詳報が、「笑わせてなんぼの介護福祉士」 で随時アップされています。
私は当初「偉い人は偉くなくて、えらくないひとはえらーい」という話をしようとしていましたが、結局は、「日本の介護福祉士を世界的にみると」という眠い話になりました。
このアイデアの下敷きは、
三浦周行『国史上の社会問題』(岩波文庫)にあります。(写真)
1919年、当時京都帝国大学の歴史の教授だった三浦が、大阪で講演した内容をベースに書かれた。1919年といえば、その前年の1918年に米騒動があり、寺内内閣が倒れ、内務省に社会局がおかれた年です。
三浦の思想は、
「歴史は殿様や社長が作ってきたように書いてあるが、ほんとうは普通の国民が作っているのだ」ということで、これを、古代からの日本の歴史を例に説明しています。
「偉い人は偉くない」
は、24歳から43歳までの19年間、公務員(厚生省、石川県庁、在外公館)として政治家、論説委員、大会社の社長、大学の先生といった「偉い人」を身近に見たりお世話する仕事をしての感想です。もちろん、ほんとうに「偉い」ひともいたのですが、総じて、非常識で威張っている人をたくさん見ました。私は、これらの威張っているいわゆるエリートをたくさん見聞して、自分の生活の虚像を鏡をみているように思いました。
42歳から1年間、いまでいう高齢者介護の仕事の第一線に従事する人と出会うことによって、これらの人々がもっている人間的な魅力に惹かれていきました。
9月に岡山で、今度神戸でお会いした井上千津子さん(京都女子大学教授。18年間ホームヘルパーをしている。現在「日本介護福祉学会」の会長)は、その代表的なお一人です。
もう亡くなられましたが、
大阪で「老人福祉研究」という雑誌を刊行されていた清水英夫氏や
大阪朝日新聞に「みんなの老後」という欄を作った黒田輝政氏などからは
多くの実践者を紹介していただきました。
45歳になって、予期しないことでしたが大学にポストを得て、それ以来24年は別の意味の「偉い人」となってしまい、気持ちは「偉くない」が、世間からは「偉く見られる」ことになりました。
今度、神戸で、「笑福会」の皆さんの報告を井上先生とお聞きして、あらためて人間観の逆転というか、(学会などではなく)ここにこそ高齢者介護の真実があるのだ・・との思いを強くしました。
「偉くない」とか「えらい」とかいっても具体例を出さないとわかりにくいのですが、きょうはその総論的なことを書きました。
鹿児島に帰って、資料編のブログ(最近、Social Care Workerと改題)に、ある介護職員から、私がその方のtwitterをブロック?したことに対して、「エリートのおごり」であり「介護の一員の精神的な抹殺」といった表現のコメントが入っていて神戸での興奮は暗転しました。抗議の意味で私の講義を聞かなかったと書かれてありましたが、私はそのような講義をしたことはなく、意味が不明な部分があってそのコメントはアップしませんでした。
私もこれまで多くの人からtwitterをブロックされていますし、twitterはそのような世界であると思っています。ブログを始めた頃、類似の厳しいコメントがあって、ショックのあまりしばらくブログを辞めていたことがあります。定年までの1年あまりは「教室をブログで」という方針があるので続けますが、このような匿名のコメントでブルーになるのはごめんですね。それ以降はブログを閉じることを今朝決めました。
定年後は、田舎暮らしの傍ら、
「日本の介護政策を社会政策の中に位置づけて英語で発信する」という目的の資料ブログ“Social Care Worker”を続けます。読者は1人いればいい。
その詳報が、「笑わせてなんぼの介護福祉士」 で随時アップされています。
私は当初「偉い人は偉くなくて、えらくないひとはえらーい」という話をしようとしていましたが、結局は、「日本の介護福祉士を世界的にみると」という眠い話になりました。
このアイデアの下敷きは、
三浦周行『国史上の社会問題』(岩波文庫)にあります。(写真)
1919年、当時京都帝国大学の歴史の教授だった三浦が、大阪で講演した内容をベースに書かれた。1919年といえば、その前年の1918年に米騒動があり、寺内内閣が倒れ、内務省に社会局がおかれた年です。
三浦の思想は、
「歴史は殿様や社長が作ってきたように書いてあるが、ほんとうは普通の国民が作っているのだ」ということで、これを、古代からの日本の歴史を例に説明しています。
「偉い人は偉くない」
は、24歳から43歳までの19年間、公務員(厚生省、石川県庁、在外公館)として政治家、論説委員、大会社の社長、大学の先生といった「偉い人」を身近に見たりお世話する仕事をしての感想です。もちろん、ほんとうに「偉い」ひともいたのですが、総じて、非常識で威張っている人をたくさん見ました。私は、これらの威張っているいわゆるエリートをたくさん見聞して、自分の生活の虚像を鏡をみているように思いました。
42歳から1年間、いまでいう高齢者介護の仕事の第一線に従事する人と出会うことによって、これらの人々がもっている人間的な魅力に惹かれていきました。
9月に岡山で、今度神戸でお会いした井上千津子さん(京都女子大学教授。18年間ホームヘルパーをしている。現在「日本介護福祉学会」の会長)は、その代表的なお一人です。
もう亡くなられましたが、
大阪で「老人福祉研究」という雑誌を刊行されていた清水英夫氏や
大阪朝日新聞に「みんなの老後」という欄を作った黒田輝政氏などからは
多くの実践者を紹介していただきました。
45歳になって、予期しないことでしたが大学にポストを得て、それ以来24年は別の意味の「偉い人」となってしまい、気持ちは「偉くない」が、世間からは「偉く見られる」ことになりました。
今度、神戸で、「笑福会」の皆さんの報告を井上先生とお聞きして、あらためて人間観の逆転というか、(学会などではなく)ここにこそ高齢者介護の真実があるのだ・・との思いを強くしました。
「偉くない」とか「えらい」とかいっても具体例を出さないとわかりにくいのですが、きょうはその総論的なことを書きました。
鹿児島に帰って、資料編のブログ(最近、Social Care Workerと改題)に、ある介護職員から、私がその方のtwitterをブロック?したことに対して、「エリートのおごり」であり「介護の一員の精神的な抹殺」といった表現のコメントが入っていて神戸での興奮は暗転しました。抗議の意味で私の講義を聞かなかったと書かれてありましたが、私はそのような講義をしたことはなく、意味が不明な部分があってそのコメントはアップしませんでした。
私もこれまで多くの人からtwitterをブロックされていますし、twitterはそのような世界であると思っています。ブログを始めた頃、類似の厳しいコメントがあって、ショックのあまりしばらくブログを辞めていたことがあります。定年までの1年あまりは「教室をブログで」という方針があるので続けますが、このような匿名のコメントでブルーになるのはごめんですね。それ以降はブログを閉じることを今朝決めました。
定年後は、田舎暮らしの傍ら、
「日本の介護政策を社会政策の中に位置づけて英語で発信する」という目的の資料ブログ“Social Care Worker”を続けます。読者は1人いればいい。
自分もそろそろブログ再開する予定です。またネット上で中傷されるでしょうが、気にしないでマイペースでやろうかな、と思ってます。
あと、この件について別な話があるのですが、それはまたDMででも。
鹿児島にここまで高齢者福祉について考えてくださる教授がいることは、自分にとっては安心して仕事できる一つの要素でもあります。無理せず、マイペースで進んでいきましょう。
今回のお話は、確かによい気分ではありませんね。
それだけ、先生のブログが、著名になったというバロメーターなのでしょうか?
今のところ小生のところには、今回ご経験されたようなコメントは来ておりません(小生が極右か極左かどっちかの変人と理解されているから?)。
温かい励ましをいただきました。
げんきさん
どりーむさん
裸王田中さん
Maa-chanさん
masaさん
omuさん
Qさん
ぴろせさん
又佐さん
sandanshikomi さん
JUNKO さん
それぞれに
お礼のコメントを差し上げるべきところですが
masaさん以外の10人の皆さんには
すでにお会いしています。
お二人は学生・院生ということで
相当回数お会いしていますね。
この記事で話題にしたコメントくださった方は
お顔を存じません。
とても繊細なかとだと思います。
資料編のブログのほうは
「承認制」をとっていますので
その長い文章は抹消してあります。
JUNKOさんのように「遺書」
といえるほどは書き込んでいないので
構えも弱いのでしょうね。
大学のことなど書くほどのことも無いですが
直接仕事のことは書いていません。
「小説厚生省」でさえ
はじめたばかりでやめました。
「ブログで教室と学生を結ぶ」
という目的で続けました。
だから2012年1月に定年で全講義が
終えたときは
おのずから店を閉じるものですね。
23日の夕食に
京都でI先生と
定年後のことというか
人生の残りのことを
話しあいました。
来年4月に70歳を迎える私には
真剣なテーマです。
Social Care Worker
のほうは気力があれば続けていきたいです。
自分の考えを残すべきでしょうね。
今のところ
日本人以外からのアクセスはないですが。
寂しさや思慕、嫉妬のような念を持ったとしてもそれを表面に表さないのが美しいと思っています。それが匿名であったとしてもです。
人間、みんな寂しいんです。やせ我慢でも寂しくないように気位高く生きて行きたいと思っています。
私が老健を辞めた理由の一つに実は「職場へ連絡した人がいた」という事実があります。
ブログを書いていることを連絡されました。
上司には「こういう電話をもらったのだけれども」と言われただけでした。咎められることはなかったけれど、迷惑はかけられないと退職を決めました。
ブログと職場を天秤にかけてブログを取りました。
誹謗中傷も多かったです。
ある日(まだ先生やここにいらっしゃる皆さんと知り合う前でしたが)コメントに「自分の職場のことを暴露して興味をひいている裏サイトのような存在」と書かれたことがありショックを受けてブログを閉じようと思いました。
そんな時、秋風さんや他のブロガー先輩方に「絶対にやめるな。」「あんたがやめたら誰が介護福祉の現場のぺーぺーの気持ちを訴えるんだ?」と励まされました。
自分がブログで発信を始めたことは意味があると思っています。
勘違いと言われようが、自分で意味があることと思い、誰に何を言われようがブログを書き続けることを決めました。
縁起の悪い話ですが、私は酔うとよく仲間に「ブログは私の遺書」と言っています。
たまたま「介護」の職についたというだけで、実は自分の生きざまを人に訴えているのだと思っています。
誰に何を言われようが、私の道を行きます。
先生も隣で歩んで欲しい。
これまで、膨大な数の記事を発信してこられた実績を踏まえた上での判断を、強く尊重いたします。
私も、ブロックされたり、リムられたりする事は毎日の様ですが、それがtwitterの良いところだと思っています。
私怨については、気にしない事が一番だと思います。
先生、一人じゃなくてすでに我々がいます。
そうですね・・・難しいですね。
でも、何かしら古瀬先生の言葉が綴られているものを目にする機会があればいいな、と思います。お体がご丈夫でありますように!
私自身はtwitterというものが見ているだけでどうも疲れるので触れないでいます。
ともかく意味不明な攻撃や中傷は気分が悪くなるのも当然ですね。
でも。。。先生、私にブログの世界をおおいに薦めて、発信することの意義をおしえてくださいましたよね?
ほかの大先輩の皆さん同様、資料に留まらないブログを、望んでいます!
気持ちがおさまってからでも。
追伸;Nさんへの橋渡しをありがとうございました。
私のようなお気楽ブログにされ、まれにその旨の書き込みがあり、こちらの判断で予告せずに削除すると、「言論弾圧だ」と更に書き込まれたことさえあります。
先生とは「奄美」と「ブログ」を通してお知り合いになることができました。そのような「つながり」を失うことは非常に寂しく感じます。
が、先生ご自身の判断を否定するものではありません。
まとまりのない文章で申し訳ありません。
悲しいのは,匿名性ということを理解せずに相手を攻撃する方が,残念ながら少なくないということです。
私を含め,先生を存じ上げている者は,決して先生はエリートぶった行動はなさらないことを,よく理解しています。しかし知らない方は,出身大学やその後の公務員生活等だけを見て,当然エリートと判断するでしょうし,そこをあらゆるところで「攻撃」材料とするでしょう。
先生には,大学を去った後もブログを続けていただきたく思います。しかし,そのような理不尽な攻撃にさらされることがしばしばあるのであれば,先生のご決断を受け入れなければ,と思っています。
でも,とても残念です。
ツイッターはブロックも自由ですし、そのアカウントユーザーにとって(僕の場合は)、意味不明なものや自分と極端に意見が違うもの、同じ考えと思われたら困るものは、相手の立場に関係なくブロックすることはあります。それはツイッターというサービスの特徴でもありますので、自由に選択してもよいのではないでしょうか?きっと僕もされているのではないかと思います(確認する術を知らないので、確認したことはありませんが)。
相手によって、いろいろな受け取られ方があると思うのですが、できれば継続を勝手に希望しています!
私も、毎朝、
先生のblogの更新を楽しみにしています。
私に、blogやtwitterを教えて下さったのが
先生です。
それが、あと1年で~との記事。
どよ~んと、
落ち込んだ気持ちになってしまっています
よほどのことだと感じています。
でも敢えて言うとしたら、笑福会の仲間のために
ブログは閉じないでほしいというのが私の正直な気持ちです。
100歩譲って、このブログは閉じたとしても、ミクシイの
ような、閲覧者を先生ご自身が限定できるものを
利用するなどして、私たちへの問題提起、意見交換の場を
残してくださるよう、お願いしたいです。