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「晋どん、もうここらでよか」

2007-09-24 15:13:43 | 西郷隆盛
今日24日は
西郷隆盛の命日です。
ことに
今年は、「西郷生誕180年、没後130年」の節目だという。
西南戦争は、西郷の死んだ1877年9月24日に終わった。

今朝の南日本新聞でも
昨23日、
「セゴドンのエンコ」(西郷どんの遠行)といって
生誕地からゆかりの地8キロを歩く行事に2600人が参加したとある(p21)。
その他、ちょうちん行列や音楽会(p22)の記事が。

加冶屋町の生誕の地、共研公園の旧居跡、陸軍大将の制服の銅像
などは何度か見ている。
今日は、まだ訪れていないゆかりの地を訪問し、お参りすることに。
まず、中央駅西口近くの武屋敷。
西郷が1869年から1973年まで住んだ。
当時の屋敷の半分ほどの敷地が公園として残る。
井戸の跡、庄内地方の中学校からの兄弟校の記念碑など。
隣接するマンションの洗濯物や幼稚園の雑貨を入れる部屋か
トイレットペーパーが積み上げてある。取りあわせが鹿児島らしい。

終焉の地の
近くに死の直前までこもったという洞窟。
その洞窟前には観光客の群れ。
客引きのおかみさんの声がしつこい。
洞窟から100メートルほど線路沿いに行くと
「終焉の地」の碑があった。
どなたかが、花を生けて清めていた。
ほんとうの場所は50メーターほど戻るとのこと。

有名な
別府晋介に介錯してもらった場所だ。

そこから
南州墓地へ。(前にいちど来ています)
ちょうど130周年記念式典がおわったところか
沢山の礼装の方が記念写真を取っておられる。
真正面に櫻島。
西郷自身の墓をはじめ、大山県令や庄内藩からの参加者の墓もある。
キエーイというすさまじい声につられて境内をゆくと
薩摩自顕流か、大人に混じって少年少女が木刀を振るっていた。

※このブログでは
8/25 に、佐高信の本のことで
8/19 に、映画ラスト・サムライをみて
西郷に触れました。
「鹿児島散歩」の今朝の記事に生誕地の人だかりについて触れていました。

(888字)
コメント (1)    この記事についてブログを書く
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1 コメント

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そうだったんですか?! (genesislife)
2007-09-25 23:36:52
 この記事を見て自分の撮った写真を見直すと確かにそうですね。セゴドンの写真を散々掲載しておきながら命日を知らないとは何とバチ当たりな話でしょう。

 ※大いに反省しました。

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