介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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第3893号 「認知症の人」といいますが・・gitanist氏の視点

2010-08-30 06:37:45 | 認知症
写真は、鹿児島県南さつま市加世田の竹田神社。8月27日昼過ぎ。



【その人のある部分にたまたま認知症の症状が出ているだけ】

「日本の認知症ケアはその入り口から間違っている。
認知症の人をケアするのではない、
その人のある部分にたまたま認知症の症状が出ているだけだ。」

* gitanist氏の発言として「笑わせてなんぼの介護福祉士」(2010.08.28)に引用されている。以下は、その引用記事へのgitanist氏の補足のコメントです。

コメントの補足を。認知症のAさんのケア、となると、「認知症」というフィルターを通してAさんをみるように感じてしまうんです。実際、そういうことが少なくないと感じます。ですので、Aさんのケアの中の、認知症状へのケア、という方がいいでしょう。

これは単なる言葉遊びとか順番の問題で済ませてはいけないと思っています。だから、認知症ケアって言葉も嫌いです。

もちろん、様々なケア論を一概に否定しているわけではありません。


【認知症一期一会】

認知症患者である水木 理氏の2010.08.29付けの記事:
言葉が書けるということは
私にとっては楽しいことで、気持ちがふくらんでいきます。

その気持ちを大切にしたい・・・。言葉を書いて、あることを知らせる。
認知症患者の私が、診断後五年がすぎました。
日々の言葉を書く・・ということがカンタンではないのです。
でも、私の仕事はブログの発信であり、お返事を発信すること。
 
言葉を紡ぐことは、頭を使うこと。そして、考えること。
新しい言葉をならべて、すこしでも言葉を紡ぐ。
平成22年8月29日の今日、やっとことで、自分らしい安堵。
このことばには・・・あまり意味はありません。
言葉の変換が出来なくていましたが、
できますようと、いのるばかりの今日です。

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5 コメント

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そもそも (又佐)
2010-08-30 07:01:13
僕の場合は、施設に入居者したときからあるいはショートで利用しはじめたときからの入居者との関係ですが、すでにその関係は支援者と利用者との関係になってしまいます。介護職であればなんらかの対応をしなくてはならない関係、それもとてもデリケートな体に触れての関係です。そこにはどうしても、不自由な困りごとを抱えている人として、その理由である認知症や疾患などに目が行きます。○○さんではなく認知症のある○○さんと、でもどんなに認知症があっても家族にしてみると、今まで育ててくれた大切な親であったり、妻であったりします。私たちが見落としがちな視点なのだろうと、全人的な視点はその「人」にあてられて、その人のヒストリーを大切にする、そこからの不自由さをみつけるところから始まるような気がしますね。
ほんとに大切なことです。
中身は、その人 (どりーむ)
2010-08-30 07:56:21
gitanisutさんのおっしゃることは、よくわかります。
私も「認知症の人」と話されたときは、
「その人が、たまたま認知症を患われたんだよね」と、
人を強調するように話すことがあります。

援助職に限らず、人は、
なんらかのラベリングをすることで、
安心する傾向があるように思います。
それは、その方が人に伝わりやすい、
という側面があるからではないかとも思っています。

看護でも、以前は「疾患別看護」が主流を占めていた
時代があります。
それが「全人的に人を看る」といった視点から、
看護診断といものが生まれてきた経緯があります。

それでも、疾患の特徴に応じた対応も
もちろんあるわけで、
人に伝える時にわかりやすいように、
認知症ケアというのもありかな?と思います。
しかし、その中で話をするときは、
その人が、たまたま認知症を患われた。
なので、どうする?と
その人中心に話をすることに、違いはありません。
当たり前のこと (bonn1979)
2010-08-30 14:24:34
又佐さな

どりーむさん

さっそくのコメントありがとうございました。

若い人は
こだわりがないので
本質をずばりいいますね。

それが多くの現場の方の共感を得る
そういう点を記録しておきたいと
考えました。
Unknown (JUNKO)
2010-08-30 23:24:59
そのお酒の席で田中さんもこんなことを仰っていました(酔っぱらっていたので正確でなかったらごめんなさい)
人間にはいくつかの顔がある、例えば会社の管理職、家ではお父さん、友達の前ではくつろいでいる人間、etc.etc.
生活の中で現れる顔はいくつもあっていいはずなのに、何か型にはまらないと「おかしい」と決めつけるのは良くない。
認知症以前に施設の中で「どの自分」が出ているかは自由なはずなんですよね。
人生歴や元々の性格、喪失感や人間不信で自分らしさを失った方も多いでしょう。
「認知症ケア」の名の元にその人の生活の自由を奪うのは人権無視に近いものもあるのではないかと思います。
私がある施設勤務の時に一番やりきれなかったのが「認知症フロアに入所している人が電話が出来ない」ことでした。
通信の自由さえ奪われる。
「息子さんが熱を出されていると知って家に電話をしたがっているのですが私がついているから3分だけ電話駄目ですか?」ときくと、看護師に「癖になるから駄目」と却下されました。
お母さんが息子を心配するのに、認知症も何も関係ない、私たちは「人」を「人」として見ていないのではないか?疑問を持つようになりました。
長くなってごめんなさい。
先生が取りあげて下さったブログは「認知症ケア専門士」の受験関係ブログでした。
私は介護職員が認知症ケアについて勉強することは必要だと思っています。
勉強して良かったと思っています。
認知症は深い (bonn1979)
2010-08-31 10:56:46
JUNKOさん

コメントありがとうございます。

本屋さんへいってみると
沢山の認知症関連本が。

鹿児島の家族の会の人たちから
お聞きすると
家族の認知症と出会って
人生が変わり
自分が抱いた不安と苦闘を
少しでも伝えていきたい
そのことによって
これからの人たちの不安を軽減したい
というお気持ちが溢れていますね。

文学などでも表現できないほど
深い世界が広がっています。

私自身
42歳で初めて認知症の方とお会いするまで
なんにも知らなかった。

義母の認知症が進んできて
田中さんやgitanistさんのいわれることが
やっとわかるようになってきました。

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