写真は、奄美の秋名の一番桜。光の中で 2009.12.25 よりお借りしています。
厚生労働省は、12月25日付で、少子化対策の資料を発表しています。
社会保障審議会少子化特別部会
これまでも、このブログ(下記にその例)で厚生労働省の検討資料を紹介していますが、昨日の資料は、これまでの議論の整理をしているので参考になります。
第2931号 2009.05.26
第2356号 2009.02.25
第1917号 2008.12.01
第1633号 2008.10.01
第3371号 2009.12.08 で触れましたが、人口構造の変化は長期的な要因によるもので、いま政策が実施されたとしても本格的な効果がでるのはうんと先のことです。
児童手当法が成立したのは昭和47年=1972年でしたが、この法律が成立するまでは紆余曲折があり、当時の日本社会は財界をはじめ児童手当制度には反対か消極でした。ILO国際労働機関が定める社会保障の最低基準(102号条約)との関連で、専門家の間では長くその必要性が論議されてきたのです。
*昭和46年当時、たまたま私は、厚生省(当時)大臣官房総務課審査係長として、児童手当法案の厚生省の審査責任者として、制定の経緯や問題点を知る立場にありました。厚生省案を内閣法制局に説明するために原局(児童家庭局)の担当課長に随行して陪席していました。Y参事官から原案の問題点を指摘されたことが昨日のことのようです。
平成22年度から発足する「子ども手当て」は名称はともかく児童手当法を継承するものです。1960年代に専門家の間では真剣に検討されたのですが、政治が正面からとりあげることはなく50年が過ぎました。
50年たってもやればいいのでは?と思われますが、ブログに表明されている意見では反対論も根強いようです。
昨夜のBSフジPRIME NEWS は、新政権の方向について、論議していましたが、日本社会の長期方向が示されないことが問題点として指摘されていました。50年前の政策手段をいま採用することの危うさを感じます。
少なくとも「50年前に政治が決断すべき問題」を「行政的な専門知識で問題を整理する」ことでは解決しないと思います。「少子化」は、解決課題ではなく、政策の結果であることを重く受けとめる必要がありませんか?
すでに日本の人口は減少過程に入っていて、これが回復軌道に乗るとしてもやはり50年といった長いタイムスパンが必要です。
厚生労働省は、12月25日付で、少子化対策の資料を発表しています。
社会保障審議会少子化特別部会
これまでも、このブログ(下記にその例)で厚生労働省の検討資料を紹介していますが、昨日の資料は、これまでの議論の整理をしているので参考になります。
第2931号 2009.05.26
第2356号 2009.02.25
第1917号 2008.12.01
第1633号 2008.10.01
第3371号 2009.12.08 で触れましたが、人口構造の変化は長期的な要因によるもので、いま政策が実施されたとしても本格的な効果がでるのはうんと先のことです。
児童手当法が成立したのは昭和47年=1972年でしたが、この法律が成立するまでは紆余曲折があり、当時の日本社会は財界をはじめ児童手当制度には反対か消極でした。ILO国際労働機関が定める社会保障の最低基準(102号条約)との関連で、専門家の間では長くその必要性が論議されてきたのです。
*昭和46年当時、たまたま私は、厚生省(当時)大臣官房総務課審査係長として、児童手当法案の厚生省の審査責任者として、制定の経緯や問題点を知る立場にありました。厚生省案を内閣法制局に説明するために原局(児童家庭局)の担当課長に随行して陪席していました。Y参事官から原案の問題点を指摘されたことが昨日のことのようです。
平成22年度から発足する「子ども手当て」は名称はともかく児童手当法を継承するものです。1960年代に専門家の間では真剣に検討されたのですが、政治が正面からとりあげることはなく50年が過ぎました。
50年たってもやればいいのでは?と思われますが、ブログに表明されている意見では反対論も根強いようです。
昨夜のBSフジPRIME NEWS は、新政権の方向について、論議していましたが、日本社会の長期方向が示されないことが問題点として指摘されていました。50年前の政策手段をいま採用することの危うさを感じます。
少なくとも「50年前に政治が決断すべき問題」を「行政的な専門知識で問題を整理する」ことでは解決しないと思います。「少子化」は、解決課題ではなく、政策の結果であることを重く受けとめる必要がありませんか?
すでに日本の人口は減少過程に入っていて、これが回復軌道に乗るとしてもやはり50年といった長いタイムスパンが必要です。
日本は…とりあえず先送りにつぐ先送り。多分近い将来の最悪のシナリオは間違いなく避けられないでしょう。
あのとき、こうすればよかった…という後悔の日々が訪れるでしょうか。