への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

日本大正村に行きました 明智

2023年09月18日 | 散策

への次郎 「着きました

奧さん  「明治村というのはあるけどね…

 

ここは岐阜県恵那市明智町です。古い町並みや建物が残っていて、日本大正村を名乗っています。

 

無料駐車場の近くにあった観光案内所で、観光マップをもらって、

散策ルートを確認。

 

さぁ、出発! 

まず直進し、突き当りを右にのぼって行き、そこから下りて来て、右に迂回しながら戻って来ることにしました。このコースが古い街並みを効率よく見学できるようです。

 

観光案内所のちょっと先、明智川に架かった橋です。

橋を渡ると、

 

路地があって、大正路地といいます。

黒い防火壁の石畳

ここをまっすぐ進み、南北街道を横切ってさらに行くと、

 

突き当りの手前に古い建物。日本大正村役場です。

この建物、明治39年に建てられた旧町役場の庁舎です。

建物の中はとても狭くて、初代村長高峰三枝子さん、二代目村長司洋子さん、現村長竹下景子さんなどの写真が飾ってありました。

 

その先の突き当りにあったのは、絵画館

明治10年に完成した元小学校。その後、警察署、商工会議所として使われました。

ここも狭く、当時の小学生、少なかったんでしょうね。絵画や書物等の展示がありました。

 

絵画館から道を右にのぼって行くと、

奧さん  「えっ?! あれ?

への次郎 「ヒガンバナだよ。オレンジ色の、早いね

 

さらに進むと、ありましたモダンな洋風建築の大正ロマン館

平成6年オープンの建物で、明智や大正村に関する企画展を年数回催しています(有料)。

 

への次郎が期待していたのは、その右奥にあるこちら、旧三宅家です。

ここ、古いですよ。江戸元禄元年に普請された建物で、近くから移築されたもの。ケヤキをふんだんに使ったカヤ葺き平屋住宅でした。

この日午後、三田寛子さんの息子が主演する映画のロケがあるとのことで、一通り説明を聞き、退散しました。

 

来た道を引き返し、南北街道におりて来ました。

この通りを向こうに歩いて行くと、

 

郵便局の手前に、通信資料館がありました。

明治8年に開局した旧郵便局。左手前に窓口、奥が事務所です。

展示されていた資料によると、明治32年の職員は局長、局員2、配達人3でした。

 

旧郵便局のはす向かいにあったのは、大正村資料館

右が銀行蔵、左が大正の館。館内には大正時代の資料が多数展示されています(有料)。

 

大正の館の隣りに、

奧さん  「ほら、あれ! 明智光秀の家紋じゃない?!

への次郎 「ここは光秀の生誕地とされているからね

 

その先で右に外れ、狭い路地を入って行きました。

 

すると前方に、うかれ横町の看板!

奧さん  「何だろう? あれ

への次郎 「左右の家を結ぶ渡り廊下のようだね

 

明治から昭和初期にかけて、ここ明智は養蚕・製糸産業で栄えたそうです。その当時、この路地は、多数の飲食店が立ち並んだ繁華街だったそうですよ。

 

うかれ横町を通り過ぎて、右に迂回して明智川沿いに出てきました。

川沿いを進むと左前方に、神主さんの袴の色をした屋根が見えてきました。

 

観光駐車場の隣りにあった大正浪漫亭です。

レストランや喫茶店、土産物屋さんが入っていて、

への次郎愛用の茶づけみそも売っていました。一袋購入。

 

この日の気温は35度前後!

あまりの暑さに、昔懐かしい棒アイスを買ってベンチでなめていたら、

 

奧さん  「何? これ

への次郎 「ん??

日陰をつくってくれていた木を見上げたら、2センチ大の真っ赤な実。ヤマボウシでした。

 

日本大正村。大正村といっているけど、明治時代の建物が多数残っていました。