すでに霊は死んでしまっていますが、肉体の慣性と煩悩の火によって、後少しの日々を生きている人もいます。
しかし、それもやがては消滅してしまうでしょう。
私たちは、皆、肉体のはかなさと人間的欲望の空しさに、そろそろ気づかなくてはなりません。
そこに気づかない限り、人が生来の罪人であることを止め、永遠の世界に入る資格を与えられることは決してないからです。
肉体や欲望とは異なり、ひとり霊だけは永遠に近しいものです。
正確には、それは二つの循環する永遠に近しいものの一部をなしています。
それは、陰陽、善悪の二面からなる永遠に近しいものです。
それは善なる霊と悪なる霊の、二種類からなりますが、善なる永遠に近しいものの霊の数があまりに極端に少ないため(というか、ほとんどゼロに近いため)、
はっきりとした事物・出来事として「現象化」(顕現)することはなく、ゆえにこの〈世界〉ひいては〈宇宙〉は、人間の目には「単一」の〈世界〉〈宇宙〉として映じているのです。
善なる世界は、よって今述べたような理由で、私たちの目には見えません。
見えませんが、それが無いというわけではないのです。
有るけれど目には見えない、ということです。
また、それは潜在である以上、この顕現世界に対して強い力を持つことはできません。
しかし、それは目に見えない世界が非力というわけではないのです。
逆に、その見えない世界には、まだ誰にも使われていない無限のエネルギーが埋蔵されています。
そこにアクセスし、秘められたその扉を「鍵」で開くことができれば、私たちはこの世界のコードに規定された法則を越えた「奇跡」を手にすることができます。
ただ先にも書きましたように、そこは善なるもの(義人エノクの一団)だけがその一部となれる隠された世界ですから、
悪しき心を持った人や、あるいは善を目指してはいても、まだまだ十分に心身を浄め切れていない人は、そこに(自力で)アクセスしようとしてもできません。
[だからこそ、私たち人間は、唯一神への全き帰命を通じてのみもたらされる人間の自力を越えた神的なる《絶対他力》に与ることでしか、決して救われることはない(コードを越えることはできない)のです]
なぜなら、万物に等しく備わる〈波動〉というものは、カルマを別にすれば、宇宙の根本自然原理に従って、必ず自分と同種のものと引き合うことになっているからです。
しかしカルマは、その法則の存在を人間の目から隠すために、宇宙の根本法則からすれば極めて「不自然」で「不条理」な現象を、ごく当たり前のように(魔界コードの力によって)意図的に引き起こします。
一例で言えば、物すごい極悪人が、非常に裕福になり、幸せな生活を送る…などです。
[ただ、それを誰の目にも明らかな〈一般現象〉として引き起こすことは魔界もしませんし、エネルギー(マナス)経済的にもリスクが大きすぎて出来ません。なぜなら逆に、不条理なことをやり過ぎてしまえば、人はそのことを契機としてかえって隠された真実の存在に気づき、大多数がそれを必死に求め出す可能性があるからです。つまり、蛇がやぶ蛇になる恐れがあるため、さすがの魔界も適当な所でとどめるということです]
ですが、それは宇宙の根本法則に違背した現象ですので、結局はその「反動」が、カルマとなってその「大元」にはね返り、その人を滅ぼすことになります。
悪のコードが作り出した不自然な状態は、そのいびつな反逆劇に出演している俳優や女優を、最後は一人残らずそのカルマのはね返りによって打ち砕くのです。
それが《全国的》、《全地球的》規模で訪れる時は、いまや遂に、日々刻々と近づいています。