天瀬ひみかのブログ 『不思議の国のAmase』 AMaSe IN WONDeRLaND

僕たちの旅、ここではないどこか、幸福な場所へ。

運命とは、宝クジのようなものです。

2017-02-19 21:17:06 | 日記

それは、幸運(アタリ)と並運(雀の涙程のアタリ)と不運(ハズレ)によって出来ています。

それは、私たちの知っている宝クジと一緒で、極めてまれな幸運(当たり)と、少しばかりの並運(雀の涙程の当たり)、そして、あとの圧倒的大部分が不運(外れ)で出来ています。

この幸運(当たり)の中には、さらにわずかな物凄い大当たり(1等)があり、不運(外れ)の中には物凄い大外れ(最凶最悪の不運)もあります。

ただ、宝クジと同じで、その物凄い大当たりを自分の元に引き当てる人も極く少数います。

※ただし、大当たりのクジの元々の数自体が絶対的に少ないので、仮に最高に運強い人がいたとしても、その数が増えれば増えるほど「当たる確率」は低下します。つまり自分がいくら運強いからといって、それは当たりクジを引き当てられる何の保証にもなりません。結論から言うと、人の言う「運」なんてものは、ただの後づけの結果論(こじつけ)です。たとえば、誰もが羨む億万長者がいた場合、その人は、その時点では周囲の誰からも運に恵まれた人と思われるでしょう。ですが、ある日突然破産したり、強盗に刺し殺されたりでもしたら、人々は簡単に前言を翻して、「ああ、あの人は運がなかったんだねぇ…」と言うでしょう。

しかし同様に、物凄い大外れを引き当ててしまう運の悪い人もいます。

つまり、幸運にしても不運にしても、必ず誰かの元には行くことになっているのです。

ただ、先にも書きましたが、幸運は圧倒的に少なく、不運は圧倒的に多い…。

よって、この世界は、最後まで幸運に暮らせる人はほとんどおらず、くる日もくる日も不運に絶えて暮らさなければならなかったり、あるいは、自分は運良く幸運に暮らせていると思っている人でも、ある日突然恐ろしい不幸に見舞われたりするのです。

数日前、マレーシアの空港で、金正男氏が、北朝鮮の工作員に暗殺されました。わずか数秒の犯行だったと報道されています。多くの人が行き交う空港で、簡単に命が奪われてしまったのです。

もし金正男氏の正確な出生時間が分かれば、それでホロスコープを立ててみれば、必ず「悲劇」の「悪運」の恐るべきコードが、彼のいま現在の年運か、月運、またはその両方にはっきりと出ているでしょう。

「運」なんてものはありません。「コード」と、それにコードされたカルマの「プログラム」(シナリオ)があるだけなのです。

それがこの世界(3次元)の真実です。

暗殺のコードが出ていれば、その時、そのVIP(ターゲット)は、どうあっても暗殺されます。

交通事故のコードが出ていれば、その人は、どれだけ注意しても交通事故に遭います。

がんのコードが出ていれば、その人は、いくら健康に気を使っていてもがんになります。

自殺のコードが出ていれば、その人は、自殺します。

このコード(プログラム)は、4次元(魔界)が決めて、作成し、私たち3次元の存在に勝手に押し付けています。

魔界は、この地球上で、闇(悪)が勝利することを望んでいます。

ですから、基本的に、当たりクジは、善人や善人寄りの人に回らないように意図的にセットされています。当たりクジ(幸運)は悪人に回り、外れクジ(不運)は善人に回るようになっているのです。

従って、悪人の金正恩が、より善人に近い金正男氏を殺す側に立ち、自分が善人の金正男氏に殺される側に置かれるなどということは、コードの基本法則(性質)の観点から言うと、まず起きることはないのです。

ただ、もしアメリカや韓国が「斬首作戦」によって、金正恩の「除去」(殺害)を成し遂げたとしましょう。

そのこと自体は、北朝鮮の一般市民や、極東・アジア地域の安定と平和にとっては、間違いなくこの上ない善です。

では、この場合、そうした悪人(=金正恩)を殺したアメリカと韓国は善である、と言えることになるのでしょうか?

実は、答えは「ノー」です。

なぜなら、コードの基本法則では、(善人が悪人に殺されることは普通にあっても、逆に)悪人が善人に殺されることはないからです。

※ただ、ここでは詳述しませんが、6:3:1の法則というものがこの宇宙には存在しており、悪人が善人に殺されることが10%以下の確率では潜在しています。しかし、それ以外の90%は常に悪人のほうが勝つのです。ただ、通常のプログラムにおいては、善人が10%以下の確率内で、仮に一時的に悪人を「成敗」できたとしても、残りの90%のマナスによって、その人は勝者のままでいることはできず、ほどなく負けることになっているのです。さらなる特殊な例外もあることにはあります。つまり、善人が最終的に悪人に勝つ、または、不運のすべてに打ち勝つという奇跡的な例外です。ですが、それを実現できるのは、その人が4次元のコードプログラムを越えた場合だけです。それはこの世界で《奇跡》と呼ばれる範疇に属するもののことですが、ここでは紙幅の都合により詳述しません。

よって、この場合、金正恩を殺害したアメリカと韓国は、実は金正恩以上の大悪人だった(アメリカに比べれば、金正恩はまだまだ未熟な小悪党だった)というのが真実なのです。

悪党も、上に行けば行くほど、悪党らしく見えないものです。いえ、逆に紳士・淑女、篤志家・慈善家の仮面を巧妙に作り、それを自らの本性の上に身に付けるのです。

さて、幸運と不運、善と悪の話はいったんこの程度にして、またクジの本質、運と確率の話に戻ります。

たしかに、「最悪の不運」というのは、「最高の幸運」と同じく、誰にでもいつでも訪れるものではありません。

しかし、その最悪の不運は、確かに誰かの元には必ず降って行くのです。そしてその数は、とてもやりきれない現実ですが、幸運の数と比べればはるかに圧倒的に多いのです。

昨日も今日も明日も…そして、いま正にこの瞬間も、その不運は確実に誰かの元に回ります。

ちょうど数日前、クアラルンプール国際空港のロビーを、まさかこれから自分が殺されるとは夢にも思わずに歩いていただろう金正男氏の元に回ったように。

まさしくジョン・レノンが「インスタント・カルマ(カーマ)」で歌っているように、「カルマはあなたを不意打ちする」のです。

私たちがコードを超えない限りは、その不意打ちを逃れることは誰にもできません。

東電や、東芝や、ソニーや、ダイアナや、ヒラリーや、金正男氏が、あるいは、古今東西の皇帝や武将たち、仏陀やキリストでさえ、それから逃れることができなかったように。

組織も、金も、名誉も、人の善さも、権力も武力も、慈悲も赦しも、コードの無差別性の前では、「絶対的に無力」なのです。

まず私たちは、その現実をしっかりと認識した上で、「コードの向こう側」にある真の光(グノーシス)を目指して、歩き出すべきなのです。







〔補遺〕このジョンの歌詞の部分は、まさしく事実で私たちがいつも覚えておくべきことです。ただ、私がレノンの一部を引用したとしてもその歌の歌詞全部を正しいと言っているわけではないことを念のため記しておきます。あの歌の歌詞は、光の子には(大体)あてはまるとしても「誰も」に当てはまるわけではない表現がたくさんあります…。それに誰もが太陽や月や星のように輝いているわけではありませんし、そうした光を消し滅ぼそうとする魂を持った人のほうが多いのがこの世の現実ですし、それにもっと高次元の真実を言うとすれば、太陽や星や月が発する光(純粋[無為即自然のバージン]エネルギー)は、この世界に届くまでの間に4次元魔界によって、そのほとんどが悪の力(エネルギー)に変成されますので(魔界コードによるアストラル・ゲートをそれらアストラル・ライトが通過する時点で悪の力に変化させられる)、単純にそれを恒常不変に良いもののように言うことは実は真理とはほど遠いのです。まあ、星、月、太陽の光は、美しく、慰めとなり、偉大な力強きものであることは間違いないのですが。ただ、それらの光を見る分には…。たとえば、歌詞の意味を特に深く考えずにジョン・レノンの歌を聞けば、それはそれでとてもいい感じではありますからね…。



〔注釈〕インスタント・カルマは頭を撃ち抜きます。それはまさにコード115「強固な意志を持つ男の頭に向かって、超越的な力が一直線に飛来する」に表現されている通りです。このコードは、ジョン・F・ケネディが狙撃された日に進行法で来ていたコードです。つまり、その時期にケネディが撃たれることは、最初からコードに示されていたのです。また、ケネディの出生のコードには、コード161「豪華なホテルのテラスから見る、大気汚染のために霞がかった街の風景の一部に含まれている、渋滞した車の長い列が彼方まで伸びている光景が、幾つものビルの陰に隠れているために見えない風景」があり、このコードを見れば、オープンカーに乗ってパレードなどとはあまりに危険すぎる行為であることが分かります。つまり、コード115とコード161のフュージョンを考えれば、「車に乗ってパレードしている時に頭を狙撃される」可能性が極めて高い確度で存在することが分かるわけです。では、たとえば、もしあらかじめケネディがこのコードを知っていれば、狙撃を回避することができたでしょうか?実を言えば、それは様々な理由で大変難しいのです。その理由のすべてを細かく説明するとなると大変な時間がかかるので、全部を書くことはできませんが、少しだけその理由を挙げましょう。たとえば、ケネディがコードを事前に知って、「ではパレードを中止しようか…?」と考えたとします。ですが、コードにそのようなプログラムがある場合、どうしてもパレードすることを選択しなければならないような状況に追い込まれるのです。そして、そういう強固な圧力が周囲からかかった場合、99%の人はこう考えてしまいます。「もしかしたら、自分の心配し過ぎかも知れない。だって、このコードが別の形で出ることだってきっとあるのだろうから」「いや、狙撃されるなんて、よくよく考えてみれば、それは滅多には起きないことだ。確かにその可能性はゼロではないだろう。だが、それがよりによって今日である、という確率を考えれば、多分ゼロに近いだろう」。…このようにコードの警告をあれやこれやの理屈を作り出してスルーしてしまうのは、一重に人が、「いままだ起きていない未来を、すでに起きたこととして知覚実感することができない」が故なのです。実際問題で言えば、ケネディのホロスコープでも、ダイアナのホロスコープでも、そこにある惑星の度数をコードシンボルに置換すれば、まざまざとその悲劇に至る伏線とその悲劇の時の状況がそこにくっきりと浮かび上がります。最初からそうなることが決められていた、ということが明確に理解できるのです。ですが、コードにはスペクトル(現象化様態の幅)という属性があります。これによれば、「コードが何かそれとは違う別の形で出る」ということがあり得ることにもなるのです。ですが、それぞれのコードにはそれぞれに特徴なベクトル特性(主要な現象化形態)があるのでそのスペクトルの範囲と現象化のパターンはそれらによってある程度限定されます。簡単に言えば、「暗殺コード」が来ている最中に、仮に暗殺されなかったとしても、その代わりにすごくラッキーなことが起きるということは絶対にないのです。ある「暗殺コード」(この場合はコード210)のスペクトルには、たとえば「崖から転落する」「階段で足を滑らせて転ぶ」「通り魔に頭を殴られる」「学校や職場でとんでもなくひどい仕打ちを受ける」というものも含まれます。もしそのコード210が来ている人がVIPではない民間人であれば、逆にそうしたことの危険のほうがよほど高いことになるわけです(民間人がわざわざ誰かに暗殺されることはまずありませんので)。ですが、ケネディや金正男のようなVIPであれば、逆に「階段で転ぶ」よりも「暗殺」の可能性のほうがはるかに高くなるのです(社会的成功者のようにエネルギーの高い人は、現象化もよりドラマティックになる傾向があります)。ですので、そのコードがどういう現象化を起こす可能性が最も高いか?という判断をより正確に行うには、その人の職業までも含めたトータルな解読が必要になるわけです。