伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

時間差に負けるな!

2009-08-17 10:04:50 | Weblog
神棚への参拝の極意は、「日々の水交換」と「榊の御世話」と言う「作業」と、自分なりの感謝の気持ちを神棚に捧げる事です。
この「作業行為の蓄積」と「感謝の磁気の蓄積」は、外在する神棚に向けられているのですが、霊的には自己の内面への呼び掛けをしている事に成ります。
自分自身が外面に対して発した事は、自分の内面に帰る法則が現実界にはあります。
ただ、反射して自身に帰る間に時間差が存在するので、関連性とその「現われ」が分からないだけです。私たちは、この「時間差」の為に色々な勘違いをします。
例えば、「あんな悪人が元気で良い生活をしている。神様は居ないのか?」などと言う人がいます。
これは悪行が本人に帰る時間差がある為に発生する勘違いです。長い目で見れば、必ず本人に悪行の反射の報いは帰ります。短い期間だけを切り取って判断し、神様まで否定するのは悲しいことです。運の良い人は、今生内に因果の帰着が起こりますが、死後に持ち越す人もいます。

「正しい信仰や善行をしたところで、自分は病気で苦しいままだ。こんな事をしたって意味ないよ」と思う人も居るでしょう。
これも、反射までの時間差に負けた人です。
自分が努力した事に対して見返りの期待をする限り、「まだ~?」と成ってしまいます。
期待せずに、たんたんと努力を重ねて行けば、白紙の未来は過去に努力した因果の波動が波のように打ち寄せます。
継続した過去の努力は、継続した因果の波を切れ目無く未来に干渉します。途中で努力を止めれば、未来も途中で変わります。

先祖供養の極意も、「先祖の為の供養」を継続する事が大切です。自分の為の先祖供養は、効果が無いので途中で止める事に成ります。
先祖と言う対象に与えたモノは、必ず自分自身に帰るのです。困る先祖が居れば助けたいと思う
慈悲の心は、結局は自分自身を救います。自分が発した慈悲心に、自身が救われます
外在する神仏への正しい感謝の信仰は、自分に内在する神仏を目覚めさせます。
ここで金銭と交換に悪人教祖に委託する間は、自分に内在する尊い存在に気付く事が絶対にできません。
先祖霊1体にナンボ?・・・この様な地獄の沙汰も金次第の信仰は、本当に地獄界の信仰です。
先祖霊を地獄に送り込み、自分自身の神性を亡くす信仰です。

あの世に同行してくれるのは、自分の良心(=内在神)だけです。財産も地位も同行してくれません。
この世では好きな行動の選択ができるのですから、せめて弱いなりにも自分の良心を育てる努力をしたいものです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (578)
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