伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

どこでも修行可能

2009-08-28 09:46:00 | Weblog
私には忘れられない会社の上司が一人居ます。
もう既に定年退職されているので、今は会社には居られません。その方は正社員ではなく、個人
契約の社員でした。学歴が無かったので正社員には成れなかったのですが、技術力を買われて
長年勤務されていました。
その上司は、御客さんからの信頼が会社の中で一番厚かったのです。何故なら決められた契約
以外の御客さんの要望を陰で叶えて上げていたからです。普通の社員ならば、それは別料金だとか、出来ないと簡単に返答するのですが、この上司はサービス残業をされていました。
ただ、この様なスタンドプレーで業務の進捗に影響すれば、首になりかねない勝手な行為としか
管理職からは評価されません。でも再契約を獲得できていた本当の理由は、その人の無償の奉仕の御蔭だったのです。
担当営業は、この事を知っていても自分の営業力の手柄にして会議では言いません。現場の事情を知らない管理職は、数字を上げた営業マンだけを評価して、製造に関る人間を気に掛けてはいませんでした。
私は良く、この上司と客先に出向きました。
客先で厳しい要望が出されるほど、私の顔は引きつりましたが、上司の目は笑っていました。
この人の目が笑う時は、底知れない力が本人から湧いて来ている事を何度も感じました。
これは無理だと思われる難局を、何度も共に乗り越えたものです。本人は気付いていませんでしたが、長年に渡り奉仕の精神を維持して仕事に打ち込んだ結果、ある種の達成力を身に付けていた人物でした。
彼は社会の仕事の中で他人と触れ合いながら、違う意味での滝行や霊的登山をしていた修行者だったと思います。
上司が言っていたのは、御客さんの立場で考える事と、思い遣りを持つ事でした。
宗教的な求道をしなくても、社会の中で他の為に真剣に生きる事は、より早く大いなる存在の慈悲に触れる近道だと思います。
小さな家庭の中でも、比叡山の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)に劣らない修行がいくらでも存在します。
仕事や家事を惰性で行なえば、ただの苦しみになり、感謝できる視点を維持しながら行なうと立派な修行に成ります。
同じ時間を経験するにしても、大きな違いが魂に刻まれます。
信仰の教団に入って、ワーワーと呪文と御金を幾ら差し出しても、何の修行にも奉仕にも成りません。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (635)
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