伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

神を預かるプライドを持つ

2009-12-29 09:48:48 | Weblog
よく世間では、「私は弱い人間だ」「自分はダメな奴だ」と言う人がおられます。
人間は、みな弱いものです。強い人間など、この世に居ません。これは、「自分を知っている」と言う意味では良いのですが、
「弱い・ダメ」で済ませている事が一番生けないのです
このような自分を卑下する言葉が出る内は、まだ自分自身に「出来る事があり」余裕があるものなのです。
例えば、深刻な病で長期入院をしている人を見舞いますと、本当に弱っている肉体の中で必死に戦っておられます。
人間は本当に弱くて苦しい段階に成りますと、上記の様な分かり切った言葉は出ません。
人間は本当に弱く・ダメに成りますと、本能=内在神から「必死さ」が発露して来ます。その様な極限な状態を体験する以前に、普段から「必死さ」「真剣さ」が人間には必要なのです。
人生の大きな目的には、各人がこの世で「内在神を発露させる事」が1つに在ります。
この法則が存在するので、生活の中に「必死さ」「真剣さ」が不足していますと、これを出させる為に自分の本能が不運を敢えて呼び込む傾向があります。わざわざ痛い思いを経験しない為には、普段から良心に沿って真剣に生きていれば良いのです。
運気の強い人は、表面的には楽そうに見えても、陰では努力しているものです。

すべての人間は、自分の心に太陽の分霊=内在神を預かっています。自分の心に神様が住むのです。
本来は、内在神と自己の魂は一体なものですが、この現実界の次元で肉体を有する間は「預かる」に成ります。
この世の自分が、どんなに惨めでダメな生き方を選択していても、この世に居る間だけは神様の分神と共に生きています。死後に、内在神との分離に成るのか、融合かの分かれ道が在ります。
内在神=「心の良心」として、自分の生活の中で誰もが会話をしています。
可哀想な人を見かけますと、たとえ行動には出なくても「可哀そうだ、何か出来ないかな」と良心=神様と向き「会っています。
この会話が進みますと、会話が消えて行動と成ります。これが「カンナガラ」な状態です。
カンナガラも深まって行きますと、自分の生活そのものが「神の意思の表現」と成ります。
誰でも既にカンナガラです。だた、一体感の深さに違いがあるだけです。
短い人生ですから、滑稽なほど何事にも必死=パッションで生きるのも良いものです。

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コメント (416)
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