伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

神は細部にも宿ります

2010-06-11 10:17:15 | Weblog

「神は細部に宿る」とは、ドイツ生まれの有名な建築家が好んで使った言葉だとされています。
建築とは、ほんの些細な細部に欠点があれば、全体の印象を落としかねないデリケートな面はあります。細部まで配慮された物は、何でも気持ちが良いものです。
南方熊楠(みなかたくまぐす:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0)
)も、顕微鏡を通して粘菌の世界を観察し続けた結果、超緻密な規則性と不可思議(菌の不死性、瞬間移動などなど)を確認をして人生観がガラリと変わりました。
熊楠は知の巨人と呼ばれたほどの、英国でも評価された合理的思考の科学者です。
その彼が、粘菌の動きの中に神様の実在を確認したのです。神の存在を否定する方が、合理的では無いと結論したのです。
その結果、彼がした行動は神社と森林の保護でした。これは生半可な活動では無く、強硬手段に訴えて投獄されるほどの活動でした。

この世のすべては、たった1つの神的な存在の反映であるのは確かです。
だから、神社や教会でなくても、社会の中に神性の発露を見る事が出来るはずです。
それらに共通するのは、「思いやり」や「情け心」だと私は感じます。
神様は細部にまで宿っています。
だから神様を感じたい時は、人工の宗教組織や教義に頼るよりも、日常生活の中の何気ない瞬間に神性を見る機会は常に在ります。

だから、あなたの隣に怖くて意地悪な人が居ても大丈夫です。その人物を含めて、その中で自分が生きる事により、人の情けや有り難さ・優しさに逆に気付きやすく自分が成るのです
自分が小さい事に悩んでいると苦しまなくても良いです。
それも決してムダでは無いのです。
私が幼児とお菓子の取り合いをして、最後に幼児の方から「これあげる」とヨダレの付いた手で渡されますと、やはり幼児なりの情け心に神性を感じます。
神を見たい時は、日常の中に「既に」神性が在りますから、自分から気付くだけです。

だから、どんな悩みもムダに「しては」生けません。
自分自身が神性を発露させる機会が来ているとも言えるのです
人生には必ず区切り(死)が来ると言う意味は、逆に言えば、どんな事でも耐えられると言う事です。
期間限定ですから、永遠に継続する苦しみなど絶対に無いのです。必ず嫌でも変化して行きます
神様はすべてに遍満(へんまん:隅々にまで行きわたる事)して居ますから、逆に小さい悩みや出来事にも丁寧に注目すれば、神様が隠れている事に気付けるかも知れませんよ。
神様は、隠れんぼが得意ですから。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

応援して下さる方は、この3箇所をクリックして下さい。
クリックして現れるランク一覧の中から伊勢白山道を押してね。
携帯からクリック出来ない場合は、
http://www.geocities.jp/poriporry/m/ 

初めての方は、まずCATEGORYの「初めての方へ」、先祖供養については
BOOKMARKの「短冊と線香による先祖供養ダイジェスト」をお読み下さい。
携帯からアクセスの場合はアーカイブの中にCATEGORYがあります。
私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。
タイトル名に必ず、質問、と記入してください。


*雷の落とし子「森羅万象 3」が誕生しました。
(アマゾン予約:http://www.amazon.co.jp/dp/4766784685

コメント (617)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする