経営コンサルタントへの道

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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-9 経世済民 経営者に求められる率先垂範 世の中を立派に治め、国民の苦しみを救う政治家

2024-06-01 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-9 経世済民    経営者に求められる率先垂範 世の中を立派に治め、国民の苦しみを救う政治家 

 

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

■1-9  経世済民    経営者に求められる率先垂範
~ 世の中を立派に治め、国民の苦しみを救う政治家 ~


 社会生活をする上で、人の上に立ってリーダーシップを発揮しなければならない立場に立たされることがあると思います。人の上に立つというときに、「経世済民(けいせいさいみん)」という言葉も意識したいと思います。
「経」という文字は「経営」とか「経済」をはじめ私たちはしばしばこの「経」という文字を使います。「経」は、「きょう」と読めば「お経」を連想するように、仏様の説いた教えを記したものです。「けい」と読むと「ものごとの筋道(広辞苑)」を指します。
中国では「経」という文字をしばしば「治める」という意味で使い、ここでも上述とは異なって、「治める」という意味で使われています。「済」は「救済」という言葉にも使われますが「済」は「救う」という意味です。
 すなわち、「経世済民」とは、「世を治め、民を救う」と読むことができ、「世の中を立派に治め、国民の苦しみを救うこと」を意味しています。「安寧秩序(あんねいちつじょ)」の国、すなわち世の中が平和で、安心して生活できる秩序ある状態が持続するという四字熟語にも繋がります。また「五風十雨(ごふうじゅうう)」という四字熟語のように「穏やかな気候」ということから「世の中の平穏無事」を例える言葉もあります。
 逆に「苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)」は「税金や年貢の取り立てが厳しい」ことをいい、そのような過酷な政治、企業で言いますとブラック企業のような経営は慎まなければなりません。因みに「苛」は、苛酷という言葉にありますように「ひどい」という意味です。「斂」は、レンズの焦点に光が「収斂」するという言い方からも推量できますように、税金などを搾り取るようにして集めることです。「誅求」は「責めて求める」こと、すなわち厳しい取り立てをすることです。
 日本には「政治屋はいるけど、政治家はいない」ということを時々耳にします。その違いについては、私は良くはわかりませんが、ニュアンス的にはわかるような気がします。国民のことを考え、政府がリーダーシップをとれていない昨今の政府や国会議員をはじめとし、行政を司ったり、関係したりする人達は、全てがそうであるわけではないですが、概ね自分達の権力闘争に明け暮れしています。判断基準が自分達に有利になることにしかないように思えます。
 隣国の韓国では、政府・大統領が率先して国のICT(IT)化や海外展開を促進したり、外国との関係強化を図ったりしています。日本は、領海問題をはじめ多くのグローバル対応が迫られているにもかかわらず、国内外問題を無視しながら内向き思考の状況が続いていると言っても過言ではないです。「経世済民」をきちんと掲げ、地道に持続させ、国民が安心して生活できる「政治家」が出現しないものでしょうか。
「経世済民」は、政治だけの問題ではありません。これは企業でも言えます。経営者が社員のため、ユーザーのため、ステークホルダー(企業関係者)のために経営や管理をきちんとしていくことも経世済民に繋がるのです。
 余談になりますが「経済」という言葉は「経世済民」の短縮形であるとも言われています。
 本書別項でも挙げていますが、企業の経営者と話をしていてしばしば聞くことの一つに「うちの社員はダメ社員ばかりで、俺のいうことが少しも実行されない」などという嘆きの言葉です。
 「良禽択木(りょうきんたくぼく)」という言葉があります。賢者は賢君に仕えるともいいますが、できる社員はできる経営者を選んで仕えるということをこの経営者は忘れているのです。社員は、経営者の鏡でもあります。社員が良くないのは、経営者に欠陥があるのです。
「雲中白鶴(うんちゅうはっかく)」という四字熟語があります。天高く、雲が流れるところに飛翔する鶴は品格を感じます。このことから、「品性の優れた高潔な人」として例えるときに使われます。
「子は親の背中を見て育つ」と言われますが、社員は経営者をよく見ています。経営者が人格・人品に優れていれば、社員もいずれそれに感化されます。しかし、「率先垂範(そっせんすいはん)」をすれば社員が自然と良くなるというものでもないことも知っておきましょう。
 では、なぜ率先垂範をしても、良禽択木たることに繋がらないのでしょうか?
 一つには、社員が目標意識を持っていませんと、率先垂範が充分に効果を発揮しません。経営理念に基づく、経営計画、経営戦略を明確にし、それへの参画意識を持たせることにより目標意識が高まります。目標意識が高まりますと、経営者の人柄も目標の一つとなってきます。
「まじめで飾り気がなく、心身共に強くたくましい」、そのような人のことを「質実剛健(しつじつごうけん)」とか「剛健質実(ごうけんしつじつ)」、「剛毅木訥(ごうきぼくとつ)」といいます。「質実」は「飾り気がなく、まじめ」、「剛健」は「心や躰が強く、たくましい」ことをさします。
「剛毅」は「気力たくましく、屈しない」という意味から、意志が強く物事にくじけない人のことをいいます。「木訥」は「無口で飾り気がない」人を指します。「剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)」や「剛毅朴吶(ごうきぼくとつ)」という漢字を用いることもあります。


 別項の「槐門棘路」も参照しながら、人の上に立つことの意義を考え、言動に注意して欲しいです。すばらしい経営者には、自然と優れた社員がついてきてくれるのです。
 コンセプトを構築するときに重要なのが、経営理念やビジョンなど、企業の根幹をなす哲学と整合性がとれていることが重要です。他人が何かを言いいますと、直ぐに自分の信念を曲げてしまう、定見を持たない、いわゆる「付和雷同(ふわらいどう)」型の人間では信頼されません。「雷同」は「雷が鳴ると万物がそれに応じて響く」という意味で、「むやみに他人の言動に同調する」ことで、「雷同付和(らいどうふわ)」ともいいます。
 類語として「唯唯諾諾(いいだくだく)」や「 党同伐異(とうどうばつい)」という四字熟語もあります。「唯唯」は「他人に逆らうことなく、言いなりになる」、「諾諾」も「自分の確たる考えを持たずに他人の意見や考えに同調する」ことをさします。このことから「唯唯諾諾」は「事の善悪に無関係に、他人に同調する」という意味で用いられます。
「党同伐異」は、「同じきに党(むらが)り、異るを伐(う)つ」と訓読みし、「伐異党同(ばついとうどう)」ともいいます。「ことの道理にとらわれず、自分の仲間に味方し、仲間と対立する相手を攻撃する」という意味です。
 それに対して「確乎不抜(かっこふばつ)」は「意志がしっかりしていて物事に動じない」ことを表します。「確乎」は「しっかりとしている」ことを指し、「不抜」は「抜けない」すなわち「しっかりしていて動かない」ことを指します。昨今では「確固不抜」という誤用が一部の人には容認される傾向があります。「乎」は、「状態を表す語に付けて語調を強める語(広辞苑第六版)」とあり、「確固たる」という表現も一般化していることから、容認の方向に向かうのかもしれません。
 類語に「狷介孤高(けんかいここう)」があります。「狷介」は、「がんこで心が せまく、人と調和しない(広辞苑第六版)」、「孤高」は、「ひとりだけが遠く離れて高い境地にいる」ことです。このことから、「自分の意志にかたくなに固執し、他の人と一線を画す」という、どちらかと言いますと、仲間はずれにされそうで、ネガティブなニュアンスを持っています。
 逆に「行雲流水(こううんりゅうすい)」は、「雲が漂い、水が流れるように自然の成り行きであるがままに行動する」という四字熟語もあります。「行雲流水」は、「諸国修行の禅僧」という別の用法があります。
「すぐれた経営者は、ビジョンを語る」ということがしばしば言われます。ビジョンとは、経営者の夢をある程度具体的な言葉にして表現したものかもしれません。たとえ現状から飛躍していても、その実現を信じることができるような未来像を、はっきりさせるために言葉で表現したものと言えるかもしれません。
 他者が賞賛するような、かっこいいビジョンを作ろうとする必要はなく、自分の詞で形にして行けば良いでしょう。しかし、せっかくビジョンを作るのでしたら、自分自身で納得できるビジョンを作りたいですね。
 世の中で、すぐれたビジョンと言われるものを見ますといくつか共通点が見られます。社員が自社に誇りを持ち、社員の気持ちが動くような魅力を持つ、社員を引き寄せる吸引力があります。そこには、経営者としての、未来に向けた考えたかや行動のあり方が述べられています。そのために、それを見た社員は、自分の未来を、自社の未来像に重ねて、一緒にやっていこうという参画意識を起こさせています。それが結果としてベクトルあわせから団結力に繋がり、変革の原動力となっています。
 企業というのは、「唇歯輔車(しんしほしゃ)」「輔車唇歯(ほしゃしんし)」の関係で運営されています。「唇歯」は、「唇と歯」のことでありますし、「輔車」は、もともとは荷車を支える骨木のことですが、ここでは「頬骨(ほおぼね)」と「下顎」のことです。このことから「利害関係が密で相互補完関係にある」、すなわち一方がダメになってしまうと他方もうまく行かなくなると言うことで、お互いに助け合う必要性を説く四字熟語です。「唇亡歯寒(しんぼうしかん)」も「唇がなくなると、歯が寒い」ということから同じような意味です。
 企業は、全社員がバラバラで統率のとれていない「烏合之衆(うごうのしゅう)」や別項にあります「四分五裂」の状態では、組織とは言えません。「規律も統制もなく、ただ寄り集まっているだけの集団(新明解四字熟語辞典)」、すなわち「烏(からす)」の集まりでは、バラバラでうまく行かないことをいいます。
「烏合之衆」によく似た表現に「有象無象(うぞうむぞう)」という四字熟語があります。仏教用語の「有相無相(うそうむそう)」という言葉が語源で、それが変化した「有象無象」になってしまったと言います。因みに「有相無相」は、「世の中に存在する有形無形のすべて」を指しますが、このことから「有象無象」、すなわち「種々雑多なものや諸現象」ということを意味すると解釈が変化してきているのです。
 ビジョンは、抽象的ではありますし、目標とか計画とかのように論理的に、行動のあり方を具体的に示していなくても、このような力を持っています。平素の実務の中で、ビジョン実現のために何をすべきか、その行動規範になる経営理念や戦略や計画などに繋がるようにして行くことにより「組織で動く」ことができる企業となるでしょう。
「経世済民」の企業でないと「易姓革命(えきせいかくめい)」が起こりかねません。史記に出て来るのですが、「天子の徳がなくなると人心が離れ、王朝が交代する」ということで「王朝が交代する」という意味です。王朝が交代すると、王室の姓が変わることから来ています。
 
 
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-8  糟糠之妻 男は外に出ると七人の敵がいる 貧しさに負けず支えてくれている妻

2024-05-25 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-8  糟糠之妻    男は外に出ると七人の敵がいる ~ 貧しさに負けず支えてくれている妻 ~ 

 

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

■1-8  糟糠之妻    男は外に出ると七人の敵がいる
~ 貧しさに負けず支えてくれている妻 ~


 子供の頃、親から「男児、外に出ると七人の敵がいる」と教えられてきました。敵と言いましても「不倶戴天(ふぐたいてん)」の敵もいれば、自分自身の心の中に潜む敵もいます。「倶(とも)には、天を戴(いただ)かず」と訓読します。「不倶」の「倶」は「供」、すなわち「一緒にいない」、「戴天」は「天を戴く」ですから「一緒に天を仰ぐことはない」ということで「父親の敵のように、同じ天の下には一緒にはいられないほど恨みや憎しみが深い人」という意味です。
 ビジネスパーソンだけではなく、とりわけ独立起業した経営コンサルタントというのは、外に出たら、家庭のことを心配しなくても仕事に没頭できる状態でないと成功は難しいと考えます。一人で仕事をしている場合には、奥さんの心からの応援だけではなく、実際に電話番などの裏方の仕事支援がないと仕事を続けていけないでしょう。
 逆に、家庭不和がありますと、コンサルティング業務の足を引っ張ることになります。夫婦げんかをしたままクライアント・顧問先のもとに行きますと、自分は自制しているつもりでも、それが雰囲気として出てしまいかねません。
 七人の敵と戦うためには、常に「糟糠之妻(そうこうのつま)」という四字熟語を忘れてはならないと思います。「糟糠之妻(そうこうのつま)」における「糟糠」の「糟」は、酒糟のことです。酒糟とは、清酒の醸造過程において、米と麹でできたもろみを絞りますと、液体が酒のもととなり、固体として残ったものです。酒糟は奈良漬けや西京漬けなどに使われたり、蒸溜すると米焼酎にもなったりします。
「糠」は、音読みでは「りょう」「ろう」訓読みで「ぬか」、すなわち米糠のことを指します。「糠」は、玄米を精白するときにできます。脂肪質やタンパク質に富むことから食用油を作ることもできます。漬け物に用いたり、肥料や家畜の飼料になったりもします。
 糟糠之妻というのは、酒糟や米糠を手に入れることすら難しい粗食生活をに耐え、一緒に苦労を重ねてきた妻という意味です。
 後漢書によると後漢の光武帝が自分の姉を家臣の宋弘に嫁がせようとしたときに、宋弘が辞退しました。その時に「糟糠之妻は堂より下げさず」という言葉を使ったそうです。苦労をともに重ねた妻とは、成功して私財が豊かになってからも離縁はできないことから拒否を暗に伝えたようです。(四字熟語辞典)
 夫婦を表す四字熟語として「異体同心(いたいどうしん)」、躰は別々であっても、心がひとつであるという意味で、関係が深い間柄を表しますが、特に夫婦仲の良いことを表すときに用います。「連理之枝(れんりのえ)」という四字熟語も同じような意味で用いられます。二つに分かれた枝は、一本の幹で結ばれ、お互いに離れられない様子をさします。「れんりのえだ」という人も近年は多いようです。 
 この四字熟語と共に、同じ意味で例として挙げられるのが「比翼連理(ひよくれんり)」です。「比翼」は、雌雄それぞれ目と翼が一つずつで、常に一体となって飛ぶという想像上の比翼という鳥のことをさします。
「琴瑟相和(きんしつそうわ)」、訓読みすると「琴瑟(きんしつ)、相和(あいわ)す 」となります。「瑟(しつ)」は、中国雅楽の代表的弦鳴楽器の一つで、琴も瑟も両方の楽器が音がよくあうということから、上記と同じように夫婦仲が睦まじいことを表します。
 夫婦仲の良いことを表す四字熟語は多く、類語に「鴛鴦之契(えんおうのちぎり)」というのもあります。「鴛鴦」は、おしどりのことで、「鴛」はオス、「鴦」はメスのおしどりを言います。「永久に連れ添う約束」という意味ですが、これが転じて「夫婦仲のむつまじさ」を表します。
 私の知人で、博学多才で、何でもこなしてしまう人がいます。その人は、商社に勤務し、人に頼まれると「ノー」と言えない人でもあり、周囲の人から頼りにされています。器用貧乏と言いますか、そのくせ、実力に添うような出世からは縁遠い日々でした。「器用貧乏(きようびんぼう)」とは、「なまじ器用であるために、いろいろなことに手を出すが、中途半端な結果でおわることが多く大成しない」ことです。
 その人が、清水の舞台から飛び降りる決心をして、まだできたばかりの新しい制度として脚光を浴びた法科大学院に進学することになりました。しかし、残念なことに二度のチャンスを活かせず、手元に残った退職金も先細りとなってしまいました。
 ある印刷関連企業で、ホームページ制作をアルバイトでやっていましたが、それが契機で独立してホームページ制作の会社として再出発することになりました。初めはなかなか仕事にありつけず、生活にも困る状態でしたが、商工会議所にいる友人の紹介で、ホームページ制作講座の講師などをしているうちに次第にお客様が増えてきました。
 パートで働いていた奥さんが、夜なべとして経理など雑用をしていましたが、ご本人は、お客様との打合せなどで外出が多く、せっかく受注してきたホームページ制作の時間もとれず、徹夜に近い日が続いているうちに過労で倒れてしまいました。
 その間も、お客様からはひっきりなしの電話やメールで、奥さんが対応をするようになりました。お客様からの要望で簡単なホームページの手直しを奥さんがやっているうちに、次第に奥さんがページ制作まで深く入り込むようになり、ご本人は営業回りに専念することができるようになって仕事は順調にいくようになりました。糟糠之妻の好例として、私の事例紹介にもしばしば出てくるお二人です。
 糟糠之妻という言葉は、われわれ経営コンサルタントにも示唆を与えてくれています。経営コンサルタントとして独立起業するときに、最も重要なことの一つとして「家族の理解」を挙げたいと思います。とりわけ、「ベターハーフ」と英語で言うように人生のパートナーである奥さんの心の支援は最大の見方と言えます。時には、経理業務を手伝い、時には電話番として活躍してくれますと、独立起業時代の一人の力が数倍にもなるように思えました。
 逆に、家庭不和がありますと、コンサルティング業務の足を引っ張ることになります。夫婦げんかをしたままクライアント・顧問先のもとに行きますと、自分は自制しているつもりでも、それが雰囲気として出てしまいかねません。
 後顧の憂いがないということは、経営コンサルタントとして充分に力を発揮できることに繋がります。逆に、家庭不和がありますと、コンサルティング業務の足を引っ張ることになります。夫婦げんかをしたままクライアント・顧問先のもとに行きますと、自分は自制しているつもりでも、それが雰囲気として出てしまいかねません。
 ビジネスパーソンなら顧客、経営コンサルタントならクライアント・顧問先からの厚い信頼がないと仕事ができません。それには別項の「君子三楽(くんしさんらく)」の「仰いで天に愧じず、俯して人に乍じざるは二の楽しみなり」という言葉を心に留め、人の道をはずれる行為を慎み、自分自身にも恥じない言動を取るべきと考えます。このことは「言うは易く行うは難し」ですが、その積み重ねの中に、「金剛不壊(こんごうふえ)」な意志強固さを育むことができると信じています。「金剛」は仏教後で「堅固」という意味の梵語を漢訳したものです。(四字熟語辞典)このことから、「金剛不壊」は、「非常に堅固で壊れない」という意味で、それが転じて「堅い志を持って変えない」ことを指します。
 私が経営コンサルタント団体のトップを御引き受けするきっかけの一つが、孟子の君子三楽の三番目です。「日本の経営コンサルタント業界の更なる発展の一助になれば」という気持ちで「天下の英才を得て之を教育するは三の楽しみなり」という言葉を噛みしめています。しかし、この三番目に「三楽」を実行するには、二番目に来ます仰いで天に愧じず、俯して人に乍じざるは二の楽しみなり」ができていなければ、すなわち、人格的に敬意を払われるものを持たなければ誰も付いてこないと思います。
 それ以前から、経営コンサルタントの育成について努力をしてきましたが、これが私のライフワークとなる契機でもありました。生涯現役として、若手育成ということを続けていければ幸いです。
 一般企業でも、例えば営業パーソンが顧客でプレゼンテーションをしているときでも、そのことが気になってしまったり、そのために思考が途切れたりしてしまうかもしれません。
 サラリーマン家庭の主婦や、これから経営コンサルタントとして、士業として独立起業される人の奥様に是非お贈りしたい言葉の一つが「糟糠之妻」という言葉です。


 
 
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-7 槐門棘路 人の上に立つ心構え ~ 三公九卿のような高位・高官 ~

2024-05-18 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-7 槐門棘路    人の上に立つ心構え ~ 三公九卿のような高位・高官 ~  

 

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

■1-7  槐門棘路    人の上に立つ心構え
     ~ 三公九卿のような高位・高官 ~


「槐門棘路(かいもんきょくろ)」の「槐」は「えんじゅ」という木を指し、古名は「えにす」です。広辞苑には下記のように説明があります。
【広辞苑】 槐
 (ヱニスの転)マメ科の落葉高木。中国原産。幹の高さ約10~15メートル。樹皮は淡黒褐色で割れ目がある。夏に黄白色の蝶形花をつけ、のち連珠状の莢(さや)を生ずる。街路樹に植え、材は建築・器具用。花の黄色色素はルチンで高血圧の薬。また乾燥して止血薬とし、果実は痔薬。黄藤。槐樹。「槐の花」の季語は夏。


 「槐門」は大臣の別称のことです。「棘」は、「刺(とげ)」と同じ意味で「いばら」を指します。これを「おどろ」とも読みます。広辞苑では、「草木の乱れ茂ること。また、その場所。髪などの乱れたさま」とあります。「棘々(おどろおどろ)しい様」などと、怖いほど乱れた様子を表現するときに用います。
「棘路」は音読みでは「きょくろ」で、「おどろ‐の‐みち【棘路】」と読みます。
【広辞苑】
(1)草木の乱れ茂っている道。
(2)公卿(くぎょう)の異称。「九棘」よりでた語
「槐門棘路(かいもんきょくろ)」とは、大臣などを指す「三公」と「九卿(きゅうけい)」への道は、棘(いばら)の道のごとく厳しいということから、「三公と九卿」という位やそれに準じるような位の高い人を指します。このことから「槐門棘路」は、「国政などを預かる最高幹部のこと」を指すようになりました。(四字熟語辞典)
「槐門棘路」の二文字をとって、「槐棘(かいきょく)」と略して言うこともあります。歴史的に見ますと、周代、朝廷に三槐を植えて三公の座位を示し、九棘を植えて九卿の座位を示したと言います。そのことから「三公九卿の位。公卿」を指すようになりました。
 ある団体が、停滞時期の底を迎えた時に、役員達は「拱手傍観(きょうしゅぼうかん)」「袖手傍観(しゅうしゅぼうかん)」、「手をこまねいてなにもしない」、ただ傍観するだけでした。何ら手を打とうとしないトップ達に満足できないある人が担ぎ出されて、新しいトップが誕生しました。新体制の基で、大なたを振るい、活性化が進みました。その時に、私は「槐門棘路」という言葉を思い出しました。国政、この場合は、ある法人団体の最高幹部は、上に立つ人の力量で大きく変化するものであることを実感したのです。
 私はおばあちゃん子で、祖母から色々と学びました。他所でも紹介しましたが、「稔るほど、頭を垂れる稲穂かな」もその一つとして教えられました。小学校高学年だったと思いますが「槐門棘路」という言葉を併せて覚えるように言われたのです。何かの呪文かお経のように一所懸命覚えました。当然その時には詳しい意味はわかりませんでした。
 祖母は中学二年の時に急逝してしまいました。後に学校や社会人になってから、私が色々な場面で大役を仰せつかったときに、この言葉を反芻したことを覚えています。そしてその大役を仰せつかったことは、自分自身を見直す良い機会となってきました。トップは、「座右之銘(ざゆうのめい)」を鏡とし、自分自身を常にその鏡に映して反省をする必要があることを認識しました。
 因みに「座右」は「座っている自分の右」ということから「身辺、身の回り」を指します。すなわち、「座右に置いて毎日のいましめとする格言(広辞苑)」のことで「座右銘」ともいいます。
 企業トップの心構えと言うことでは、いろいろなことが言えるかもしれませんが、その一つとして「君子三楽(くんしさんらく)」という四字熟語が挙げられます。
 「君子三楽」は孟子の言葉です。「君子」は、教養もあり、徳を持つ人格者のことです。「三楽」は、3つの楽しみですから、「君子の三つの楽しみ」と解すことができます。
 孟子の言う3つの楽しみとはなんでしょうか?
「父母倶(とも)に存し、兄弟故(こ)無きは一の楽しみなり」が最初に出てきます。両親が健康で過ごしていて、兄弟が元気に暮らしていることです。「故」は「故人」とか「物故(死亡)」というように使われ、「故」は、色々な意味がありますが、ここでは広辞苑の下記2)に相当します。
1)[易経(雑卦)「革は故(ふる)きを去る也」]古いものごと。
2)死ぬこと。また、すでに死んだ人をよぶ場合に冠する語。源氏物語(桐壺)「―大納言今はとなるまで」
 第二の楽しみは、「仰いで天に愧(は)じず、俯(ふ)して人に乍(は)じざるは二の楽しみなり」です。「その行いが、地上を見下ろし、何もかも知っている”天”に対しても恥じることもなく、下から見上げる「地」から見ても、やましいことをしていない。したがって、堂々と人生を生きていけるので、これほどの楽しみはない」と云うことを言っています。
 第三は、「天下の英才を得て之(これ)を教育するは三の楽しみなり」で、特別な説明を要しないと思います。世の中の英才を相手にして、彼らを育てることを孟子は第三の楽しみとしています。
「君子三楽」からは大きく脱線してしまいますが、「壺中之天(こちゅうのてん)」という四字熟語が後漢書にでてきます。ユートピアのことを指しますが、俗世から離れた別天地ということから、酒を飲んで俗世の憂さを忘れるという意味でも使われます。
 中国後漢時代のことです。薬売りの老人がいました。昼間はせっせと薬を売るのですが、帰宅すると壺の中に入っていきました。壺の中には、宮殿があり、ごちそうやお酒がテーブルにいっぱい置かれていたそうです。お酒のみには、よだれが垂れるような四字熟語ですね。
 しかし、努々喜んでばかりはいられません。「荘周之夢(そうしゅうのゆめ)」とも「胡蝶之夢(こちょうのゆめ)」とも言います。夢と現実がはかないこと、人生のはかなさを言う四字熟語ですが、壺中之天で、舞い上がっていますと、荘周之夢になりかねません。
 荘子(斉物論)にでて来るのですが「荘子が夢で胡蝶になって楽しみ、自分と蝶との区別を忘れたという故事から)現実と夢の区別がつかないこと。自他を分かたぬ境地。また、人生のはかなさにたとえる。蝶夢。(広辞苑第六版)」という説明でこの四字熟語が良く理解できますし、心しなければなりませんね。因みに「荘周」は道教の始祖の一人とされる思想家の荘子の別名です。
 喜びという点では「一喜一憂(いっきいちゆう)」があります。「ちょっとした状況変化に喜んでみたり、悲しんでみたりと周囲の状況変化に振り回される」ことをいいます。
 また、「歓天喜地(かんてんきち)」も思い浮かべます。「天に歓(よろこ)び、地に喜ぶ」ということからも想像できますように「大変な喜び」を表します。同様に「欣喜雀躍(きんきじゃくやく」は、「雀が踊るように欣喜(大喜び)する」、「狂喜乱舞(きょうきらんぶ)」も「狂って乱舞するほどの喜び」という同じような意味の四字熟語です。そのようなときには、人間の顔は「喜色満面(きしょくまんめん)」、すなわち「顔全体に喜びが溢れ隠せない」ことを意味します。
 多少意味は異なりますが「得意満面(とくいまんめん)」という四字熟語もあります。また「有頂天外(うちょうてんがい)」という四字熟語があります。「有頂天になる」という言葉がありますが、有頂天外は、その外側にあるという、喜びのあまり我を忘れてしまうことです。「有頂天」とは、仏教では「三界(さんがい)の最上位の天」ということですので、そこまで上り詰めたような大きな喜びを指します。
 人の上に立つ者としては、有頂天外の喜びが日々続くようですと、それこそ有頂天外ですね。
「顔」ということでは「鬼面仏心(きめんぶっしん)」という四字熟語があります。「見た目には鬼の顔のように怖いのですが、心の優しい」という意味です。その逆が「人面獣心(じんめんじゅうしん)」です。「人の顔をした獣」、こわいですね。
 
 
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-6 家常茶飯 あたり前のレベルを上げる ~ 当たり前なことを、あたり前にできる ~

2024-05-11 08:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-6 家常茶飯    あたり前のレベルを上げる ~ 当たり前なことを、あたり前にできる ~ 

 

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

■1-6  家常茶飯    あたり前のレベルを上げる
     ~ 当たり前なことを、あたり前にできる ~


 われわれ経営コンサルタントは、企業を訪問しますと、その会社の良いところを伸ばし、至らないところがあればそれを指摘し、具体的にどのようにしたらよいのかを一緒になって考え、実施し、持続し、結果に結びつけられるように努力をします。
 企業を訪問して驚くことの一つが、挨拶ができていない企業が結構あるということです。挨拶ができていない企業で、成長している企業があればそれは一時的に何らかの要素で良い状態があると考えた方が良いでしょう。
「家常茶飯(かじょうさはん)」という四字熟語があります。「家」すなわち「家庭」において日常の「茶飯」すなわち飲食のことですので、「ごく普通」とか「あたり前」のことを指し、「日常茶飯(にちじょうさはん)」と同じような意味で用いられます。挨拶をすると言うことは、社会人にとってはあたり前、すなわち「家常茶飯」なことです。
 永年、経営コンサルタントという仕事をしてきまして感ずることですが、「あたり前」と言われるようなことがなされていない企業が多いことです。たとえば「3S」ということがしばしば言われます。「整理整頓(せいりせいとん)」という四字熟語がありますが、3Sとは、「整理」、「整頓」、「清掃」という三つのキーワードをローマ字表記し、その頭文字をとって命名されました。
 玄関を入る前から雑然とした感じを受ける企業は、受付での応対も不快な思いまでではないにしろ、何となく違和感を覚えることがあります。応接室に行くまでの間も、玄関ホールや廊下に物がおいてあり、それもキチンと整理されて積み上げられているのであれば、「出荷を待つために、一時的に置いてある」という感じがします。ところが、方向がバラバラであったり、埃を被っていたりしているのでは、それがその企業の実態を表していると考えられても仕方がないでしょう。
 応接室に入りますと、カレンダーが先月のままであったり、時計が傾いていたり、ごみ箱にはごみが一杯入っていたりして、ソファーに座るのも拭いてから座りたいような状態では、来客を気持ちよく迎える姿勢とはほど遠いと言えます。名刺交換をするときに出される名刺も、角が折れていたり、ひどいときには汚れや、何かのメモが書かれていたりするものさえあります。
 このように整理・整頓・清掃という3Sに加えた「整理、整頓、清掃、清潔、躾」のことを5Sとも言います。そのいずれも、ある程度できていてあたり前、それがキチンとできている会社を拝見しますと「素晴らしい会社」という評価を高める昨今は、かつての日本と比べると寂しいことなのです。
 挨拶ができるだけで企業が良くなるわけではないですが、社員の挨拶がキチンと励行されているかいないかという観点でもその企業の業績が推測できます。なぜなら、企業が体質改善や変革を行っていると自然と挨拶もできるようになるのです。5Sを実施している企業は、5番目のSとして「躾け」という項目があることはご存知でしょう。挨拶はこの項目に属するのかもしれませんが、人間として当然できて当たり前と言えます。
 企業というのは当たり前のことが当たり前にできない宿命のようなものがあるようです。当たり前に何でもができるようになるには、自社の当たり前が何であるのかを社員全てが知っている必要があります。そうでなければ当たり前のことが当たり前にできるようにはなりません。
 別項にあります、挨拶をすることの「理非曲直」を頭で理解するだけではなく、体と心で実践できる企業に返信することは、健全企業への第一歩のひとつと言っても良いのかもしれません。
 このように、あたり前のことができていない企業ですから、ざるで水をすくうがごとく、利益もこぼれ出ているところが多いのです。そのような企業が多いですので、私ども経営コンサルタントは、まず、当該企業の「あたり前作り」から始めることがあります。あたり前の基本が経営理念ですが、それがなかったり、あっても絵に描いた餅であったりする企業が多いですので、経営理念の構築・再構築をします。その経営理念を達成するための経営戦略を練り、長期経営計画を立案し、その実施のための短期経営計画に戦術をまとめ、それがキチンとできるように、その企業の行動規範を明確にする、などということを行います。これらが、その企業に「あたり前」になるようにして、毎年、そのあたり前を成長させて行くのです。すなわち「あたり前」というのは、その企業に独自の質や内容に進化して行く者と考え、経営コンサルタントというのは「あたり前」を成長させる支援をして行く専門職とも言えます。
「順風満帆(じゅんぷうまんぱん)」の時には、経営者は意外と厳しいときのことを忘れがちです。「順風」とは「追い風」、すなわち自分が進む方向に吹く風のことで「満帆」は、「風をすべて受けて膨らむ帆」のことです。すなわち、「追い風を帆に受けて、船が快調に進む」ということから「万事順調に進み前進する」ことを指します。
 上述のような企業では、必ずしも「順風満帆」とは言えませんので、手前味噌になりますが、ちょっとしたアドバイスや支援するだけで、業績がV字回復できるのです。すなわち「あたり前」のレベルがこのような企業は低いですので、そのレベルを上げるだけで、直ぐに良くなるのです。経営コンサルタントとして、手前味噌のことを記述してきた感もありますが、「自社の常識」が「社会の非常識」であることに気づいていない企業では、独善的に判断して、生兵法でやろうとして失敗することが多いだけに、私たち経営コンサルタントの存在意義があるように考えて、日夜企業の支援をしています。
 コンサルティングの結果、「不況」でも自社の経営があたり前にできるようになります。そうしますと、その企業では「不況が普況」、すなわち「あたり前」になります。やがては一般的な経済環境が厳しくても、自分の会社は「富況」という状態になって行くのです。「あたり前づくり」を「布教」するのがわれわれ経営コンサルタントの使命でもあります。
 親爺ギャグと馬鹿にしないで、「あたり前」に取り組んで、発展企業になるようにして下さるようお願いします。
 
 
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-5 起死回生 手遅れになる前に企業の健康診断 ~ 死に体を、生に復活する ~

2024-05-04 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-5 起死回生   手遅れになる前に企業の健康診断 ~ 死に体を、生に復活する ~ 

 

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

■1-5 起死回生    手遅れになる前に企業の健康診断
     ~ 死に体を、生に復活する ~

「起死回生(きしかいせい)」の「起死」は「死を起こす」「死に至る」、「回生」は、「生と取り戻す」という意味です。「回生起死(かいせいきし)」とも「起死再生(きしさいせい)」ともいい、いまにも死にそうな人を生き返らせることです。
 私たち、経営コンサルタントは、お医者さんと同様に健康で何もないときには、見向きもされないことが多いのです。しかし、いざ、手形が落ちない、とか、大手企業からの契約を打ち切られそうだ、といった緊急事態に陥ったときに、駆け込み寺として利用されることがしばしばあります。平素、経営コンサルタントとの付き合いがありますと、そのようなときに事前に手を打ってくれますし、万一、緊急性高い問題が発生しても「一旦緩急(いったんかんきゅう)」、駆けつけてくれるでしょう。
 しかし、残念ながら手遅れのことが多いのです。「満身創痍(まんしんそうい)」の状態になってからでは打つ手もありません。「創」も「痍」も傷のことで、「満身」、すなわち体中が傷だらけのことで、「満身創痍」というのは「傷だらけの状態で打つ手もない」ことをいい、転じて「ひどく非難されて痛めつけられる」という精神的な傷のことも指します。「満身創痍」と同様な意味で「焦眉之急(しょうびのきゅう)」「焼眉之急(しょうびのきゅう)」とも「燃眉之急(ねんびのきゅう)」ともいう四字熟語があります。「眉が焦げるほど火が迫っている」ということから「危険や急務が差し迫っている」という意味です。もともとは仏教語で、「生者必滅」なので、来征の安寧を願うことが何よりも大切なことであるという意味です。
 病人でも企業でも、重大な局面に陥ってしまうと手の打ちようがないことがあります。人間の場合ですと、早期診断、早期発見、早期治療ということの重要性が認識されて来ていますが、企業が健康診断を受けたり、コンサルティング依頼をしたりすることはあまりありません。
 例え、重篤な状況に企業が陥っても、一時的な状況かも知れませんので、諦めるのは速すぎます。「一陽来復(いちようらいふく)」という言葉もあります。この四字熟語は、悪いことというのは、どういうわけか続くことがあります。しかし、そのような後に、ちょっとしたことから、ようやく良い方向に状況が転じることがあります。易経では「陰がきわまって、また陽にに返る」といいます。「石の上にも三年」という諺がありますが、一陽来復という四字熟語には、「一度決意したことを簡単に諦めるな」という教えもあるようです。
 余談になりますが、一陽来復というのは、易経の中に既述されていて、冬至の時に、「冬が去って春がふたたび巡り来る」ということからきています。諦めずに、努力することにより、いずれ春の兆しが見え、起死回生できる可能性があるという、希望の持てる四字熟語ですね。
 仕事で「東奔西走」して、めざましい働きをするという意味で「汗馬之労(かんばのろう)」があります。史記に記述されているのですが、「戦功を得るために馬を走らせ、戦場で功績をあげる」という意味から「物事を成功させるために駆け回る苦労」のことを指します。「汗馬之労」を厭わない社員がいる会社は、それを指揮するリーダーがいることが多く、そのような会社は成長するかもしれません。
 さて、本論に戻りますが、経営が安定しているときに、企業が健康診断を受けることをお薦めします。人間ドックを受けた時にガンが発見されることがあるように、企業経営が順調であるからといって安心していますと、すでに病にかかっている事態にまで至っているということがしばしばあります。健康診断で、数値が悪いと直ぐに問題が発見されるように、企業も健康診断を受けますとと、人間ドックと同様に数値として表れてくることが多いのです。
「危急存亡(ききゅうそんぼう)」は、「生きるか死ぬかの分かれ道に立つ危険な状態」、すなわち、危険が迫り「絶体絶命」な状態を指し、「生死存亡(せいしそんぼう)」ともいいます。「気息奄奄(きそくえんえん)」も同じような意味です。「奄」は、音読みで「おおう」、すなわち「塞ぐ」ということで「呼吸ができない」ということから、類語と言えます。
 企業経営は「運否天賦」な波があります。「手形が落ちない。絶体絶命!!」という状況になる前に手を打っていますと、大過なくその状況を回避することができることがしばしばあります。そのために、手前味噌になってしまいますが、企業も「かかりつけ医」すなわち経営コンサルタントを顧問として持つべきなのです。
 また、われわれが人間ドックに入るように、企業も年に最低一回くらいは健康診断を受けたいものです。健康診断の方法はいろいろありますが、その代表的なのが「ビジネスドック」です。
 経営コンサルタントの業務というのは、企業の健康診断だけではなく、経営戦略を見直したり、問題解決をしたり、経営理念を再構築したりと、用途は広く、効果が大きいのが特徴です。それらの経験を踏まえて企業の健康診断をしますので、その方法を幹部研修や管理職研修などで受講すれば、その手法を社内で利用できるようになります。ビジネスドックに投資した金額以上の、社員研修効果が上げられるわけです。私たちが受ける健康診断のことを「人間ドック」と言いますように、企業の健康診断を、私は「ビジネスドック」と呼んでいます。目的に応じてビジネスドックのやり方が多少異なりますので、それを踏まえて実施すると良いでしょう。
 企業経営者・管理職とお話しているとしばしば「うちは顧問税理士がいるから経営コンサルタントのお世話にならなくても大丈夫です」ということを聞きます。企業経営において税理士が必要であるのは当然なのですが、大半の税理士は、税理士法に基づき、過去の数値を基に業務処理をしてくれます。その段階で出て来る数値が、今後どの様に変化をするかを予測することはほとんどなされていません。
 一方、経営コンサルタントというのは、そのような数値の中に、企業が罹っているかもしれない病気の予測をすることが、同じ数値を診るときにも税理士と経営コンサルタントとの違いが出て来るのです。最近は経営コンサルタント同様に、このような予測までをしてくれる税理士も増えてきましたが、まだまだそれができる先生は少ないと言えます。税理士の先生の中には有能な先生もいますので、そのような顧問の先生がいる企業では経営コンサルタントに依頼しなくても良いのかも知れません。
「一病息災(いちびょうそくさい)」と言います。「無病息災(むびょうそくさい)」というのは病気もせず、息災(禍なく)に生活できるという意味の四字熟語に引っかけてできました。病気をしたことのない人よりも、病気を持っている人の方が健康に注意を払うということから、逆に長生きをするという意味で用いられます。企業もちょっとした問題を抱えていることは、それを軽視せず、その問題に真剣に取り組むことにより「無病息災(むびょうそくさい)」に近づけるのです。
 逆に病気で苦しむ表現として「七転八倒(しちてんばっとう)」があります。「激しい苦痛に、転げ回ってもがき苦しむ」という意味です。「七顛八倒(しちてんばっとう)」と、「転」の代わりに「顛」という漢字を当てることもあります。

 企業経営は「七難八苦(しちなんはっく)」の連続とも言われます。仏教用語の「七つの災難と八つの苦しみ」から来ていて「いろいろな災難や苦難」という意味です。病気にかかったら、かかりつけのお医者さんから専門のお医者さんを紹介してもらうのが良いでしょう。同じように、一口に経営コンサルタントといっても、専門分野がいろいろとあります。脳の病気の時に、整形外科の先生に手術をしてもらうよりは、脳外科専門の先生の手術を選ぶでしょう。士業も同じで、専門分野がそれぞれ異なる、いわゆる「餅は餅屋」という見方が必要なのです。
「経営コンサルタントの顧問料は高い」と思い込んでいる人が多いですが、「投資対効果」を考えると決して顧問料は高くはありません。コンサルティング・フィー以上のメリットは、プロ・コンサルタントであれば産み出す支援をしてくれるものです。手前味噌になりますが、「家庭医」「かかりつけ医」を持つように気軽に経営コンサルタントをビジネスブレインの一人として受け入れるべきと考えます。
「起死回生」という四字熟語はありますが、倒産しかけている、絶望的な絶体絶命の状態から立ち直ることは、奇跡に近いことを知っておき、企業においても平素から健康診断を受けるべきではないでしょうか。
 
 
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-4 脚下照顧 トップは冷静にみる ~ 自分の姿を鏡に映す ~

2024-04-27 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-4 脚下照顧 トップは冷静にみる ~ 自分の姿を鏡に映す ~ 

 

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

■1-4  脚下照顧 トップは冷静にみる
~ 自分の姿を鏡に映す ~


「いじめ問題」というのは、日本だけではなく、世界的に、中でもとりわけ先進国と言われる国に陰湿さがはびこっていると聞いています。いじめというのは、いじめる側は、自分が「ひどいことを言っている」、「している」という意識が薄弱で、相手の気持ちに構わず、それを続けてしまっていることが多いそうです。自分が悪いことをしているという意識がないだけに、それを止める必要性を感じないのでしょう。いじめ側に罪悪感がないのですから、いじめられる側は堪ったものではありません。
 経営者・管理職のように、権力を握っている人は、自分は会社のため、社員のためと思って採っている言動が、実は社員の側にとっては、ガマンにガマンを重ねていることがあります。ビジネスパーソンとして、「隠忍自重(いんにんじちょう)」しないと、その企業にいられなくなるかもしれないという気持ちが、自分の「軽挙妄動」を押さえているのです。「隠忍」とは、「苦しさを表に出さないでじっと耐える」という意味で「耐えがたいことをじっとこらえて軽挙妄動を慎む」ということを表しています。
 「愚者一得」の項でも述べていますように、自分の会社の社員や部下が無能に思えることがあると思います。それを感じますと、つい、愚痴を言ったり、その様な社員や部下に対して、厳しく叱責したりしがちです。それが自分の驕りから来ているかもしれないのです。権力を握ってしまうと平清盛のごとく「栄耀栄華(えいようえいが)」、すなわち「地位や財産を手に入れ、繁栄する」と、「おごる平家は久しからず」という状態に陥りかねません。
 別項でも述べていますが、社員や部下が愚かに見えたときほど、自分自身の人の見方が本当にバランスのとれた見方をしているのか否かを自問自答してみるべきではないでしょうか。「自問自答(じもんじとう)」とは、言うまでもなく「自分自身に問うて、自分で正しい答を導き出す」という四字熟語です。
「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という禅の言葉があります。原意は、「自分の本性を見つめなさい」という意味です。このことから、「脚下」、すなわち「足元に注意する」という意味にもなります。足元とは、自分自身ということにもなります。「照顧」の「照」は「照らす」という意味で、自分の視線をそこに当てることです。「顧」は、音読みで「かえりみる」すなわち「省みる」ということで、「過去や自分の後ろ姿をふりかえって見たり、見まわしたりしてみる」という意味です。
 すなわち「脚下照顧」とは、「身近なこと、足元に注意を払い、まずは自分を省みて反省する」という意味で用いられます。
 社員が、「薪水之労」を厭わず「一所懸命」に仕事をしている様子を見たときに、自分の言動を反省する気持ちがありますと、社員に対する気持ちも変わってきます。因みに「薪」は「まき」のことですので、「薪水」は「薪を取りに行ったり、水を汲んだりすること」から「日常的な労働」ということで、このことから「人に使え、骨身を惜しまず日常の雑務・労働を行う」という意味になります。
「槐門棘路」の項で詳述していますが、上に立つ者は、「稔るほどに頭を垂れる稲穂かな」の精神を忘れず「虚心坦懐(きょしんたんかい)」の気持ちが大切です。「虚心」は、わだかまりがなく、ありのままを素直に受け入れられる心のありかたをいいます。「坦懐」は、心が穏やかで、こだわりがないさっぱりとしていることを指します。すなわち「虚心坦懐」は、「心を空にして、何かにわだかまることなく、気持ちがさっぱりとしている」ことになります。「平静で公正な心」でいますと、自分自身が謙虚になれるということです。
 孟子の教えとして、下記三項が有名です。
  一、民を治める王には、徳が必要
  二、徳をなくしてしまったら地位を譲るべし
  三、徳がないのに居座る王は殺して良い

「虚心坦懐」の類似表現として「虚心平意(きょしんへいい)」という言葉もあります。また、「明鏡止水(めいきょうしすい)」という言葉にも通じます。「明鏡」は、「明」は曇りもないという意ことから、「一点の曇りもない鏡」という意味です。「止水」は、止まっている水、それも静かにたたえられた、澄んだ水の状態です。このことから、脚下照顧に通じる「澄みわたって落ち着いた心境」ということで、それを実行することは難しいことかもしれませんが、心したいことと思います。
「泰然自若(たいぜんじじゃく)」も「落ち着いていて、何に対しても動じない」という意味です。類語に、「意気自如(いきじじょ)」「神色自若(しんしょくじじゃく)」があります。前者は、「どの様なことに対しても驚ろいたり恐れたりしないで、平静な気持ちでいられる」、後者は「危急な事態においても顔色を替えることなく、平然と落ち着き払っている」ことをさします。「自若」は「あわてず落ち着いている」、「神色」の「神」は「精神(心)」に繋がり、「神色」で「心と顔色」を表します。

 禅宗のお坊さんなら、座禅を組むところですが、われわれにはなかなかそれをしかねます。テレビか何かで知ったのですが、外耳を温めるという方法で、虚心坦懐に近づけるような気がします。綿、できればふっくらした綿を少し、耳に入れます。耳栓の目的ではありませんので、ギューギューと詰め込むのではなく、軽くふさぐだけで、外耳内の空気が体温で暖まります。目をつむってしばらくすると気持ちが落ち着いてきます。騙されたと思って試してみては如何でしょうか。


 
 
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-3 矯角殺牛 謙虚さがこじれ解消の薬 ~ 部分最適が全体最適を損なう ~

2024-04-20 00:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】1-3 矯角殺牛    謙虚さがこじれ解消の薬 ~ 部分最適が全体最適を損なう ~

 

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

 矯角殺牛    謙虚さがこじれ解消の薬
  ~ 部分最適が全体最適を損なう ~


 中国の歴史書であります玄中記に、牛の角の形がわずかばかりゆがんでいることが気になり、それを矯正しようとしたら牛が死んでしまったという故事が掲載されています。それが「矯角殺牛(きょうかくさつぎゅう)」という四字熟語になりました。「矯」は、「矯正」という熟語にも使われますが、音読みで「ためる」となり「まがっている(正しくない)ものを(まげて)なおす<広辞苑第六版>」という意味があります。
「角をためて(なおして)、牛を殺す」と音読みができます。すなわち、牛の角が曲がってという些細なことを修正するために、大切な牛を殺してしまう」となります。すなわち矯角殺牛というのは、大勢にあまり関係しないような、わずかな欠点を正すために努力をしても、その結果、全体を損なってしまっては何もならないという意味です。(四字熟語辞典)
 類語に「蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)」があります。「蝸牛」は、カタツムリのことで、「角上」は文字通り「角の上」です。カタツムリの左の角には触氏が、右には蛮氏がいて、お互いに領地争いをするという寓話から「些細なことで争う」ことをたとえて言います。牛の角の形のことで煩うより、さらにミクロの世界の話です。因みに「骨肉相食(こつにくそうしょく)」という四字熟語がありますが、「肉親同士が醜い争いをする」ときに用います。「骨肉」は「血縁関係」を指します。
 蝸牛角上は、経営においても言えることです。「全体最適(ぜんたいさいてき)」という四字熟語は企業経営にとって、重要な視点であるために本書でも何度か採り上げています。企業経営にとって「何が重要なのか」という部分にだけ固執してしまいますと、矯角殺牛になり、牛ならぬ、企業を殺してしまうことにもなりかねません。
 企業経営というのは、「全体最適」ということを常に意識し、例えば経営改革をしようと言うときに、どこから手をつけなければならないのかを的確に判断しませんと、せっかくの努力がマイナスの効果に繋がってしまうことがあります。
 私が経営コンサルタントになりたての頃の話です。ある精密機械製造業の顧問先で、収益が良くないので何とかして欲しいという社長の意向に引きずられ、収益改善に重点を置いたコンサルティングをしました。その結果として、売上高は増加傾向になりましたが、利益率は一向に改善されません。
 その原因は、売掛金の管理体制にありました。売上高が伸びたために、どの部門も忙しくなり、社員の負荷が増加してしまいました。管理不充分なことから、ざる管理となってしまい、貴重な利益が隙間から水漏れしていたのです。お恥ずかしいことですが、全体最適なコンサルティングではなかったことにすぐに気がつかなかったのです。売上が拡大することにより、かえって顧問先や社員に迷惑をかけてしまうことになってしまいました。
 社員や部下を見るときも、その人の一部分を見ただけで、全体を理解したと思い込んで「あいつはダメだ」と烙印を押してしまってはならないと思います。「揣摩憶測(しまおくそく)」は「何と根拠もなく、推測だけで勝手に相手の気持ちを察する」という意味です。「揣摩」は「あれこれと憶測を働かせる」ということで「憶測」は、「揣摩臆測(しまおくそく)」というのが本来の表記です。
 私は、立場上、いろいろな人に、お説教じみたことを言わなければならないことがあります。それを「上から目線」というように捉える方もいらっしゃいますので、年齢や地位など各種の要因も考慮に入れ、できるだけ表現には気をつけるようにしています。しかし、経営コンサルタントを永年やっているとそれが染みついてしまっているのか、「拳々服膺(けんけんふくよう)」しているつもりでも後から自分を振り返ってみると多々失礼があったことに思い当たります。「傲岸不遜(ごうがんふそん)」な態度だけはとりたくないと思ってやってきました。「傲」は訓読みで「おごる」、「岸」は「切り立った崖」です。このことから「傲岸」は「おごりたかぶる」ことです。「不遜」の「遜」は「へりくだる」の意味ですので、「へりくだらない」ことを指します。従って「傲岸不遜」は「おごり高ぶった、思い上がった態度」で人を見下す上から目線の謙虚さを欠いた態度のことです。
 類語として「傲慢不遜(ごうまんふそん)」、「傲岸無礼(ごうがんぶれい)」がありますが、得てしてこのような人というのは「厚顔無恥(こうがんむち)」「無知厚顔(むちこうがん)」な態度をとりがちです。「厚かましくて、恥を知らない」ということから、他人の気持ちを斟酌したり、その場の空気を読めなかったりして、自分の考えや都合だけの言動を採ってしまうでしょう。
「拳々」は、両手で捧げ持つ、大切に持つという意味です。「膺」は棟を指しますので「拳々服膺」というのは「心に銘記して、決して忘れることがないように自分に言い聞かせる」という意味です。
「出藍之誉(しゅつらんのほまれ)」、社員や部下のほうが優れていたり、良いところがあったりするかもしれません。これを別項にもありますように「愚者一得(ぐしゃいっとく)」と言います。
「青は藍より出でて藍よりも深し」といいますが、青色染料は、その原料となる藍ほど青くないが、その藍より生まれてさらに素晴らしい色となることです。これと同様で「弟子が師より学び出でて、師を超えて優れる」という意味です。

 相手の人間性を尊重すれば、たとえミスを犯したからと言って、相手を全面的に否定したり、相手のレベルを決めつけたりすることはないと思います。もし、相手がミスをした場合に、一方的に攻めることをしないで、「愚者一得」を思い出すようにしています。すると自分の気持ちが治まってきます。一方、自分がミスを犯すこともあります。
 もし、自分がミスを犯してしまったら、率直に謝るようにします。すると、相手の気持ちが治まりはじめるきっかけとなります。相手が、上司の場合には、謝ってから、現状報告やその理由などを冷静に話します。説明がくどいて、いい訳がましく聞こえ、心証を悪くしてしまいます。また、結論を先に言うと話がこじれてしまうこともあります。相手が感情的になっていることが多いですので、気持ちを和らげることが先決です。感情と事実説明とのバランスが大切です。
 経営コンサルタントの先生方で、「自分は偉い」、「俺の言うことを聞けば会社は必ず良くなる」、と威張っている人がいます。同様に、「自分は社長だから偉い」「部長の俺に従わない部下が悪い」というように振る舞っている人も見かけます。
 人間の能力というのは、それほど大きな違いはなく、たまたまある分野で多少人様よりよく知っている面があるというに過ぎないことが多いのです。それにもかかわらず、自分の能力を過大評価し、尊大な態度を取ることを「夜郎自大(やろうじだい)」といいます。他の人より多少何かを多く知っているということで、反省することなく、知識の切り売りをしていては、いずれ壁にぶち当たり、伸び悩んでしまいます。
 謙虚になれる人こそ、信頼される人なのではないでしょうか。
 
 
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】 1-2 博覧強記 経営は心でする

2024-04-13 00:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】 1-2 博覧強記    経営は心でする

 

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

 第1章 心の経営と経営の心

 1970年代から半世紀もの永きにわたり経営コンサルタントとして、経営者・管理職の皆さんと接してきました。
 【心 de 経営】を標榜してきました。【心 de 経営】は、二つの意味を兼ねたものです。「経営の心」すなわち、経営を行う真髄はなにかを、また「心で経営」は、人間性を大切にした、相手を思いやる気持ちを大切にする経営や自己管理を含む管理のあり方を、ノウハウ本としてではなく、読者それぞれに、行間を補完しながら、それぞれの方に適した形で感じ取っていただきたいのです。
 本章では、経営者として、あるいは管理者としてのあり方を中心に四字熟語から選択して、私見をまとめてみました。

■ 博覧強記    経営は心でする
~ よく学び、自分のモノとする ~


 西郷隆盛の名言「敬天愛人(けいてんあいじん)」は、旧出羽庄内藩の関係者が西郷隆盛から聞いた話をまとめた「南洲翁遺訓」に記されています。訓読みしますと「天を敬い、人を愛す」となります。「天」は、大和言葉の「高天原(たかまのはら)」という言葉からも空とか大空を表すのが一般的です。「天地万物の主宰者。造物主。帝。神。大自然の力(広辞苑第六版)」という意味もあります。仏教用語では天上に住む神々という意味でもあります。
「敬天」は、「天、天上を畏敬する、おそれ敬う」という意味です。「愛人」は人をいつくしみ愛することです。この「敬天愛人」という四字熟語は、社長室などに額に納められたりしていることがありますが、私はどういうわけか、この言葉と「博覧強記(はくらんきょうき)」という四字熟語が結びついてしまいます。
 宗教を深く信じているわけではありませんが、ものごとがうまく行ったときには、何かに向かって「ありがとうございます」と心の中で、時には口に出していいます。その時の対象が特定の神様や仏様ではなく、「天」であるように私には思えます。
 自分が心穏やかでありたいというのは、知識として吸収したり、書物から学んだりすることは難しいですが、「博覧強記」でありたいという思いから「蛍雪之功(けいせつのこう)」という四字熟語に連鎖します。
 夏は蛍の光、冬は雪の反射光を利用して学ぶということから「苦労して学問に励む」という意味です。「蛍窓雪案(けいそうせつあん)」ともいいます。もともとは貧乏で夜本を読むための灯火に使う油を買うことができなかった中国・晋の国に住む車胤(しゃいん)と孫康(そんこう)の逸話から来ています。車胤は蛍を集めてその光で勉強したそうです。また孫康(そんこう)は雪明かりで学んだという故事があります。(四字熟語辞典)
「刻苦勉励(こっくべんれい)」は「刻苦」は「苦しみに耐える」「勉励」は、「勉め励む」という意味ですので、「一所懸命に勉学や仕事に勤(いそ)しむ」ということです。心身に苦を刻み込むほど、非常なる努力をする様子を言います。反対に、給料泥棒のことを「尸位素餐(しいそさん)」と言います。「尸位」は、「自分では能力があるわけではなく、家柄で高い地位に就く」ということで、「素餐」は「何もしないで飯を食う」ということです。このことから「尸位素餐」とは「高い地位に就いているにもかかわらず、職責を果たさない給料泥棒」のことを指します。しばしば、二代目の息子が、会社の専務の職に就き、「何にも専務」でいるような時に使う表現です。
「博覧強記」に戻りますが、「博覧」は、「博覧会」とか「博覧に供す」という使い方の時は、「ひろく一般の人々が見ること(広辞苑)」という意味です。しかし、ここでは「ひろく書物を見て物事を知ること(広辞苑)」という違う意味で使われています。
 平家物語に「博覧清潔にして」というくだりがありますが、名を残している人は書物を読み、博識であることが多いことが記述されています。
「強記」は、「記に強い」すなわち「記憶力の良い」ことです。すなわち、「博覧強記(はくらんきょうき)」というのは、「広く書物を読み、博識で、かつそれらを良く覚えていること」という意味になります。
 私事になりますが、永年経営コンサルタント業に携わってきました。かつては、経営コンサルタントというのは博覧強記な人であれば、その業として仕事をすることができました。と言いますより、そのような経営コンサルタントが一般的な時代で、「経営コンサルタントというのは、博覧強記たるべし」ということを若輩者の私に教えてくれる先輩が多数いたものです。
 知識や情報が偏在している時代には、経営者・管理職との知識や情報格差を用いて、それを吐露することで、経営コンサルタントという仕事をすることができたのです。知識や情報の差だけで仕事をするのでは、真の経営コンサルタントとは言えません。ところが、残念ながら昨今においてもコンサルタントの中にそのような人が結構います。インターネットが発達している昨今、知識や情報格差だけでは経営コンサルタント業をやることは困難な時代になって来ています。そのようなコンサルタントは、経営者・管理職から見抜かれて、やがては「自然淘汰(しぜんとうた)」されてゆくでしょう。経営者・管理職が経営コンサルタントを選ぶときに注意すべきポイントのひとつと言えます。
「自然淘汰」は、ダーウィンが進化論の中で用いた言葉といわれています。もちろんイギリス人のダーウィンですので、日本語の四字熟語で行ったわけではありません。因みに英語で「natural selection」といいます。「淘汰」は「良いものと悪いものとをより分ける」という意味です。
 選ぶということでは「取捨選択(しゅしゃせんたく)」があります。「取捨」は、「保存しておくべきものと捨てるもの」をいうことから、「悪いものや不要なものを捨て、良いもの、価値あるもののみを選り分ける」とう意味です。

 今日のように高度な経営が求められる時代には、経営者・管理職も経営コンサルタントも「高度な博覧強記」が必要です。それを一人でこなせるようなスーパーマンは存在しないでしょうし、たとえ存在したとして、知識や情報だけでは経営はやってゆけません。
 経営というのは自分の専門分野においては、知識や経験から滲み出てくる智恵を活かせなければ、うまく切り盛りをすることは難しいでしょう。すなわち「博覧強智(はくらんきょうち)」でないと昨今の時代には、企業は生き残れないのです。(博覧強智は、私による造語です)
 企業というのは生き物ですから、一部分だけの博覧強智では、専門分野における部分最適な経営ができても、それは必ずしも全体最適とはいえません。再び経営コンサルタントの話で恐縮ですが、本格的なコンサルティングは、複数の専門家とそれをコーディネートできるリーダーで構成されたチームでなければ対応できない、難しい時代になってしまっています。それだけに経営者一人では、企業経営の舵取りが難しい時代とも言えます。
 他方で、有能な人材を多数企業が雇用したり経営コンサルタントなどの外部からの人材を取り入れたりしていては人件費がかさみ、固定費が高くなってしまいます。その対応策として、例えば平素は、外部ブレインとして経営コンサルタントを、ゼネラルドクターや町医者のように使って、企業全般を観察してもらい、経営理念や経営計画からできるだけ逸脱しないように経営を注視してもらいます。そして、その外部ブレインが専門外の課題に対処するときには、専門家集団で対応してもらうことが現実的な対応といえます。
 私の職業である経営コンサルタント仲間の中には、研究熱心で、論文や書籍をたくさん書いている人がいます。そのような人は知識も豊富でしょうから、私がその人と議論をしても太刀打ちできないかも知れません。
 しかし、そのような経営コンサルタントの中には、自分の博識をひけらかし、難しい話をして相手を煙に巻く人もいます。「カミソリのように切れる・・・」と言われては得意げになっています。それで飯が食えると思っている人もいます。
 経営は心でするものです。心が通じ合わなければ、社員は動きません。経営者・管理職や社員達と経営コンサルタントなどの外部ブレインが共鳴・共感しあえる経営でないと、ゴーイングコンサーン、すなわち企業の継続制が損なわれかねません。テレビやマスコミで、頭でっかちの「コンサルタント」というような人を見かけますが、企業に行ってそれを実践させたらおそらくその企業は衰退・倒産に繋がってしまうでしょう。
 なぜなら、頭でっかちでは、心が通い合わないからです。
 企業経営も経営コンサルタント業も、時代に応じた臨機応変な対応が必要となります。
 
 
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】 1-1 天下布武 経営者は天下布武の視点で自省してはどうでしょうか

2024-04-06 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】 1-1 天下布武    経営者は天下布武の視点で自省してはどうでしょうか

 

 
  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

 第1章 心の経営と経営の心

 1970年代から半世紀もの永きにわたり経営コンサルタントとして、経営者・管理職の皆さんと接してきました。
 【心 de 経営】を標榜してきました。【心 de 経営】は、二つの意味を兼ねたものです。「経営の心」すなわち、経営を行う真髄はなにかを、また「心で経営」は、人間性を大切にした、相手を思いやる気持ちを大切にする経営や自己管理を含む管理のあり方を、ノウハウ本としてではなく、読者それぞれに、行間を補完しながら、それぞれの方に適した形で感じ取っていただきたいのです。
 本章では、経営者として、あるいは管理者としてのあり方を中心に四字熟語から選択して、私見をまとめてみました。

■ 天下布武    経営者は天下布武の視点で自省してはどうでしょうか
~ 民を豊にするものが天下を取る ~


「天下布武(てんかふぶ)」といいますと、「天下に武を布く」と訓読でき、国を治めるという織田信長の基本的な考えです。信長が美濃攻略をしたあとで、当時井ノ口と呼ばれていました地を「岐阜」と改名しました。その頃から「天下布武」の印章を用いていると言われています。
 一般的には、「武力を以て天下を取る」と解釈され、天下統一の意志を示すものとして理解されています。しかし、信長研究者の多くによりますと、信長の心は「暴力を抑え、戦いをやめ、全ての民を和ませ、物資を豊かにすることができる者が天下を治めるのにふさわしい」ということだそうです。日本史の授業で学んだことがあると思いますが、楽市楽座を積極的に推進したことからも、信長が意図した天下布武の一端を窺えるような気がします。
 信長の横暴さが目立つために、上述のように本来信長が意図したといわれます「天下布武」という言葉はなんとなく彼らしくないような気がしました。ところが私個人の、その解釈は、歴史を正確に把握していないことから起こる偏見なのでしょうか、信長ファンに、「信長の真の姿が理解されていないから、そのような見方しかできないのだ」と厳しく指摘されたことがあります。今では私もそのお考えに同意でき、後者の解釈を採用することにしています。
 秀吉の時代に「天下」といいますと、広く日本全国を指しますが、中世後期においては信長がいう「天下」とは、室町幕府が管轄する畿内を意味し、畿内領域のみの支配を意図したとする説もあるようです。すなわち、信長は日本全国を統一するという意図を持っていたわけではないということです。
 日本全国を統一するためには、それに見合うだけの勢力と、その人に対する魅力が必要であることを信長は理解していたのかもしれません。
 しかし、歴史や信長については素人の筆者ですが、信長は海外情報にも通じるところがありますので、はやり信長のいう「天下」というのは、日本国全体を指すのではないかと考えています。もしそうでありますと、戦国時代に生きた人としては、信長は先見の明があったと見て良いでしょうし、またそのくらいの器であったのではないかと思います。すなわち、グローバルな視点というまでに至っていたかどうかはわかりませんが、インターナショナルで政治を考える人であったのではないかと推察いたします。

 蛇足になりますが、「インターナショナル」の「インター」という言葉は、「相互間の」という意味です。高速道路の「インター」といいますと、ひとつの道と他の道との間を接続するというところから来ています。「ナショナル」というのは「国の」という形容詞ですので、「インターナショナル」というのは、「国と国の間を結ぶ」という意味で、「国境を越えた」間柄を指します。
 それに対して「グローバル」という言葉は、国境を意識しない、地球全体をひとつと考え、その中での地域性の存在を認める考え方です。「グローバル」は「グローブ(globe)」すなわち「球形」とか「地球」という意味の形容詞です。野球で使うのは「グラブ(glove)」です。

 話が、脱線してしまいましたが、信長は、自分を「神」と呼ばせた、あるいはそこまで言わないまでも「神扱い」させたということも聞きますが、世の中の社長には「企業は社長のもの」と思っている人が結構いるように思えます。近年は、「会社は株主を重視する」というアメリカ的な発想が根付いているようです。

 企業は「ステイクホルダー」のためということも良く聞きます。ステイクホルダーには、株主だけではなく、顧客、社員、仕入れ先、地域社会の人達等々企業に関係する人を指し、「利害関係者」という言い方もします。
 私の経験では、「社員をおろそかにしている企業の成長には限界がある」ように思えます。その一例として、私の知っているあるベンチャー企業の社長さんは、社員の抜擢人事をしばしば行いましたし、当時そのようなやり方がもてはやされました。すなわち「常套手段(じょうとうしゅだん)」、「同様な状況においていつも用いる方法」で、時には「古くさい、陳腐な」というニュアンスが込められます。
 後の秀吉である、藤吉郎が重用されるようになったことに代表されますが、信長の抜擢人事にも似たところがあります。経営がうまく行っている間は、それがその会社の企業体質ということで社員も納得せざるを得なかったのでしょう。
 その社長さんは、バブルがはじけてからも、その人事政策を続けていました。あるときリベラルな思想を持ち、社員からも信頼の厚かった常務取締役を、業績不振の責任をとらせるという理由で、平の取締役に降格することを決めました。「出処進退(しゅっしょしんたい)」を問われるのは、社長です。現場で指揮を執っている常務ではなく社長のワンマン経営に業績不振の原因があることを社員は良く知っていました。
「出」は「世に出て仕える」、「処」は「仕官をしないで家に留まる」という意味で、「出処進退」とは「官職にいて仕事を続けるか、民間に退くか」という身の処し方のことで「事に当たってのもの処し方」を意味します。
 社長は、「周囲がすべて敵ばかりで助けてくれる見方がいない状況」の「四面楚歌(しめんそか)」だったのです。中国で、楚の項羽と漢の劉邦が闘っているときに、楚の故郷の歌を歌う漢軍の歌を聞き、楚が漢に占領されてしまったと誤解したという逸話から来ています。
 その社長に嫌気がさしたのか、「一蓮托生(いちれんたくしょう)」、ゴッソリ揃って退社してしまいました。「一蓮托生」の「托」は「託」とも書き、もともとは仏教用語で「よりどころにする」「身を寄せる」という意味です。「よい行いをした者は極楽浄土に往生して、同じ蓮はすの花の上に身を託し生まれ変わる(四字熟語辞典)」を意味し、転じて、「仲間として行動や運命をともにする」という意味で使われます。
 皮肉にも退職した社員の多くは、その社長にかつて抜擢された社員でした。退職を決意した理由の一つは、人間を「駒」としてしか見ておらず、抜擢といっても社員の一面を見ただけで判断をし、その見方に沿わない社員は昇級も昇格昇進も期待できない人事政策だったのです。

「雲散霧消(うんさんむしょう)」とか「雲消霧散(うんしょうむさん)」ということが、この社長の下で起こってしまいました。雲や霧が、跡形もなく消えてしまうように、主な社員が散ってしまいました。類語に「雲集霧散(うんしゅうむさん)」がありますが、雲が集まるように人が一時的に集まりますが、たちまちの内に離散してしまう状況を指します。「離合集散(りごうしゅうさん)」とも言います。因みにこの反対の意味を表す「雲合霧集(うんごうむしゅう)」という言葉もあります。雲や霧が発生するときのように多くの人が一気に集まってくることを指します。
「社長は孤独である」という名言がありますが、「形影相弔(けいえいそうちょう)」という四字熟語はまさにそれを表します。自分の影と自分がお互いに慰め合うという意味から「孤独で寂しい」ことをいいます。同様な意味で「鰥寡孤独(かんかこどく)」、「天涯孤独(てんがいこどく)」という表現もあります。声をかけたり、訪問したりしてくれる人がいないのでは、孤独死を待つだけになってしまいますね。
「天下布武」という言葉の真の意味を私たちは見直して、自分自身に照らし合わせてみる必要がありそうです。
 
 
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】 第1章 心の経営と経営の心

2024-04-03 12:42:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】 第1章 心の経営と経営の心

四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。
 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。
 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 以前にも四字熟語をご紹介していましたが、一般的な意味合いを中心にお話しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。以前の四字熟語ブログもよろしくお願いします。

■ 第1章 心の経営と経営の心

 1970年代から半世紀もの永きにわたり経営コンサルタントとして、経営者・管理職の皆さんと接してきました。その間、経営コンサルタントの目から見ても素晴らしい経営者・管理職の方がたくさんいらっしゃることを発見しました。一方、そのような素晴らしい経営者・管理職でさえも類似している課題が存在することも感じてきました。
 他方、どちらかというと元気のない企業に、換言しますと「一般的な企業」といえますか、その経営者・管理職の方々に見られる問題点も目の当たりにしてきました。
 【心 de 経営】の「 de 」は、フランス語の前置詞です。「de」は、英語の「 of 」に相当する「~の」という所有を表す意味があります。すなわち「心 de 経営」というのは「経営の心」という意味で、上述前者の優良企業におけるコンピテンシーを中心に、経営のあり方を、四字熟語を通じてご紹介します。
 後者の、一般的に多く見られます中小企業で感じられるのが、経営のやり方に、もっと違うやり方や工夫があるのではないかと思うことが多々あります。社員の人間性を認めた上で、自発性を活かしている企業が多いのです。そこに欠けているのが「心で経営」ということです。
 上述のように、たとえ優良企業といえども、社員の人間性が認められていなかったり、自発性を活かし切れていなかったりする企業が多いのです。そこに欠けているのが、人間性を大切にし、相手を思いやる「心で経営」ということです。
 お解りいただけたと思いますが、【心 de 経営】は、二つの意味を兼ねたものです。「経営の心」すなわち、経営を行う真髄はなにかを、また「心で経営」は、人間性を大切にした、相手を思いやる気持ちを大切にする経営や自己管理を含む管理のあり方を、ノウハウ本としてではなく、読者それぞれに、行間を補完しながら、それぞれの方に適した形で感じ取っていただきたいのです。
 本章では、経営者として、あるいは管理者としてのあり方を中心に四字熟語から選択して、私見をまとめてみました。ブルース・リーが主演した「燃えよドラゴン」の中で「Don't think! Feel!」という有名な台詞があります。「考えるな、感じろ」という言葉に通じるものを感じます。あなたに適した形で感じ取る契機となることを期待しています。
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【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】 はじめに 四字熟語を経営の視点で診る

2024-03-30 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

  【経営四字熟語で目から鱗が落ちる】 はじめに 四字熟語を経営の視点で診る

 

 

  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。

 経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。

 四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。このシリーズでは、四字熟語を経営の視点で診て、つぶやいてみます。

■ はじめに

  四字熟語というのは、漢字四文字で構成された熟語であることはよく知られています。お恥ずかしいながら、その四字熟語というのは、すべてが中国の故事に基づくものとばかり思っていましたが、実はそうではないことを発見しました。経営コンサルタントという仕事をしていますが、その立場や経営という視点で四字熟語を”診る”と、今までとは異なった点で示唆を得られることが多のです。「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、四字熟語を講演や研修の場で用いたり、自分の仕事や日常会話に活かしたりするようにしましたら、他の人が私を尊敬といいますとオーバーですが、自分を見てくれる目が変わってきたように思えたことがあります。四字熟語の含蓄を、またそこから得られる意味合いを噛みしめますと、示唆が多いですので、企業経営に活かせるのではないかと考えるようにもなりました。これを「目鱗経営」と勝手に造語し、命名しました。
 『新明解四字熟語辞典』(三省堂 1998年)では、凡例で以下のように漢字四字熟語を6つに分類しています。
   1.現代社会 - 官官接待、総量規制など
   2.日本の成句 - 手前味噌、手練手管など(「てまえみそ」「てれんてくだ」のように音読みしないものが多い)
   3.中国典籍 - 臥薪嘗胆、櫛風沐雨など
   4.仏教語 - 色即是空、四苦八苦など
   5.之入り - 背水之陣、一炊之夢など(通常は「背水の陣」「一炊の夢」と表記する)
   6.訓読語 - 灯火可親、先従隗始など(通常は「灯火親しむべし」「先づ隗より始めよ」と訓読される)
 四字熟語には、類似した表現もあれば、正反対の意味を持っていて相互に矛盾をする四字熟語もあります。一つの四字熟語で異なった意味を持つものもあれば、時代により意味が変化して来たり、熟語そのものの表記が変形してきたりすることもあります。企業経営も時代や環境に応じて、臨機応変に対応しないと勝ち残りはおろか、生き残りすら困難です。この点では、四字熟語も流行り廃りや変化があり、時代と共に変化する経営に共通するものがあるように考えます。

 数千とも言われますが、四字熟語といっても種々ありますし、使用されます頻度も異なります。ここでは、二つの漢字からできている熟語を二つ重ねたような、一見して四字熟語に見えるものは対象にしないことにしました。一方、例えそのような四字熟語でも、伝統的に四字熟語と認められているような場合には四字熟語として取り入れるようにしました。
 内容や形式にとらわれず独断と偏見に満ちてはいますが、経営や管理を行う立場の人や、それを支援する経営コンサルタントのような専門職の先生方やそれを目指している人の参考になればと考えて、本書に取り組みました。
  数多くあります四字熟語の中から、経営コンサルタントの視点で、【心 de 経営】の精神に沿い、経営に活かせそうな示唆に富むものを厳選してして、ここにご紹介します。
 私の経歴上のこともありまして、ここでご紹介する内容の中には経営コンサルタントに比重の高い項もあります。逆転の発想という言葉もありますように、経営者・管理職の皆さんには、「経営コンサルタント選び」という視点で裏を返してみて下さいますと、そのような項目にも目を通す価値を発見することができるかもしれません。また、同じ四字熟語や類似事例を、複数の箇所で重複して利用もしています。同じ熟語でも、ケース毎に使い方やニュアンスが多少異なることに繋がってくだされば幸いです。

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■■【名言格言】安部能成「自なくして他なく、他なくして自なし」

2023-07-11 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

■■【名言格言】安部能成「自なくして他なく、他なくして自なし」

 

 【名言格言から経営ノウハウを感じ取る】は「経営四字熟語」とともに益々人気上昇中です。名言格言や四字熟語を学びながら、経営のヒントを併せて得ることができるという切り口が好評の理由です。話材にも使えて、益々面白くなります。

 

 

 

■ 自なくして他なく、他なくして自なし 

 

 安部能成(18831966)は、対象・昭和期の教育者であり、哲学者でもあります。彼の「学生に対する一般的助言」の一節です。

 

 学生が相手ですので、どのような人生を歩んだら良いのかを考えさせるという意図で、社会人としてのあり方を説いているのでしょう。学生時代も人との関わり合いは難しい面がありますが、基本的には似た年代であり、学生であるという基本部分で共通しているところが多いと言えます。

 

 しかし、社会というのは、年齢幅が学生時代に比べると格段と広がり、経験も異なり、当然のことながら価値観も違うわけです。そのような中で、他者の存在の重要性を説いている一説です。

 

 今日、学生に限らず多くの人が自分という狭い中での思考が多すぎるような気がします。道を歩いているときに、ぶつかりそうになる直前まで何もしない人が多く、ぶつかりそうになって初めて回避行動を起こすのです。回避行動すらしない人も結構います。

 

 狭い路地から自転車で急に飛び出してくる人の多いこと、それも若者だけではありません。狭い路地には人がいなくても、広い道に出たら人がいる可能性は高いわけです。ところが、自分の世界だけでの思考ですから、他人がそこにいるという思考がないのです。

 

 電車の優先席で、ケイタイに夢中になっていて、目の前にお年寄りが立っても、自分が席を譲らなければならないという意識はありません。「私の妻は身障者なので、席を譲っていただけませんか?」というと席を立ってくれる人がいると言うことは、優先席が何たるかをわかっているからでしょう。

 

 妻が病院に行くのがちょうど通勤時間帯にぶつかってしまいました。混雑する電車に乗るのが怖いようですが、優先席に座れば大丈夫と言い聞かせて電車に乗りました。席を譲って欲しいと声をかけましたが、だれも席を譲ってはくれませんでした。それどころか、通勤時間帯になんで身障者が電車に乗るのだと言わんばかりの雰囲気が漂った気がしました。(被害者妄想かも知れません)

 

 他人を思いやる気持ちが、今日では薄れているように思えます。

 

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■■【名言格言】武者小路実篤「笑はれるのを恐れる」

2023-07-04 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

■【名言格言】武者小路実篤「笑はれるのを恐れる」

 

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■「笑はれるのを恐れるよりは心にないことを云ふのを恐れなければいけない」

 

 武者小路実篤(18851976)の「幸福者」の一節です。

 

 武者小路実篤は、Wikipediaでは下記のように紹介されています。

 

 日本の小説家。姓の武者小路は「むしゃのこうじ」と読むが、実篤自身は「むしゃこうじ」と名乗っていた。一般には「むしゃのこうじ」で普及しており、本人も誤りだと糺すことはなかったという。

 仲間からは「武者」という愛称で呼ばれた。位階は従三位。文化勲章受章。授与された称号には名誉都民などがある。日本芸術院会員。

 

 我々はしばしば外聞を気にして見栄を張り、時には大風呂敷を広げることがあります。そのようなことを言ってしまった後で、反省をしたり、良い気分でなかったりします。

 

 人間というのは、自分自身を偽ると決してよい気分ではいられません。世の中には、そうでない人もいるかも知れませんが、通常では自分自身を偽って平気でいることはできないのではないでしょうか。

 

 お恥ずかしながら、「幸福者」を読んでいないので真偽の程はわかりませんが、実篤は、自分を偽って針小棒大に言うのではなく、自分の気持ちを素直に表現することがよいと言いたいのではないでしょうか。

 

 自分自身に嘘をついたり、偽ったりし続けることは、他の人に気づかれないかも知れませんが、自分自身を騙し続けることはできませんね。むしろ嫌な気分が残ります。それがわかっていながらやってしまいがちです。

 

 一方で、マーケティングというのは、現実にある物やサービスをいかに効率よく販売するようにするかを考えることです。物は見る角度により異なって見えることを利用して、欠点を長所として紹介することもできます。

 

 グーグルが日本でサービスを提供するようになってから、「経営コンサルタント」をキーワードで検索すると私のサイトがトップまたはその直下あたりにリスティングされます。

 

 以前は、それを人に言うことをあまりしませんでした。自分の自慢話をするように思えたからです。しかし最近は、周りの人のアドバイスを受けて、逆に積極的にこのことを紹介するようにしています。その効果かどうかはわかりませんが、結構色々な人から声をかけられたり、メールをいただいたりするようになりました。

 

 一方で、それが為に「自己顕示欲が強く、嫌なやつ」と思われている面もあるのではないでしょうか。

 

 ものごとの両面性を認識し、何ごともほどほどにするのがよいのではないかと、自分にも言い聞かせているこの頃です。

 

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■【名言格言】山本常朝「礼儀を乱さず」 ~ わたくしの生き方

2023-06-27 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

■【名言格言】山本常朝「礼儀を乱さず」 ~ わたくしの生き方

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■ 礼儀を乱さず、へり下りて、我が為には悪しくとも、人の為によき様にすれば、いつも初会のようにて、仲悪しくなることなし

 

 山本常朝(16591719)の言葉で、「葉隠」(はがくれ)に記述されています。

 

 Wikipediaによると下記のように説明されています。

 

 「葉隠」(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に出された肥前国鍋島藩藩士、山本常朝の武士としての心得について見解を「武士道」という用語で説明した言葉を田代陣基が筆録した記録である。全11巻。葉可久礼とも書く。

 

 常朝と言うと「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」が有名で、そちらで常朝をご存知の方が多いと思いますが、私は掲題のことを自分の生き方の一つとしています。

 

 礼儀と謙虚さを忘れなければ、どのような人とも、初対面の時のように何のわだかまりもなく接することができると人間関係を円滑にする手立てを説いていると考えています。

 

 人間は、誰しもよい面、優れた面を持っていると信じています。その点においては自分より優れていることが多く、それをもとに相手に尊敬の念を忘れないように、誠意を持って接するようにしています。

 

 これに関連して、今ひとつ私が心がけていることが相手に対する「思いやり」です。

 

 相手に誤解を受けて、人間関係がこじれても、その態度を貫くと、多くの場合氷解してきます。もちろん、うまくいかないことも多いのですが、100人の人のうち100人とうまくやろうと欲張らないようにしないと、自分が悔回の念に押しつぶされてしまうのではないかと思います。

 

 経営コンサルタントにしろ、経営者・管理職にしろ、人との交わりなしには仕事を続けることはできません。自分なりの人との交わり方を意識することは大切なのではないでしょうか。

 

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■■ 【名言格言】松平定信「友はその所長を友とすべし」

2023-06-20 12:03:00 | 【心 de 経営】 経営四字熟語・名言

■■ 【名言格言】松平定信「友はその所長を友とすべし」

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■ 友はその所長を友とすべし 友達の作り方

 

 江戸後期の老中である松平定信(17581829)は、「花月草紙」の中で「友はその所長を友とすべし」と記述しています。

 

 「所長」とは、研究所など、「所」と称するところの長を指すことは我々のなじみ深いところです。ところが、広辞苑には、その項の次に「得意とするところ。長所」という意味が記載されています。

 

 このことから、「友達を選ぶときには“所長”すなわち“長所”を見て判断すべきである」と定信は言いたいのでしょう。

 

 当ブログでも、私も同様なことを何度か記述してきているのでお気づきの方も多いと思いますが、花月草紙を読んでいないので、定信の真意はわからないながらも何か通ずるものがあるように思えます。一方で、何となくニュアンスに違いがあるようにも思えます。

 

 定信は相手のよい点を認め、それを基に友となりたくてアプローチをすると相互に得るところがあってお互いによい影響を与え合え、お互いが成長してゆくということを言いたいように思えます。

 

 私は、相手の長所を見ると自然と相手がどのような人かを感じ取れるようになり、親しみを感じると相手もそれを鋭敏に感じ取ってくれ、人間関係が自ずとできていくと考えています。

 

 ほとんど同じようなことですので、気にする必要はないと自分に言い聞かせながら、類似する発想をもっていることが何となく嬉しく感じました。

 

 話は「花月草紙」に戻りますが、百科事典マイペディアによると下記のように解説されています。

 

 松平定信の随筆。成立は1812年以後。6巻6冊156章。雅文。著者が老中辞職後,政治,経済,学問,自然現象,日常生活などについて記したもの。高い見識,深い学殖がみられる。

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