経営コンサルタントへの道

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業 これまでのあらすじ 経験不足の竹根のもがき

2024-05-31 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業 これまでのあらすじ 経験不足の竹根のもがき  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。


 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である長池が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。
 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 商社マンの業務の一つである、アメリカ詣でに来られた社長さん達のアテンドには、まだ慣れない竹根です。根っからの性格もあり、誠意を持って対応することに心がけ、かいがいしく動いています。
 アメリカで、自分の判断での初めての営業活動の臨んだ竹根ですが、日本の商品が、そのままアメリカに売れるとは限らないという大きな問題に直面するのです。改めてマーケティングの重要性を認識します。


【過去のもくじ】
 1.人選
  1ドル360円時代
  鶏口牛後
  竹根の人事推理
  下馬評の外れと竹根の推理
  事業部長の推薦と社長の思惑
  人事推薦本命を確実にする資料作り
  有益資料へのお褒めのお言葉
  福田社長の突っ込み
  竹根が俎上に上がる
  部下を持ち上げることも忘れない
  福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか
  初代アメリカ駐在所長が決定
  初代所長の決定に納得できず
  竹根に白羽の矢
  竹根の戸惑い
  長池係長のアドバイス
  急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験
   いよいよ渡米、最初のカルチャーショック
  キュンとしたりトロトロしたり
  心細いサンフランシスコ上空
  生まれて初めて外国の地に降り立つ
  ニューヨーク事務所開設準備が始まる 
  ニューヨークで稼働開始
  ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!?
  ニューヨーク生活もカネ次第

 4 迷いの始まり
  初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生
  これって“恋”?
  新しいミッションはCIA???
  新しいミッションはCIAのスパイではなかった
  新しいミッションの準備と竹根の気づき
  仕事を通して人脈ができてくる
  誠意を持った対応
  竹根にとって初めての顧客開拓
  アメリカでの初めての商談
  原点に戻ってマーケティング

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 13 ビジネスでの落ち込みに効く特効薬

2024-05-24 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 13 ビジネスでの落ち込みに効く特効薬 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。
 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 新しいミッションが届きました。その準備の合間にも日常業務もあります。 商社マンの業務の一つである、アメリカ詣でに来られた社長さん達のアテンドには、まだ慣れない竹根です。根っからの性格もあり、誠意を持って対応することに心がけ、子ネズミのように走り回る毎日です。
 アメリカで、自分の判断での初めての営業活動の臨んだ竹根ですが、日本の商品が、そのままアメリカに売れるとは限らないという大きな問題に直面するのです。改めてマーケティングの重要性を認識します。


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた
 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 
 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第
 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 新しいミッションはCIAのスパイではなかった 新しいミッションの準備と竹根の気づき 仕事を通して人脈ができてくる 誠意を持った対応 竹根にとって初めての顧客開拓 アメリカでの初めての商談 原点に戻ってマーケティング
 
■■ 4 迷いの始まり
 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-13 ビジネスでの落ち込みに効く特効薬


 初めての新規顧客開拓活動も、市場調査のマーケティング活動も、竹根の自信をなくすだけであった。
 まだ午後の四時なのに、窓の外が暗く見えた。何もする気が起こらない。
――ここのところ、残業も、休日出勤も重なっているから、今日一日くらい、早退しても許されるだろう――
 自分に言い聞かせて、竹根は帰途についた。自宅のアパートまで、長い道のりであった。
 アパートの薄暗い玄関にある、集合ポストの自分の扉を鍵で開けた。白い小振りの封筒がぼんやりと見えた。何だろうと思って取り上げ、差出人を見た。目を疑った。相本の名前がある。それまで、相本の名前が『かほり』であることすら知らなかった。
 部屋に戻るなぞと悠長なことを言っていられなくなり、急いで封を切りたい気持ちであった。何とか、その誘惑に耐え、自宅に入ると鞄を投げ出し、丁寧に封を切った。薄く印刷されたボタンの便せんに、かほりの達筆な文字が目に飛び込んできた。竹根が、ファイルフォルダーのことでしょげていることを気遣う言葉が並んでいた。涙が、ポツンとかほりの便せんに落ちると、そこの文字が滲んだ。
 その晩は、徹夜をしてでもかほりに返事を書こうと、急いでハンバーグのTVディナーをオーブンに放り込んだ。ハンバーグ、付け合わせの野菜、デザートなどが、プレス型で仕切られたアルミフォイルの皿にのっていて、十分から十五分間オーブンに入れると簡単にできる食事である。アメリカのインスタント食品である。
 それができあがると、食べ終わるまでの時間がもったいなく思えた。そそくさとたいらげ、ざっとアルミの皿を水で流してから、ゴミ箱に投げ捨てた。
 机の便せんに向かったが、自分の気持ちをどこまで書こうか、またこの前のように逡巡した。
――焦って、自分の気持ちを告白して、それで嫌われたらおしまいだ。それに自宅に手紙が送られてきたからと言って、かほりさんの気持ちがこちらに向いているわけではない。ただ、同情心で、手紙をくれただけに過ぎないだろう――
 竹根は、こちらでの失敗談を含め、アメリカでのビジネスの難しさを中心に、自分の未熟さ、それを克服しようと努力していること、前向きな姿勢を手紙にしたためた。今回は、年賀状をもらった時のように、机に突っ伏して朝を迎えることなく、ベッドで眠ることができた。久しぶりに心地よい眠りであった。

  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 12 原点に戻ってマーケティング

2024-05-17 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5 迷いの始まり 12 原点に戻ってマーケティング 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。
 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 新しいミッションが届きました。その準備の合間にも日常業務もあります。 商社マンの業務の一つである、アメリカ詣でに来られた社長さん達のアテンドには、まだ慣れない竹根です。根っからの性格もあり、誠意を持って対応することに心がけ、子ネズミのように走り回る毎日です。
 アメリカで、自分の判断での初めての営業活動の臨んだ竹根ですが、日本の商品が、そのままアメリカに売れるとは限らないという大きな問題に直面するのです。


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた
 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 
 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第
 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 新しいミッションはCIAのスパイではなかった 新しいミッションの準備と竹根の気づき 仕事を通して人脈ができてくる 誠意を持った対応 竹根にとって初めての顧客開拓 アメリカでの初めての商談
 
■■ 4 迷いの始まり
 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-12 原点に戻ってマーケティング

 せっかく、苦労して福田商事のファイル見本を準備してくれた、竹根の東京側の担当である相本になんと伝えようと悩みながら、事務所に帰った。
 相本に、何も報告しないのは失礼でもあるし、そんなことをしたら今後協力もしてくれないであろう。申し訳ないという気持ちを相本に率直に伝えた。これまでは、本社からの手紙を送るという関係しか相本とはなかったが、最近は、相本に直接手紙を書く機会が出てきたことがせめてもの救いである。
 相本に手紙を書けることを起爆剤として、気を取り直し、竹根の売れる商品発掘の模索は続いた。ファイルフォルダーに続いて、目をつけたのは地球儀である。福田商事のカタログをパラパラめくっていて目に付いた。そのときに、先日の文具卸商の購買担当者の事務所に大きな地球儀が置いてあったのを思い出した。今度は、事前マーケティング調査を忘れまいと、ニューヨークでも有名なゴールドマン文具店を訪れて、地球儀がいくらするのか調べた。福田商事の国内定価しかわからないが、それと比べると何とかなるのではないかという気がした。
 相本にメーカーからの見積書を取るように依頼しようと、勇んで事務所に戻った。数日するとテレックスで見積価格を知らせてきた。英語の版下を作成し、輸出梱包をするとFOB価格がすでにゴールドマン文具の小売値を超えている。地球儀は、空気を運ぶようなものである。空気にも船賃がかかる。それよりもショックだったのが、日本にある地球儀をそのままアメリカに持ってきて売れると思っていた自分が情けない。英語表記の地球儀にしなければならないという当たり前のことすら気がつかなかった。

  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 11 アメリカでの初めての商談

2024-05-10 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 11 アメリカでの初めての商談 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。
 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 新しいミッションが届きました。その準備の合間にも日常業務もあります。 商社マンの業務の一つである、アメリカ詣でに来られた社長さん達のアテンドには、まだ慣れない竹根です。根っからの性格もあり、誠意を持って対応することに心がけ、子ネズミのように走り回る毎日です。



【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた
 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 
 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第
 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 新しいミッションはCIAのスパイではなかった 新しいミッションの準備と竹根の気づき 仕事を通して人脈ができてくる 誠意を持った対応 竹根にとって初めての顧客開拓
 
■■ 4 迷いの始まり
 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-11 アメリカでの初めての商談

 購買担当者は、差し出した名刺を受け取るだけで、日本の商品は、のっけから『安かろう、悪かろう』で見本も見ないで「値段はいくらかね」という質問から入ってきた。見本を見せながら、その価格をいうと、「まあまあの値段だね」という回答が返ってきて、俄然勇気が出てきた。
 見本を手に取ると、「しっかりしたできだね。日本でも結構いい商品を作っているのだ」と言ってフォルダーを開いた。渋面である。
「バインダーは、アメリカ仕様になっていないじゃないか。それに、縦の長さがDIN規格じゃだめだよ」
 竹根には、それが何を意味するのかわからない。日本製品がドイツのDIN規格に基づきA4サイズが基本であることすら知らなかった。アメリカでは、A4サイズよりちょっと短めのレターサイズが標準なのだ。
 それだけではなかった。竹根が言った価格は、一冊の価格である。ところが、相手は、十冊が一箱に入っての値段であると勘違いをしていたのだ。一ドルが、三百六十円から三〇八円になったために従来よりさらに価格に大きな差が出てしまった。「安かろう、高かろう」ではなく「高かろう、悪かろう」と言われたようで、アメリカとの違いを思い知らされた。それよりも、竹根は自分がマーケティングを勉強してきたにもかかわらず、事前の市場調査もしていなかったことを恥じた。恥じただけではなく、当たり前のことすらやっていなかった自分の能力を疑った。商社マンとして、自分は適しているのだろうかと考えた、悄然とした竹根を見た購買担当者は、「よい商品があったらまた来なさい」と言って、名刺をくれた。

  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 10 竹根にとって初めての顧客開拓

2024-05-03 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 10 竹根にとって初めての顧客開拓  

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。
 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 新しいミッションが届きました。その準備の合間にも日常業務や東京からの来客のアテンドもあり、子ネズミのように走り回る毎日です。


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた
 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 
 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第
 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 新しいミッションはCIAのスパイではなかった 新しいミッションの準備と竹根の気づき 仕事を通して人脈ができてくる 誠意を持った対応 竹根にとっての営業活動
 
■■ 4 迷いの始まり
 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-10 竹根にとって初めての顧客開拓


 竹根は、元来が口数の少ない男であり、営業活動で売り込みをした経験など一度もない。やっと見つけた卸商の入り口まで行ったが、玄関を入る勇気が出ない。逡巡する気持ちが、動物園の熊のようにその前をうろうろと歩き回らせている。足元ばかりを見ていた竹根がふっと視線を上げた。まわりは身なりのよくない人ばかりがうろついている。そのうちの一人が、竹根に近づいて手を出しながら、「クォーター」と繰り返す。
――クォーターってなんだろう。四分の一のことだけど、あ、そうか、二十五セントコインのことで、それを自分にくれと言っているのか――
 他人のことにかまっていられる状況にない竹根である。入り口の前にいつまでもうろうろしているわけにはいかず、まわりの恐ろしい雰囲気に背中を押されて玄関を入った。玄関ホールにある守衛室のようなところに受付嬢らしい人が見える。
「竹根といいますが、購買担当者にお会いしたいのです」
 受付嬢は竹根の方を見るのでもなく、自分の仕事を続けている。聞こえないのかと思って、も一度訪問目的を繰り返した。
「聞こえています。今、この仕事をやっているので、終わるまで待ってください」と素っ気ない返事が返って来た。
 五、六分立ったまま待たされた。「何の用?」とまた素っ気ない言い方である。
――『お客様は神様』という言葉はアメリカから来たものと理解していたが、どうやらそうではないらしい――
 竹根には、相手が竹根をお客様と見ていないことを理解できていない。受付嬢も、東洋人の子どもが、ハロウィーンでもないのに物乞いに来たのかと、気持ちがすれ違っているのである。来意を言うと、「アポイントメントはあるの?」とまた素っ気ない。
 日本の会社の者で、わが社のすばらしい商品を貴社に紹介し、貴社のような業績を上げている会社の商品ラインとして加えていただけると私としては非常に幸福になれる、と日本人を相手にしたら言えない歯の浮くような言葉を並べた。
「アポイントを取ってから、来て」
 そこで、竹根はアメリカで学習した、チップを思い出した。
「これは、日本のコインなのです。中心に穴の開いたコインはアメリカにもありますか?」
 五円玉を一つ差し出すと態度が急変した。穴の開いたコインの効果は大きく、ようやく担当者に会えることになった。竹根は、受付突破の難しさを実感した。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 9 竹根にとっての営業活動

2024-04-26 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 9 竹根にとっての営業活動

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。
 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 新しいミッションが届きました。その準備の合間にも日常業務や東京からの来客のアテンドもあり、子ネズミのように走り回る毎日です。


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた
 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 
 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第
 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 新しいミッションはCIAのスパイではなかった 新しいミッションの準備と竹根の気づき 仕事を通して人脈ができてくる 誠意を持った対応
 
■■ 4 迷いの始まり
 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-9 竹根にとっての営業活動


 日本からのアメリカ詣での人達は後を絶たず、アテンドのスケジュールがびっしりの感じである。アテンドの合間に、自分の仕事のスケジュールを入れるほど、日本からの来訪客は続いた。日本のどのメーカーもアメリカという広大な市場を無視できないのである。いつしか、ハドソン川に上流から流れてきた氷の固まりが、桃太郎の桃のようにドンブリコドンブラコと流れる季節になった。
 青く透明な色をしている塊、黒くすすけた感じの氷がピンクの桃とは大きく異なるが、それはそれで壮観である。それは、東京でしか生活したことのない竹根には当然初めての光景である。氷同士がこすれて、時々ギリギリというような恐竜の鳴き声をたてる。耳を澄ますと、サラサラという軽やかな音も聞こえる。気温零度の日が当たり前の厳しいニューヨークでの初めての冬はまもなくの終わりを告げてきている。
 駐在員としては、アテンドの合間の竹根自身の仕事も無視できない。福田商事の商品は、何千点もあるが、その中で、アメリカに売れるものが何かが見えてこない。ファイルフォルダーなどの消耗品は、単価は低いが売れれば金額が張る。そこで、福田商事が扱っているファイルフォルダー一式の見本を相本に送らせた。
 ライトバンに見本をすべて乗せると、バックミラーで後ろが見えないくらいになってしまう。そこで、適当に見繕って、売れそうなフォルダーだけを持って行くことにした。フォルダーは紙なので、ファイルがぎっしり詰まっている書類とは異なり、比較的軽い。それを持って歩ける、地下鉄で移動可能なマンハッタンにある文具卸商をまずは訪問することにした。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 8 誠意を持った対応

2024-04-19 07:43:53 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 8 誠意を持った対応 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。
 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 新しいミッションが届きました。その準備の合間にも日常業務や東京からの来客のアテンドもあり、子ネズミのように走り回る毎日です。


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた
 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 
 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第
 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 新しいミッションはCIAのスパイではなかった 新しいミッションの準備と竹根の気づき 仕事を通して人脈ができてくる 誠意を持った対応
 
■■ 4 迷いの始まり
 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-8 誠意を持った対応


 現地駐在員というのは竹根ひとりであり、直接、ここで収益が上がる業務ではないので、秘書もいない。
 毎月4~5組程度の来客があり、その大半を本社指示によりアテンドすることになる。竹根の真面目な性格から、自分の仕事をできる限り秘書に代わって処理してもらいたいのであるが、秘書もいない。朝、早く出勤して、自分で何をしなければならないのかリストを作成して、見落としのないようにすることにしていた。前日から解っている作業は前日中にリストを作成しておき、朝出勤して、本社から入っているテレックスをもとに、作業リストに追記してゆく。
 それだけではなく、新聞やテレビで日本のニュースを見つけるとそれを切り抜いたり、メモをとったりしておく。それから来客者のホテルに迎えに出向かう。中には、朝食のとり方が解らないという人もいる。その場合には、一階だけはホテルのレストランに連れて行って、好みを聞いた上で、何を食べたら良いのか、どの様に注文したら良いのかを教える。それにより、翌日からは自分ひとりだけで朝食を採れるようになる。
 毎朝、ホテルの朝食では、金銭予算のあるだろうからと、コーヒーショップに連れて行って食べさせることも多い。多くの来客者にとって、コーヒーショップの方が気が楽らしい。たしかに、ホテルの朝食は決まったようなメニューに限られ、1ドルが360円換算にすると、飛び出るような金額であるから、日本から来たばかりの人にとっては大きな出費である。
 食事の時に、事前に用意していた日本情報を提供する。アメリカに何日か滞在していると、日本の状況をつかめないでいる人が大半である。現地の新聞は、当然英語で記述されているので、英語が多少できる人でも、見出しを読む程度で、記事本文まで読む人は少ない。英字新聞の見出しは、慣れない日本人には、単語の意味はわかっても、その見出しで何を言っているのかわからないことが多い。文法的にも、受身態表現が少なく、自動詞を使った文章で簡略表記されている。文法を重視した、日本の英語教育の文法では、意味が通らないのである。
 そのために、日本でただいま何が起こっているのかを話してやると大変喜ばれる。アメリカでは、日本に関する情報提供が非常に少ない。3日遅れで届く日本の新聞を手渡すと、非常に喜ばれる。朝食を採るのも忘れて、隅から隅まで目を通しているようにすら感じる。
  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 7 アテンドに大わらわ

2024-04-12 00:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 7 アテンドに大わらわ

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。
 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 新しいミッションが届きました。新しいミッションは、CAIというコンピュータを利用した教育システムの見学ツアーの事前準備です。竹根にとっては慣れないことで、いろいろな人とコンタクトをとらなければなりません。それが後に竹野の人脈として生きることになりますが、つらさが先に立つ経験の浅い、若い竹根です。


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた
 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 
 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第
 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 新しいミッションはCIAのスパイではなかった 新しいミッションの準備と竹根の気づき 仕事を通して人脈ができてくる 
 
■■ 4 迷いの始まり
 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。
◆4-7 アテンドに大わらわ

 商社マンにとって、「アテンド」は欠かせない業務の一つである。自社の取引先などがアメリカ詣でと称して、アメリカ視察で市場を見て、自社商品のラインアップ強化などの参考にするのだ。
 竹根は、商社マンとはいいながら、あまり営業センスが良い方でもなく、人見知りをする傾向もある。そのような竹根にはアテンドが苦手である。苦手に拍車をかけるのが夜の接待だ。
 接待というのは、酒がつきものであり、酒が飲めない商社マンは成功しないという「伝統」のようなものがある。ニューヨークに赴任する前に、竹根のアメリカ駐在が決まると先輩が竹根を飲みに誘ってくれては、「商社マンは酒が飲めなければダメだ」を聞かされた。竹根は、下戸である。酒のうまさも解らない。
 彼等は、先輩として、それを竹根に教え込むというよりは、自分が酒を飲むための口実に竹根を誘っているのかもしれない節も見える。それが解っていながら、下戸の竹根は先輩の誘いを拒まなかった。拒まないというよりは、商社マンとして成功するための試練だと自分に言いきかせているのだ。
 飲めない酒を飲めば、酩酊どころか、飲食したものを戻して他の人の迷惑になる。それがわかっていながら、竹根は先輩達についていった。が、体質的にアルコールを受け付けないのであろう、成長はせず、酒を飲めないままニューヨークに赴任してきた。
 その竹根が、アテンドをしなければならないのである。それも相手はほとんどが竹根より年上である。それだけではない。彼等の大半は、福田商事に商品を納めている中小企業の経営者なのだ。彼等は、一国一城の主であったり、それに近い人達なのだ。竹根の気遣いは半端ではない。

  <続く>
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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 6 仕事を通して人脈ができてくる

2024-04-05 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 6 仕事を通して人脈ができてくる

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。
 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。
 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。
 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。
 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。
 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。
 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。
 新しいミッションが届きました。


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた
 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 
 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第
 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 新しいミッションはCIAのスパイではなかった 新しいミッションの準備と竹根の気づき 
 
■■ 4 迷いの始まり
 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。
◆4-6 仕事を通して人脈ができてくる

 本社で竹根の支援をしてくれる相本のことも、時々、思い出す。年賀状をもらったものの、結局それに対して手紙を書くことができなかった。忙しいということもあるが、相手に迷惑をかけてしまうのではないかという恐怖心が、手紙を書くことにブレーキをかけた。
 四月に来る教育ミッションの訪問先の学校からの受け入れの返事も次々と届き、それらを事前訪問した。竹根には今ひとつ訪問先にパンチの効いたところがないように思えた。自分の大学院で親切にしてくれる、中国系の教授にCAIのことを相談したら、自分の知り合いでフロリダ大学の教授がいるので、彼を訪問してはどうかと紹介状を書いてくれた。
 フロリダの方に出張する仕事もあったので、スケジュールを合わせて訪問できるかどうか、事前に紹介されたフローレンス教授からのOKサインをまった。スケジュール調整をして早速訪問した。事情を説明したところ、喜んで引き受けてくれることになった。教授から、日本からの先生方のミッションに対して、「最近の教育事情と今後」というテーマでレクチャーを受けることができることになった。当然、CAI教育の現状と問題点、今後の動向などについて聴くことができる。

  <続く>
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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 5 新しいミッションの準備と竹根の気づき

2024-03-29 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 5 新しいミッションの準備と竹根の気づき  

 

■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。

 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。

 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。

 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。

 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。

【最新号・バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第

 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 新しいミッションはCIAのスパイではなかった

 

■■ 4 迷いの始まり

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-5 新しいミッションの準備と竹根の気づき

 新しいCAIのミッションの事前準備をしている間も、本社からいろいろと指示が来る。合間を縫って、CAIミッションの訪問先を物色するためにあちらこちらを訪問した。東も西もわからなかったことを思うと、多少の方向感覚が身についてきた。
 細切れ時刊を見つけると、事務所の向かいに立つ公立図書館に行った。歴史の浅いアメリカではあるが、重厚感ある造りは、竹根のお気に入りである。CAIというのは、コンピュータを使って問題が出され、問題に正解すると詳細解説が出てくる。そして、次の問題に進むという仕組みであることが解った。
 一方で、問題を解けないと、一歩手前の基礎問題に戻って受講者に取り組ませ、同様にして理解を深めさせていくのである。正解できないと、いつまで経っても次に進めないのである。

 気持ちにもゆとりが出てきたこともあり、事務所近くのマンハッタンカレッジを訪問し、ミッションの受け入れ交渉をしてみた。
 ここは、社会人を中心にした大学と大学院で、話を聞いているうちに、自分が学んできたマーケティングの知識は、すでに陳腐化していることもわかった。大学院に入学を希望する旨を伝えると、社会人経験が三年以上でないと受け入れられないという。自分は、日本の大学院で修士課程を経ていること、自分がなぜ入学したいかの理由を説明すると、快く受け入れてくれた。すぐその日から受講が許された。社会人を対象としているので、昼間だけではなく、夜間の授業も充実していて、竹根は自分が受けたい科目はできるだけ出席するように努力をした。
 授業は、教授の講義を一方的に聴くのではなく、教授とのやりとりで行われることが多い。そのために予習をしていないと授業で置いて行かれてしまう。毎日のようにレポート、レポートと追われているうちに、学生時代以上のペンだこがいつしかできていたのだ。石川啄木ならず、その手をしげしげと見た。

  <続く>

■ バックナンバー

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 4 新しいミッションはCIAのスパイではなかった

2024-03-22 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 4 新しいミッションはCIAのスパイではなかった

 

■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。

 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。

 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。

 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。

 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。

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【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第

 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 

 

■■ 4 迷いの始まり

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-4 新しいミッションはCIAのスパイではなかった

 本社からの新しいミッションは、CIAではなかった。そのように勘違いをすること自体おかしなことで、竹根は自分の愚かさに笑いこけてしまった。
 CAIというのは、Computer Aided Instructionの略語でコンピュータ支援教育のことである。一九五〇年代、アメリカの心理学者B・F・スキナーは、オペラント条件づけの原理に基づいたプログラム学習を提唱し、これを具現化するものとしてメカニカルなティーチングマシンを試作したのが始まりという。その数年後にはN・A・クラウダーによって、学習者ごとに学習内容が可変となる枝分かれ型プログラムによるティーチングマシンが提唱された。(Wikipedia)
 ニューヨーク市役所の教育局を訪問したが、CAIを実際に行っている学校は知る限りにおいてはニューヨーク市にはないという。そこの職員はニューヨーク州の教育局に行くことを薦めてくれた。オールバニという町にあるというが、どの辺にあるのかもわからない。調べているうちに、ニューヨーク州の州都であることが解った。ニューヨーク市と周辺の地図を頼りに探したた結果、ニューヨーク市の周辺にはないことがわかった。ニューヨーク州の地図でようやく見つけたが、距離感がつかめない。ニューヨーク市から三百キロも北へあがったところにある。冬であるので車で行くには雪や路面凍結で、竹根の左ハンドルの運転未熟さでは心許ない。

 電車で三時間、オールバニに着くが、雪が積もっていて徒歩ではとても移動できそうにない。タクシーに乗ると、数分でニューヨーク州庁舎に着いた。オールバニ群全体でも人口が十万人にも達しないところであるので、オールバニの町そのものは数万人の小さな町であろう。大ニューヨークの州庁舎であるから大きな建物を想像していたら、あまりにもかわいいので、観光客よろしく庁舎の写真を撮った。説明書きによると、一八九九年に竣工したと記されているだけで、他のことは解らない。
 あまりの寒さに電光板の寒暖計を見ると摂氏換算でマイナス十五度程度になる。写真を撮る数分間で、身体が急激に冷えるのがわかった。
 担当者は、非常に親切な人で、ニューヨーク市の職員とは大違いである。日本からのミッションということもあり、親切に情報を提供してくれたが、やはりニューヨーク州ではCAIをとりいれている学校は、高校までを含めてもないという。
 そこでもらった資料をもとに、ワシントンや隣の州のニュージャージーなど、あちこちを訪問したが、結局見つからなかった。しかし、ユニークな教育をやっていて、日本からのミッションを受け入れてくれる学校がいくつか見つかり、本社にレポートすることができたのは、二月の初めであった。
 情報の収集というのは、一カ所でつかめた情報をもとに、次のところへ情報が繋がり、それがまた別のところへと発展する。情報収集というのは連鎖的であることに気がつき、後に経営コンサルタントとなってから、この手法が役に立つことを竹根はそのときは知るよしもない。

  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 3 新しいミッションはCIA???

2024-03-15 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 3 新しいミッションはCIA???

 

■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。

 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。

 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。

 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。

 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。

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【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第

 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 

 

■■ 4 迷いの始まり

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-3 新しいミッションはCIA???

 朝食をとってから、出勤した。アパートは、マンハッタンの東にあるロングアイランド島のフラッシングというニューヨーク市の東の外れにある。地下鉄の終点でもあるので、事務所がある五番街に近い四十二丁目まで約三十分、ほぼ毎日座って通える。日本にいた時には一時間以上の通勤ラッシュとの戦いであったが、それとは比べものにならないほど楽である。
 事務所に着くと、昨夜の苦悶のことはすっかり忘れてしまい、仕事に取りかかった。本社からの手紙が一通着いていた。これも相本が送ってくれたのかと思うと、夕べのこと、年賀状のことが再び思い出され、昨夜の苦悶が襲いかかってきそうである。
 頭を振って、それを振り切ってから手紙を読み始めると、そこには大変なことが書かれていた。アテンドという観点では、当然のことであるが、日本全国から小学校の先生が三十人ほど団体で来るというのである。それだけでも大変だと思うのに加えて、CAIのモデル校を探して、見学ができるようにセッティングをせよという指示である。
――CAIって一体何だろう――最初はCIAと読み違えて、福田商事もスパイ市場に進出するのかと勘違いをし、――俺は、いくら業務命令とはいえ、反社会的な活動をするわけにはいかない。いよいよ首か――と早とちりをした。
 早速辞書を引いてみたがわからない。手紙を読み進んでいくと、どうもCAIというのは新しい教育システムのようである。事務所の向かいがニューヨーク公共図書館であるので、早速飛んで行った。
 ここは、公共図書館という名前になっているが、れっきとした世界屈指の私立の図書館である。一八八六年に当時のニューヨーク州知事のサミュエル・ティルデンが、既存のいくつかの図書館を統合して大きな図書館にすることを提案して、一九一一年に竣工した。私立であるために運営は寄付によって行われる。その中にはカーネギーホールでも名の知られているアンドリュー・カーネギーも含まれている。一カ所ではなく、ニューヨーク各所にブランチ・ライブラリーが次々と増設されてきた。(ニューヨーク公共図書館公式サイトより)

  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 2 これって“恋”?

2024-03-08 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 2 これって“恋”?

 

■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。

 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。

 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。

 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。

 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。

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【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第

  4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 

 

■■ 4 迷いの始まり

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-2 これって“恋”?

 本社の指示で、アテンドを命じられ、対応をした数日間後に、ラッキーの幸常務も満足して帰国した。円・ドル為替レート問題も、日本ではどうかわからないが、アメリカでは、大したニュースにもなっていない。そのためか、あれほど重大事件と思ったのが、いつの間にかいつもの自分に戻っていた。この慣れが恐ろしい。
 波乱のニューヨーク生活であるが、事務所やアパートがそれなりの生活ができるような状況が整ってくると、少しずつではあるが、アメリカの生活にも馴染み始めた。クリスマス休暇の間は、仕事にはならないが、今後の仕事の準備のための資料作りにじっくりと時間をかけられた。
 正月は、元日だけが休日で、日本のように松の内という雰囲気はない。元日の朝、日本から送られてきた餅を焼いて、形だけの正月を迎えた。アパートの玄関にある自分の部屋のポストを覗くと、一枚のはがきが入っていた。年賀状である。母が寂しくないようにと投函してくれたものかと思ったら、相本からの年賀状であることが、見慣れた達筆からわかった。そこに書かれたいた文面は、儀礼的といえば儀礼的だが、竹根にはそこに相本の思いやりを勝手に感じ取った。相本は、本当はどのような意味で年賀状をくれたのだろうか、その日は、一日中、思い出しては相本の年賀状を繰り返し眺めた。

 夜の九時を回ったところで、日本にいる母親に電話をした。竹根の母親は、自分のことよりも竹根がニューヨークで不便を囲っているのではないかと、そのことばかりを気にしている。連れ合いである、竹根の父親を戦争で喪い、女手一つで竹根を育ててきた。まだ、ニューヨークに来て一ヶ月というのに、ずいぶん長い時間が経ったように二人には感じられた。
 受話器を置くと、急に日本が恋しく感じられた。竹根が日本に来る時に味わった、胸が締め付けられるというのは、こういうことかという気持ちを思い出した。部屋で座っていると、女性の顔が霧にかすんで見えるようである。立っていると、自分の身体が雲の上を歩くようで、頭の芯から何かが頭皮に向かって一斉に動き出し、一部が外に漏れるが、大半の流れが行き場を失い、頭の中を駆け巡るのである。
――恋をすると、「気が狂いそうになる」というように小説などでも書かれているが、まさにその通りだ。これが恋なのだろうか――
 女性を見ても、「美人だ」と思うことはあっても、それ以上気持ちが発展したことがない。奥手というほどでもないと自分では思っているが、恋らしい恋をしたことがない。それだけに、今の自分がどうなるのか、心配になる冷静さを一方で持っている。
――思い切って、彼女に手紙を書いてみよう――
 思いつくと突っ走る、自己制御が利かなくなる。
 手紙を書こうと思ったものの、便せんを日本から持ってこなかった。元日は、アメリカでも祝日だからお店は開いていない。とにかく、下書きだけでもしておこうと、やれ紙を引っ張り出す。いざ、机に向かって手紙を書き始めようとすると、筆が進まない。
 このままでは手紙は書けない自分がそこにいることは認識できる。
――そうだ、何を書きたいのか、まず箇条書きにしてみよう――
 そう思うと、いくつか単語が思い浮かんだ。
――彼女が、俺の手紙を受け取ったら、どう思うだろう。彼女の年賀状だけでは、彼女の気持ちはわからない。ましてや、ニューヨークに来てから今まで、本社からの通信に添付されて来る、彼女のメモには、事務的な連絡以外はなにも書かれていない。俺は、年賀状を受け取ったことで勝手に有頂天になっているだけだ。俺が手紙を書いても、彼女は迷惑をするだけで、かえって嫌われてしまうだろう――
 気がついたら、机に突っ伏して眠った自分があった。

  <続く>

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 1 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生

2024-03-01 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 1 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生

 

■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。

 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。

 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。

 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。

【最新号・バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第

■■ 4 迷いの始まり

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-1 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生

 竹根のニューヨーク生活が始まって、二週間が経った。

 本社から指示があり、商社マンに不可欠なアテンドという業務が始まった。

 ラッキーという、竹根の会社の文具を製造している会社の幸常務のアメリカビジネスの支援をしなければならなくなった。

 ひと様の世話をするということになれていない竹根にとっては、初のアテンドに緊張した。

 ラッキーの幸常務とロサンゼルス、シカゴを訪問してニューヨークに入ったのはクリスマス休暇が始まる直前であった。

 事務所に行くと郵便が数通届いていた。

 本社からの郵便を開くと、アメリカに来る時に見た、達筆な文字のメモが入っていた。

 いずれのメモも事務的な連絡でしかなく、何となく寂しかったが、本社で竹根のフォローをしてくれる相本との間が繋がっていることは確かである。

 そんな思いを隣の明森製菓の檜山が打ち砕くように飛び込んできた。

 「円ドルの固定相場が一ドル三百六十円から三〇八円になった」というのである。

 これまで三百六十円換算で、割安に日本製品を輸出することができたが、そのメリットが薄れることになり、新たにニューヨークで仕事をスタートしようと、一ヶ月も経っていない竹根の前に、急に暗雲が広がった。

 すぐに外に飛び出して新聞を購入したが、朝刊しかなく、まだその記事は掲載されていなかった。

 ラッキーの幸常務のアテンドも上の空となってしまった。

  <続く>

■ バックナンバー

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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業3 アメリカ初体験 3-8 ニューヨーク生活もカネ次第

2024-02-23 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業3 アメリカ初体験 3-8 ニューヨーク生活もカネ次第

 

■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。

 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。

 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。

 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。

【最新号・バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる

■■ 3 アメリカ初体験

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆3-8 ニューヨーク生活もカネ次第

 アパートにも家具が届いた。ところが、ベッドマットだけが遅れるという。そこで、注文した家具屋に飛んでいって、五ドルをまた掴ませた。するとどこかに電話をしてくれたが、納期は変わらないという。さらに五ドルの薬をかがせると、別のマットを紹介し、そちらの方が高価だが、竹根が注文したものと同じ値段でよいという。しかも在庫があるから即納するというのである。ここでもお金の威力がモノを言うことになった。
 お金の力の大きさは、竹根がニューヨークに来てから二週間が経った時に、本社から指示のあったアテンドでロサンゼルスでも体験した。ロスでラッキーの幸常務と待ち合わせをした時に、幸のスーツケースが、途中で寄ってきたホノルルから東京に誤って送られてしまうというハプニングが発生した。そのときにも、空港でお金を掴ませて、問題解決の糸口を掴むことができた。そのときには、せっかく掴ませたお金の効果は、半分で、途中からは日本国際航空の社員のおかげで、その問題を解決できたのである。
 竹根のニューヨーク生活は、いろいろなことが起こった散々のスタートであったが、後には笑いぐさの材料として活かされることになる。

  <続く>

■ バックナンバー

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