経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【カシャリ!庭園めぐりのひとり旅】 小金井公園(江戸東京たてもの園) 都内最大の公園

2024-03-20 16:49:24 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

 

  ■【カシャリ!庭園めぐりのひとり旅】 小金井公園(江戸東京たてもの園) 都内最大の公園  

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 小金井公園(江戸東京たてもの園)

 

 小金井公園は、東京都小金井市と近隣にまたがる、東京都立の都市公園です。
面積は約80haと広大で、敷地は都立公園の中でも最大規模です。日比谷公園の4.8倍、上野公園の1.4倍に相当します。
 小金井公園の一角に「江戸東京たてもの園」という、失われてゆく江戸・東京の歴史的な建物を移築保存し展示する野外博物館です。
 東京都墨田区にある東京都江戸東京博物館の分館でもあります。
 展示されている建物のひとつに高橋是清邸があります。
 経済通の政治家として、明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分です。
 1936年(昭和11年)、是清は、この建物の2階で青年将校の凶弾に倒されました。いわゆる「2.26事件」です。愛称は、「ダルマさん」でした。
 是清は、赤坂の丹波篠山藩青山家の中屋敷跡地約6.600平方メートルを購人し、1902年(明治35年)に屋敷を建てました。総栂普請の主屋は、複雑な屋根構成をしています。また当時としては高価な硝子障子を、縁廻りに多量に使用しているのも特徴です。赤坂にあった頃は、主屋のほか3階建ての土蔵や、離れ座敷がある 大きな屋敷でした。
建物の前には、廻遊式日本庭園があります。庭園には、玄関を出て右手、東方向に向かって建物に沿ってぐるりと廻ったところにある入口から入ります。

庭園の南寄りのところに、西から東に向かってせせらぎが流れています。
池の流れや石灯籠などが配されていて、また流れや水琴窟もあり、当時を忍ばせる和風庭園の面影を残しています。

 

【アクセス】

◇JR中央線武蔵小金井駅北口からバス5分
 西武バス:2、3番のりばより、「小金井公園西口」下車。徒歩5分。
  2番のりば 武12(東久留米駅 御成橋経由) / 武13(清瀬駅南口)
  3番のりば 武21(東久留米駅 錦城高校経由) / 武15(滝山営業所)

 関東バス:4番のりばより、「江戸東京たてもの園前」下車。徒歩3分。
  4番のりば 鷹33(三鷹駅・武蔵野営業所)

 

■ 東京小金井公園(江戸東京たてもの園)三井八郎右衞門邸廻遊式日本庭園

 

https://youtu.be/tL-n1LWi_AA
 

 

■ 東京小金井公園(江戸東京たてもの園) 高橋是清邸と廻遊式日本庭園

 

 

https://youtu.be/hMGrUSxONY4

 

映像で視るカシャリひとり旅
江戸東京たてもの園

 

 

 



ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都 2月の新宿御苑 梅満開、もう桜?

2024-02-27 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都 2月の新宿御苑 梅満開、もう桜?

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 東京都 新宿御苑 

「新宿御苑」(しんじゅくぎょえん)は、環境省管轄の国民公園で、明治時代を代表する近代西洋庭園であり、風景庭園でもあります。しかし、大木戸門に近い玉藻池が、江戸時代に武家屋敷の庭園「玉川園」だったのが起源とも言われます。

 近代の造園家・原煕も携わった広い園内には「玉川園」以外の日本庭園やフランス式洋風庭園があり、園内にある茶室「楽羽亭」の設計は茶室研究家・中村昌生さんの手掛けたものです。

 広さは、58.3ヘクタール、周囲3.5kmという都心とは思えない広さを持っています。その園内に、ヨーロッパ式の風景式庭園と整形式庭園、日本庭園が巧みに組み合わせられているのが驚きです。

■ アクセス
 JR新宿駅南口、東南口から徒歩10分

 地下鉄東京メトロ丸ノ内線新宿御苑駅から徒歩7分

 都営地下鉄新宿三丁目駅から徒歩5分

 

梅に福寿草

茶室と梅林

 

上の池

物思う鷺

薩摩寒桜

 

 

【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】

準備中

↑↑ クリック

上記の庭園をユーチューブで紹介しています。
 

 

ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】インデックス

写真集・映像集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都江戸川区「江戸川平成庭園」は四季の美しさをいろどる築山池泉廻遊式庭園

2022-10-30 17:16:01 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都江戸川区「江戸川平成庭園」は四季の美しさをいろどる築山池泉廻遊式庭園

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 東京都江戸川区「江戸川平成庭園」は四季の美しさをいろどる築山池泉廻遊式庭園 

 江戸川平成庭園は、東京都江戸川区行船公園内にある、平成元年に作庭された池を囲む緑豊かな「築山池泉廻遊式庭園(つきやまちせんかいゆうしき)」です。池の畔には源心庵(げんしんあん)・林泉亭(りんせんてい)・つつじ亭があります。池畔を回る散策路では、サクラ・ツツジ・ハナショウブ・モミジなど、四季折々に移り変わる自然の美しさを身近に感じられます。

■ アクセス
 地下鉄東京メトロ東西線 西葛西駅より徒歩15分
 〒134-0081 東京都江戸川区北葛西3丁目2-1

 

 

東京メトロ東西線の西葛西駅から

徒歩で15分強のところにある行船公園は

複合公園で、動物園や江戸川平成庭園があります。

区民だけではなく、広く開放されていて、

いずれも無料で入園できます。

 

 「行船公園」(ぎょうせんこうえん)は、明治から昭和初期にかけて、

 

東京府議長や衆議院議員を務めた

政治家・田中源により寄贈された敷地に開園され、

現在は、江戸川区立の公園となっています。
 

 

門を入ると広く開けた広場になっています。

右手が動物園、その奥が江戸川平成庭園です。

庭園の向かいに水草の池があり、

その奥が釣り堀になっています。

 

 「行船」の名は、田中源の屋号にちなんだものです。
 

 

噴水の奥に桜庭があり

私が訪れた10月下旬というのに紅葉が始まっていました。

 

 

庭園の南隣(下)が動物園です。

 

 

 公園の北側に位置する「江戸川平成庭園」は、平成元年に整備された敷地面積1万2千平方メートルの池泉回遊式庭園です。数寄屋造りの和風建築「源心庵」や林泉亭やつつじ亭の四阿(あづまや)があります。

 湧水が流れ込んでいる主池は、江戸時代に東京湾の水を引き込んでいた潮入り式庭園にならって、池の水位が上下するような工夫がなされています。

 庭園と同時にオープンした「源心庵」は、地元の方の茶会、句会、華道など和のイベントで利用されています。建物が池泉にせり出している一方で、玄関前にある枯山水庭園がとてもかっこいいです。

 庭園には桜もあり、「つつじ亭」前のツツジ、花菖蒲、秋には紅葉、冬には雪吊りと四季通じて楽しめる庭園です。

 

 

源心庵まの枯山水庭園

 

 

源心庵を半周囲んで流れるせせらぎは

「これぞ日本庭園」という風情を醸し出しています

 

せせらぎの流れ込む先に堰堤があり

そこから流れ込むのが主池です

その先にせり出している数寄屋造りの建物が

源心庵です

 

数寄屋造りの和風建築「源心庵」

 

 庭園と同時にオープンした「源心庵」は、

地元の方の茶会、句会、華道など和のイベントで利用されています。

建物が池泉にせり出していす数寄屋造りで

端正さに重厚さを感じます。

 

■ 源心庵
 

 純日本建狐の数寄屋造りで、226平方メートル(68坪)の広さをもち、月見台が大きく池へ張り出した浮見堂の形式で建てられています。
 

 外装は京じゅらく色の吹き付け壁、屋根は銅板葺きで、ゆるやかな波を表現し、「むくり」のついた入母屋となっています。
 

 池泉を眺望する和室や立礼席は、本格的な茶会など、日本文化の伝統を受け継ぐ催しの場としてご利用出来ます。(案内板より)
 

 

つつじ亭

「つつじ亭」からは主池を見下ろせます。

つつじ亭前のツツジ、花菖蒲、

秋には紅葉、冬には雪吊りと四季通じて楽しめる庭園です。

 

林泉亭

 

池を廻遊して、一息

すぐ近くにある、二段に落ち込む大滝の音を聞きながら

疲れを癒やせます

 

大滝

 


【ナレーション付き映像で見るカシャリ!ひとり旅】

東京都江戸川区 江戸川平成庭園(行船公園)築山池泉廻遊式庭園

↑↑ クリック

上記の庭園をユーチューブで紹介しています。
 


ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】インデックス

写真集・映像集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】東京都墨田区 牛嶋神社 隅田公園(水戸徳川家小梅邸跡)内

2022-10-07 13:14:43 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

 

  【カシャリ!ひとり旅】東京都墨田区 牛嶋神社 隅田公園(水戸徳川家小梅邸跡)内 

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 東京都墨田区 牛嶋神社 隅田公園(水戸徳川家小梅邸跡)内

 

■ 牛嶋神社

 

 牛嶋神社は、隅田公園(水戸徳川家小梅邸跡)内にある神社です。もともとは、弘福寺の西隣(向鳥五丁目)に所在しました。関東大震災後、帝都復興計画事業に伴い区画整理が実施された際に当地に遷座されました。



■ 東京都墨田区 隅田公園(水戸徳川家小梅邸跡) 0203

 

「隅田公園」は、隅田川を挟んだ、その川沿いにある台東・墨田両区立の公園で、8万平米の広さを持っています。

 春は桜の名所として、夏には、隅田川花火大会が開催されます。

 墨田区側の敷地は、かつて「徳川御三家」のひとつ、水戸徳川家の江戸下屋敷である「小梅邸」があった場所です。現在公園内に残る池泉回遊式庭園はその名残りの遺構です。関東大震災後で屋敷が全壊するまで代々ここに住んでいたと伝えられます。

 近年は、東京スカイツリーに近い日本庭園であることから訪れる人が増えてきているそうです。墨田区側の公園内には「三輪鳥居」が特徴的な、牛嶋神社が鎮座しています。

 

■ アクセス

 

 地下鉄 浅草駅より徒歩10分

 

 私は、大横川親水公園を南側から北上し、その足で隅田公園の南門から入りました。

 ここは、南側に飲食店などがならび、区民だけではなく、訪れる人が食事をしたり、お茶をしたりすることもできます。

 

隅田川を挟んだ対岸も隅田公園ですが、そちらは台東区立の隅田公園です

隅田川花火が有名です

 

 

隅田公園南門

 

水戸徳川家の江戸下屋敷である「小梅邸」の廻遊式庭園

残念ながら、訪れた時は改修工事中でした

 

牛嶋神社 一の門

 

庭園内 牛嶋神社 西門

 

 

 牛嶋神社は、弘福寺の西隣(向鳥五丁目)に所在しました。

関東大震災後、帝都復興計画事業に伴い区画整理が実施された際、

当地に遷座しました。


  

 

狛犬 阿形(右側)

 

墨田区登録有形文化財 神輿蔵

社殿に向かって左手前(西側)に立つ

関東大震災で遷座した折に新築されました。

 

正面二間の切妻造妻入の建物の両側に、

幅五間の切妻造の建物が接続した

鉄筋コンクリート造の建物です。

昭和初期の建物とみられています。
 

 

手水舎

神楽殿と並ぶ

右手奥が社殿

 

社殿正面

 本殿、幣殿、拝殿から成る木造複合社殿で、

地元の棟梁石川梅吉によって建築され、

昭和七年(1932)に竣工

社殿破風

 

上図、左から本殿、幣殿、拝殿

最奥(左)に位置する本殿は入母屋造・銅板瓦棒葺き(正面三間、側面三間)で、

組物は禅宗様を基調としています。

中央に位置する幣殿は、両下造・銅板瓦棒葺(正面三間、側面五間)

最前に位置する拝殿は、入母屋造り・銅板瓦棒葺き(正面三間、側面五間)

 

拝殿には三間の向背と千鳥破風

板支輪や蛙股等に亀や鯉、鷺などの彫刻が施されています。

全体的に装飾性が高い建築です。


御神木の大銀杏

 

奉納された井戸

 

永代神楽碑

 

 

 

葛飾北斎画

 

公園北端にある御衣黄

緑色の桜で、京都仁和寺から広まる

 

 

 本殿の左右に、神牛が奉納されている他、

建長3(1251)年には牛鬼が社中を走り回り、

落として行った牛玉を神宝としたという伝承も残る

 

なで牛

 

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都墨田区 隅田公園(水戸徳川家小梅邸跡) 0203

2022-10-04 14:12:17 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都墨田区 隅田公園(水戸徳川家小梅邸跡) 0203


 


 



 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 東京都墨田区 隅田公園(水戸徳川家小梅邸跡) 0203


 


「隅田公園」は、隅田川を挟んだ、その川沿いにある台東・墨田両区立の公園で、8万平米の広さを持っています。

 春は桜の名所として、夏には、隅田川花火大会が開催されます。

 墨田区側の敷地は、かつて「徳川御三家」のひとつ、水戸徳川家の江戸下屋敷である「小梅邸」があった場所です。現在公園内に残る池泉回遊式庭園はその名残りの遺構です。関東大震災後で屋敷が全壊するまで代々ここに住んでいたと伝えられます。

 近年は、東京スカイツリーに近い日本庭園であることから訪れる人が増えてきているそうです。墨田区側の公園内には「三輪鳥居」が特徴的な、牛嶋神社が鎮座しています。


 


■ アクセス


 


 地下鉄 浅草駅より徒歩10分


 


 私は、大横川親水公園を南側から北上し、その足で隅田公園の南門から入りました。


 ここは、南側に飲食店などがならび、区民だけではなく、訪れる人が食事をしたり、お茶をしたりすることもできます。


 



隅田川を挟んだ対岸も隅田公園ですが、そちらは台東区立の隅田公園です


隅田川花火が有名です


 



源森橋から見た東京スカイツリー


 



 



隅田公園南門


 



水戸徳川邸跡


左は、明治天皇歌碑


 



水戸徳川家の江戸下屋敷である「小梅邸」の廻遊式庭園


残念ながら、訪れた時は改修工事中でした


 



日本庭園 南端


 



日本庭園 南西側


 



日本庭園 南西側から庭園奥を覗く


工事中のブルーシートなどが見えます


 



池に映る東京スカイツリー


 



スカイツリー上部展望台


 



工事中の池北端


 



庭園内 牛嶋神社


 



 


 牛嶋神社は、弘福寺の西隣(向鳥五丁目)に所在しました。


関東大震災後、帝都復興計画事業に伴い区画整理が実施された際、


当地に遷座しました。



 


 



神輿蔵


関東大震災で遷座した折に新築されました。


 



手水舎


神楽殿と並ぶ


右手奥が社殿


 



社殿正面


 本殿、幣殿、拝殿から成る木造複合社殿で、


地元の棟梁石川梅吉によって建築され、


昭和七年(1932)に竣工


社殿破風


 


 


 



葛飾北斎画


 



公園北端にある御衣黄


緑色の桜で、京都仁和寺から広まる


 





ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都墨田区 大横川親水公園 紅葉渓谷

2022-10-04 12:16:36 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都墨田区 大横川親水公園 紅葉渓谷


 


 



 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 東京都墨田区 大横川親水公園 紅葉渓谷 


 


東京スカイツリーの南側にある大横川親水公園は、墨田区立の公園です。


墨田区内を流れている大横川が埋め立られて、


平成に入ってから完成した親水公園です。


 


 大横川が埋め立てられた後にできた公園ですので、南北に2kmも連なる、細長い公園で、その一部が庭園となっています。園内は、大きく5つのゾーンに分かれています。パレットプラザ、ブルーテラス、花紅葉、河童川原、釣り川原の5つのゾーンです。


 


 ブルーテラスゾーンは、公園の南端に位置し、テニスなどスポーツを楽しむことができます。


 


 総武線の下を通るとパレットゾーンに入ります。広い広場があり、ここでは催しものも開くことができる広場です。藤の古木の棚が両サイドにあり、その季節には見事なのではないでしょうか。


 


 かつてこの川に架かっていた清平橋跡を超えると、花紅葉ゾーン、別称「紅葉渓谷」エリアに入ります。ここは、私が目指す庭園エリアです。遠くに東京スカイツリーを望む、和風庭園風の石組みと流れを組み合わせたエリアです。両サイドと川岸には、もみじやさくら、ハナミズキなどが植えられていて紅葉を楽しむことができるゾーンです。


 


 花紅葉ゾーンの上流が河童川原ゾーンで、「じゃぶじゃぶ水路」とよばれるエリアです。子供達が水遊びをしていました。


 


 最上流は、釣川原ゾーンで、ここでは釣りを楽しむことができます。


 


 公園の北端は、船の形をした建物で、隅田川の支流から取り込んだ水がザアザアと落ちていました。


 



JR錦糸町駅から西方向に500mいったところに


大横川公園は、大通りと直角に、南北に走っています。


角は、進学校として知られる都立両国高校があります。


 




大横川が埋め立てられた後にできた公園ですので、南北に細長い公園です。


園内は、大きく5つのゾーンに分かれています。


パレットプラザ、ブルーテラス、花紅葉、河童川原、釣り川原の5つのゾーンです。


 



公園の南端はブルーテラスゾーンです。


テニスなどスポーツを楽しむことができます。


 



橋桁のレリーフ


 



総武線の下を通るとパレットゾーンに入ります。


広い広場があり、ここでは催しものも開くことができる広場です。


藤の古木の棚が両サイドにあり、その季節には見事なのではないでしょうか。


 



パレットの絵具のように


いろいろな花を咲かせていました。


 



 かつてこの川に架かっていた清平橋・長崎橋跡を超えると、


花紅葉ゾーン、別称「紅葉渓谷」エリアに入ります。


 



ここは、私が目指す庭園エリアです。


遠くに東京スカイツリーを望む、


和風庭園風の石組みと流れを組み合わせたエリアです。


両サイドと川岸には、もみじやさくら、ハナミズキなどが植えられていて


紅葉を楽しむことができるゾーンです。


 


 


 


 



 



いろいろな石が配されています


 



 



青鷺が一羽、獲物を狙っていました


 



 花紅葉ゾーンの上流が河童川原ゾーンで、


「じゃぶじゃぶ水路」とよばれるエリアです。


子供達が水遊びをしていました。


 



 最上流は、釣川原ゾーンで、ここでは釣りを楽しむことができます。


 



 公園の北端は、船の形をした建物で、


隅田川の支流から取り込んだ水がザアザアと落ちていました。


 



脇に参加買うのオブジェがあり、


凹面鏡に東京スカイツリーと並んで映っていました。


 



東京スカイツリーが公園の締めくくりでした


 


 





ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
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【カシャリ!ひとり旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 1慰霊堂 260205

2022-10-02 10:47:41 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

 

  【カシャリ!ひとり旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 1慰霊堂 260205

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 1慰霊堂

  https://tokyoireikyoukai.or.jp/park/history.html

 

 大正11年(1922年)、東京市は、陸軍被服廠(軍服などを作る工場)の移転に伴い跡地を買収し、公園の造成を進めていました。そ大正12年(1923年)9月1日に関東大震災っが発生し、ここ被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難してきました。

 ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、各所で火災が発生しました。この被服廠跡にも強風にあおられた炎が四方から迫り、家財道具などに燃え移り、激しい炎となり、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われてしまいました。

 関東大震災の死者は、当時の東京府市合わせて7万人を超えました。諸霊を弔慰するために、大正12年10月19日に、東京府市合同の大追悼式が挙行されました。翌年には、東京府市合同で震災殃死者一周年祭並びに法要が行われ、以来絶えることなく今日まで続けられてきました。

 当初「大正震災記念公園」と仮称された公園でしたが、昭和5年(1930年)に「横網町公園」として開園しました。しかし、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が勃発しました。空襲による都内犠牲者の数は、10万人をはるかに超え、震災遭難者約5万8千人と合わせて16万3千人の遺骨が東京都慰霊堂として祀られました。

 平成13年(2001年)には、花壇と一体となった「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」が建設され、園内が華やかになりました。

  開園日  昭和5年(1930年)9月1日
  開園面積 19,579.53m2
 

 

■ アクセス

 

 JR総武線・両国駅西口より徒歩8分
 都営地下鉄大江戸線両国駅(江戸東京博物館前)下車A1出口より徒歩2分
 〒130-0015東京都墨田区横網二丁目3番25号 03-3622-1208

 

 

 

慰霊堂、復興記念館や日本庭園といろいろあります

 

 

 

 

正門

 

正面は慰霊堂

 

正門の他に、西門、北門、南門とがあります

 

 

 

 

東京都慰霊堂には、

 

空襲による都内犠牲者10万人

 

関東大震災遭難者約5万8千人の遺骨が祀られています

 

 

 

 

東京都慰霊堂全景

 

 

 

 

慰霊堂正面玄関

 

ここから内部に入ることができます

 

 

 

 

玄関ドア 内側から見る

 

 

 

 

慰霊堂内部北面壁

 

 

 

 

慰霊堂内部 南面壁

 

 

 

 

慰霊堂内部正面

 

 

 

 

慰霊堂内部正面 祭壇

 

 

 

 

 

 

東京都慰霊堂 三重塔

 

慰霊堂の後半分(西側)は三重塔になっています(非公開)

 

 

 

 

三重塔 九輪

 

 

4 日本庭園 ◀前 次▶ 2 慰霊堂周辺

 

■東京都墨田区 都立横網町公園

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 4 日本庭園 260205

2022-10-02 10:04:10 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 4 日本庭園 260205


 



 



名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 4 日本庭園


     https://tokyoireikyoukai.or.jp/park/history.html


 


■ 横網町公園


 


 大正11年(1922年)、東京市は、陸軍被服廠(軍服などを作る工場)の移転に伴い跡地を買収し、公園の造成を進めていました。そ大正12年(1923年)9月1日に関東大震災っが発生し、ここ被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難してきました。

 ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、各所で火災が発生しました。この被服廠跡にも強風にあおられた炎が四方から迫り、家財道具などに燃え移り、激しい炎となり、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われてしまいました。

 関東大震災の死者は、当時の東京府市合わせて7万人を超えました。諸霊を弔慰するために、大正12年10月19日に、東京府市合同の大追悼式が挙行されました。翌年には、東京府市合同で震災殃死者一周年祭並びに法要が行われ、以来絶えることなく今日まで続けられてきました。

 当初「大正震災記念公園」と仮称された公園でしたが、昭和5年(1930年)に「横網町公園」として開園しました。しかし、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が勃発しました。空襲による都内犠牲者の数は、10万人をはるかに超え、震災遭難者約5万8千人と合わせて16万3千人の遺骨が東京都慰霊堂として祀られました。

 平成13年(2001年)には、花壇と一体となった「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」が建設され、園内が華やかになりました。

  開園日  昭和5年(1930年)9月1日
  開園面積 19,579.53m2


 


■ アクセス


 


 JR総武線・両国駅西口より徒歩8分
 都営地下鉄大江戸線両国駅(江戸東京博物館前)下車A1出口より徒歩2分
 〒130-0015東京都墨田区横網二丁目3番25号 03-3622-1208


 



慰霊堂、復興記念館や日本庭園といろいろあります


 



横網町公園日本庭園に行くには、北門から入るか


慰霊堂近くの銀杏並木の北端へ行くと


せせらぎの源流から見ることができます。


 



日本庭園への入口


 



源流の泉からせせらぎの下流方向を望む


泉といいましても、どうやら隅田川の水を引いているようです


 



源流を少々下ったところから


下流方向を見ますと石橋が見えます


 



平らな石橋の右手に


石原町・緑町震災戦禍追悼碑があります


 



「光天照地」の碑銘が入った


震災戦禍追悼碑があります。


周囲には彼岸花を始め花が咲いています。


 



 



せせらぎに沿って下って行くと


遠くに四阿(あずまや)が見えてきました


 



せせらぎは、二段の小滝が配されていて


爽やかな水音を立てています。


 



滝が落ち込んだ先が池となっていて


池泉廻遊式庭園であることがわかります


 



池の畔で雀が滝音に耳を傾けていました


 



池の畔からせせらぎの上流方向を見ると


先ほど見た震災戦禍追悼碑や


石橋が見えます


 



ズームをちょっと引いて池全体を見てみました


 



弓なりになった石橋の近くには


石灯籠や小竹が植えられたりして


日本庭園らしさがん最も感じられる作庭です


 



この池には、右手からも水が流れ込んでいるようです


 



もう一つの源流の注ぎ口


 



源流注ぎ口のそばに


ザクロの古木が、形良くくねっていました


 



ザクロの古木のそばには、


秋の七草が植えられていて、


「日本庭園だな~」と実感!


 



萩は、満開には少々遅かったですが、


日本庭園の締めくくりにふさわしさを醸し出してくれていました


 


 


 3復興記念館 ◀前 次▶ 1慰霊堂(トップ)


 


■東京都墨田区 都立横網町公園




 



 





  ■ カシャリ! ひとり旅





 



 






ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 3 復興記念館 260205

2022-10-01 17:52:49 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

 

  【カシャリ!ひとり旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 3 復興記念館 260205

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 3 復興記念館


  https://tokyoireikyoukai.or.jp/park/history.html

 

■ 横網町公園

 

 大正11年(1922年)、東京市は、陸軍被服廠(軍服などを作る工場)の移転に伴い跡地を買収し、公園の造成を進めていました。そ大正12年(1923年)9月1日に関東大震災っが発生し、ここ被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難してきました。

 ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、各所で火災が発生しました。この被服廠跡にも強風にあおられた炎が四方から迫り、家財道具などに燃え移り、激しい炎となり、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われてしまいました。

 関東大震災の死者は、当時の東京府市合わせて7万人を超えました。諸霊を弔慰するために、大正12年10月19日に、東京府市合同の大追悼式が挙行されました。翌年には、東京府市合同で震災殃死者一周年祭並びに法要が行われ、以来絶えることなく今日まで続けられてきました。

 当初「大正震災記念公園」と仮称された公園でしたが、昭和5年(1930年)に「横網町公園」として開園しました。しかし、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が勃発しました。空襲による都内犠牲者の数は、10万人をはるかに超え、震災遭難者約5万8千人と合わせて16万3千人の遺骨が東京都慰霊堂として祀られました。

 平成13年(2001年)には、花壇と一体となった「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」が建設され、園内が華やかになりました。

  開園日  昭和5年(1930年)9月1日
  開園面積 19,579.53m2
 

■ 東京都復興記念館

 震災復興記念館は、大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災の被害や修状、その後の復興事業を伝えるため、昭和6(1931)年8月18日に開館しました。

 館内には、震災復興を祝って、昭和4(1929)年9月に開かれた帝都復興展覧会の展示品、絵画や写真、図表、被災資料及び市民からの寄贈品などが展示されています。

 震災から立ち直った東京は、太平洋戦争末期の空襲で再び焼け野原となりました。そこで戦後、戦災関係資料の展示が追加され、「東京都復興記念館」と名称を変更しました。

 今では震災・戦災の記憶とともに、昭和初期の都市計画や街づくりを伝える貴重な展示施設となっています。(正面玄関前案内板より)

 休館日 年末年始及び月曜日(祝日の場合は翌日)
 竣工日 昭和6(1931)年4月17日
 構 造 鉄筋コンクリート造二階建
 建築面積 174.27坪(575.09㎡)
 延床面積 356.09坪(1,175.09㎡)

 

■ アクセス

 

 JR総武線・両国駅西口より徒歩8分
 都営地下鉄大江戸線両国駅(江戸東京博物館前)下車A1出口より徒歩2分
 〒130-0015東京都墨田区横網二丁目3番25号 03-3622-1208

 

慰霊堂、復興記念館や日本庭園といろいろあります

 

 

 

復興記念館 正面玄関

 

復興記念館 1F展示室A

 

関東大震災の被災エリア

震災による直接の被害よりは、

正午近くであったために火災による焼失が多かった

 

あまりにも強い火災で

どうかもとけてしまうほどでした

 

第二次大戦中に使われた医療器具

 

 

竹下夢二の戦災に関する作品が紹介されています

 

関東大震災で廃墟と化した東京の街を

劇的に復興させた主役が後藤新平

名古屋の100m道路には及ばないまでも

都内を走る昭和通は、

後藤の代表的な傑作です

 

後藤新平は、道路整備とともに

都内に公園を多数整備しました。

災害時対策の一環として

その効果に期待してのことでしょう。

 

後藤新平の俯瞰的視点の採り方は

多いに学ぶべきところがあります。

 

館内だけではなく、公園内も利用して

戦災の足跡が展示されています。

 

印刷機やビス・ナット類などの解けて固まった物など

戦争の悲惨さを語る遺物が

野外にも展示されています

 

2慰霊堂周辺 ◀前 次▶ 4日本庭園

 

■東京都墨田区 都立横網町公園

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 1慰霊堂 260205

2022-10-01 17:31:14 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

  【カシャリ!ひとり旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 1慰霊堂 260205

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 1慰霊堂

  https://tokyoireikyoukai.or.jp/park/history.html

 

 大正11年(1922年)、東京市は、陸軍被服廠(軍服などを作る工場)の移転に伴い跡地を買収し、公園の造成を進めていました。そ大正12年(1923年)9月1日に関東大震災っが発生し、ここ被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難してきました。

 ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、各所で火災が発生しました。この被服廠跡にも強風にあおられた炎が四方から迫り、家財道具などに燃え移り、激しい炎となり、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われてしまいました。

 関東大震災の死者は、当時の東京府市合わせて7万人を超えました。諸霊を弔慰するために、大正12年10月19日に、東京府市合同の大追悼式が挙行されました。翌年には、東京府市合同で震災殃死者一周年祭並びに法要が行われ、以来絶えることなく今日まで続けられてきました。

 当初「大正震災記念公園」と仮称された公園でしたが、昭和5年(1930年)に「横網町公園」として開園しました。しかし、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が勃発しました。空襲による都内犠牲者の数は、10万人をはるかに超え、震災遭難者約5万8千人と合わせて16万3千人の遺骨が東京都慰霊堂として祀られました。

 平成13年(2001年)には、花壇と一体となった「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」が建設され、園内が華やかになりました。

  開園日  昭和5年(1930年)9月1日
  開園面積 19,579.53m2
 

■ アクセス

 JR総武線・両国駅西口より徒歩8分
 都営地下鉄大江戸線両国駅(江戸東京博物館前)下車A1出口より徒歩2分
 〒130-0015東京都墨田区横網二丁目3番25号 03-3622-1208

 

 

 

慰霊堂、復興記念館や日本庭園といろいろあります

 

 

 

 

正門

 

正面は慰霊堂

 

正門の他に、西門、北門、南門とがあります

 

 

 

 

東京都慰霊堂には、

 

空襲による都内犠牲者10万人

 

関東大震災遭難者約5万8千人の遺骨が祀られています

 

 

 

 

東京都慰霊堂全景

 

 

 

 

慰霊堂正面玄関

 

ここから内部に入ることができます

 

 

 

 

玄関ドア 内側から見る

 

 

 

 

慰霊堂内部北面壁

 

 

 

 

慰霊堂内部 南面壁

 

 

 

 

慰霊堂内部正面

 

 

 

 

慰霊堂内部正面 祭壇

 

 

 

 

 

 

東京都慰霊堂 三重塔

 

慰霊堂の後半分(西側)は三重塔になっています(非公開)

 

 

 

 

三重塔 九輪

 

4 日本庭園 ◀前 次▶ 2 慰霊堂周辺

 

■東京都墨田区 都立横網町公園

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 4 日本庭園 260205

2022-10-01 17:22:04 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 4 日本庭園 260205

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 4 日本庭園

     https://tokyoireikyoukai.or.jp/park/history.html

 

■ 横網町公園

 

 大正11年(1922年)、東京市は、陸軍被服廠(軍服などを作る工場)の移転に伴い跡地を買収し、公園の造成を進めていました。そ大正12年(1923年)9月1日に関東大震災っが発生し、ここ被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難してきました。

 ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、各所で火災が発生しました。この被服廠跡にも強風にあおられた炎が四方から迫り、家財道具などに燃え移り、激しい炎となり、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われてしまいました。

 関東大震災の死者は、当時の東京府市合わせて7万人を超えました。諸霊を弔慰するために、大正12年10月19日に、東京府市合同の大追悼式が挙行されました。翌年には、東京府市合同で震災殃死者一周年祭並びに法要が行われ、以来絶えることなく今日まで続けられてきました。

 当初「大正震災記念公園」と仮称された公園でしたが、昭和5年(1930年)に「横網町公園」として開園しました。しかし、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が勃発しました。空襲による都内犠牲者の数は、10万人をはるかに超え、震災遭難者約5万8千人と合わせて16万3千人の遺骨が東京都慰霊堂として祀られました。

 平成13年(2001年)には、花壇と一体となった「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」が建設され、園内が華やかになりました。

  開園日  昭和5年(1930年)9月1日
  開園面積 19,579.53m2

 

■ アクセス

 

 JR総武線・両国駅西口より徒歩8分
 都営地下鉄大江戸線両国駅(江戸東京博物館前)下車A1出口より徒歩2分
 〒130-0015東京都墨田区横網二丁目3番25号 03-3622-1208

 

慰霊堂、復興記念館や日本庭園といろいろあります

 

横網町公園日本庭園に行くには、北門から入るか

慰霊堂近くの銀杏並木の北端へ行くと

せせらぎの源流から見ることができます。

 

日本庭園への入口

 

源流の泉からせせらぎの下流方向を望む

泉といいましても、どうやら隅田川の水を引いているようです

 

源流を少々下ったところから

下流方向を見ますと石橋が見えます

 

平らな石橋の右手に

石原町・緑町震災戦禍追悼碑があります

 

「光天照地」の碑銘が入った

震災戦禍追悼碑があります。

周囲には彼岸花を始め花が咲いています。

 

 

せせらぎに沿って下って行くと

遠くに四阿(あずまや)が見えてきました

 

せせらぎは、二段の小滝が配されていて

爽やかな水音を立てています。

 

滝が落ち込んだ先が池となっていて

池泉廻遊式庭園であることがわかります

 

池の畔で雀が滝音に耳を傾けていました

 

池の畔からせせらぎの上流方向を見ると

先ほど見た震災戦禍追悼碑や

石橋が見えます

 

ズームをちょっと引いて池全体を見てみました

 

弓なりになった石橋の近くには

石灯籠や小竹が植えられたりして

日本庭園らしさがん最も感じられる作庭です

 

この池には、右手からも水が流れ込んでいるようです

 

もう一つの源流の注ぎ口

 

源流注ぎ口のそばに

ザクロの古木が、形良くくねっていました

 

ザクロの古木のそばには、

秋の七草が植えられていて、

「日本庭園だな~」と実感!

 

萩は、満開には少々遅かったですが、

日本庭園の締めくくりにふさわしさを醸し出してくれていました

 

 

 3復興記念館 ◀前 次▶ 1慰霊堂(トップ)

 

■東京都墨田区 都立横網町公園

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!ひとり旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 2慰霊堂周辺 260205

2022-09-30 11:49:56 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

  【カシャリ!ひとり旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 2慰霊堂周辺 260205

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 2慰霊堂周辺

  https://tokyoireikyoukai.or.jp/park/history.html

 

 大正11年(1922年)、東京市は、陸軍被服廠(軍服などを作る工場)の移転に伴い跡地を買収し、公園の造成を進めていました。そ大正12年(1923年)9月1日に関東大震災っが発生し、ここ被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難してきました。

 ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、各所で火災が発生しました。この被服廠跡にも強風にあおられた炎が四方から迫り、家財道具などに燃え移り、激しい炎となり、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われてしまいました。

 関東大震災の死者は、当時の東京府市合わせて7万人を超えました。諸霊を弔慰するために、大正12年10月19日に、東京府市合同の大追悼式が挙行されました。翌年には、東京府市合同で震災殃死者一周年祭並びに法要が行われ、以来絶えることなく今日まで続けられてきました。

 当初「大正震災記念公園」と仮称された公園でしたが、昭和5年(1930年)に「横網町公園」として開園しました。しかし、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が勃発しました。空襲による都内犠牲者の数は、10万人をはるかに超え、震災遭難者約5万8千人と合わせて16万3千人の遺骨が東京都慰霊堂として祀られました。

 平成13年(2001年)には、花壇と一体となった「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」が建設され、園内が華やかになりました。

  開園日  昭和5年(1930年)9月1日
  開園面積 19,579.53m2
 

■ アクセス

 JR総武線・両国駅西口より徒歩8分
 都営地下鉄大江戸線両国駅(江戸東京博物館前)下車A1出口より徒歩2分
 〒130-0015東京都墨田区横網二丁目3番25号 03-3622-1208

 

 

慰霊堂、復興記念館や日本庭園といろいろあります

 

 

 

 

東京都慰霊堂には、

 

空襲による都内犠牲者10万人

 

関東大震災遭難者約5万8千人の遺骨が祀られています

 

 

 

 

正門

 

正面は慰霊堂

 

慰霊堂に付帯する建物などを紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

関東大震災の供養のために

 

中国仏教徒の寄贈による鐘楼・梵鐘

 

 

 

 

銀杏並木

 

復興記念館横の並木

 

右:復興記念館 左:日本庭園

 

 

 

 

慰霊堂前に立つ石灯籠

 

奥は「平和を記念する碑と花飾り」

 

 

 

 

「平和を記念する碑と花飾り」

 

季節の花でデザインも変化します

 

 

 

 

慰霊堂正面玄関前に立つ狛犬

 

 

 

 

鐘楼横の石灯籠

 

ちょっと変わった灯籠ですね

 

 

 

 

公園管理棟

 

 

 

 

 

 

 

 1都立慰霊堂 ◀前 次▶ 3復興記念館

 

 

 

■東京都墨田区 都立横網町公園

 ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】33-shinagawa03 品川区立 池田山公園 岡山藩主・池田家の下屋敷跡 池泉廻遊式庭園

2022-09-23 17:20:52 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】33-shinagawa03 品川区立 池田山公園 岡山藩主・池田家の下屋敷跡 池泉廻遊式庭園

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 

           名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道 仏教 仏像

 

 

■ 品川区立 池田山公園 岡山藩主・池田家の下屋敷跡 池泉廻遊式庭園
 

 「池田山公園」(いけだやまこうえん)は、「岡山後楽園」で知られる旧岡山藩主池田家の江戸下屋敷跡に造られた池泉回遊式の鑑賞型公園です。庭園という言葉が名称にありませんが、高低差を生かした池泉回遊式で、高台部は遊戯・休憩ゾーン、低地部は回遊ゾーンとなっています。

 池田家の下屋敷が造られたのは江戸時代初期のことで、現在も残る池泉回遊式庭園は、その当時に屋敷の庭園として造られたものです。四季折々の花が美しい品川区立の公園として、区民に親しまれています。四季折々の花も咲き、斜面のツツジも見応えがあります。都内の隠れた紅葉の名所ともいわれています。

 池田山と隣接している白金台は、武蔵野台地の東端の一つにあたり、この池泉も武蔵野台地の湧水によります。

 

アクセス


 JR五反田駅、JR目黒駅から各徒歩約15分
 地下鉄 白金台駅、高輪台駅、各線 五反田駅より徒歩13分ほど
 休園日    12月29日~1月3日
 〒141-0022 東京都品川区東五反田5丁目4-35

 

 私は、都営地下鉄浅草線高輪台駅下車、出口A2番から向かいました。地上に出ますと左手に交番があり、その脇の道を道なりに直進し、左手に畠山記念館を観ながら、一段下に下りる階段のある小さな十字路に出ます。


 階段を降りずに、左折し、道なりに直進し、やや広めの道を渡り、右に品川区立第三日野小学校の向かいが、入口です。

 

池田山公園は、東京都品川区立の池泉回遊式の鑑賞型公園です。

 

「公園」という名称ですが、

「岡山後楽園」で知られる旧岡山藩主池田家の

江戸下屋敷跡に造られた

池泉回遊式の日本庭園といえます。

 

表門を入るとすぐ右手につるべ井戸があります。

 

門からは緩やかなスロープが右手にカーブして道が整備されています。

つるべ井戸の奥、道の右手には

サクラの古木が一本立っています。

 

桜の木の脇には、萩が咲いています。

 

道の左手には、大きな岩が配されています。

 

 

 瓢箪型の池に石橋が架り、橋の脇に雪見灯籠があります。

その他、庭園内のところとごろに灯籠が配されています。
 

いろいろな草花が池の周囲に植えられています。

四季を通じて、可憐な花を咲かせるのでしょう。

 

池の奥には、巨石が巧妙に組み上げられていて、

その上部の滝口から水が流れ出ています。

三段の段瀑となって池に流れ込んでいます。

 

高低差を生かした池泉回遊式庭園ですが、

園内の高台部は休憩ゾーンがあり、

デッキのついた展望所になっていて

低地部の池泉部の回遊ゾーンを見下ろせます。

 

四季折々の花も咲き、斜面のツツジも見応えがあります。

 

オニユリが一本、花を付けていました。

 

冬を迎える頃、職人の手作業により、

赤松に雪吊り、そしてソテツに雪囲いが施されます。

(12月~2月)

 

展望所の奥は、遊戯スペースとして

区民の子供達だけではなく

訪れる人に憩いの一時を提供しています。

 

裏門のすぐ内側には、大きな蹲踞(つくばい)がありました。

 

近くには「ネムノキの庭」があります。

美智子皇太后の生家跡です。

 

 

【参考資料】


 池田家は、明治の廃藩置県後もこの地に屋敷を構えて暮らしていましたが、その後、所有者の変遷を経て、昭和後期に公園として開園しました。「庭園」という名の付かない都内の公園の中で、最も歴史的な日本庭園の一つといえます。
ではないでしょうか(以前は「新江戸川公園」もその代表格でした)。今の所秋にしか足を運んだことないけど、紅葉の時期以外にも様々な花が咲くそうなので別の季節にも行ってみよう…斜面のツツジの花が咲くであろう春も良さそう。

現在周辺は完全な住宅街ですが、ここから徒歩5分程の場所にある「ねむの木の庭」辺りまで元は池田家の敷地だったそう。なお池田山公園から「東京都庭園美術館」までは徒歩10分程。

 旧岡山池田藩下屋敷跡を整備した鑑賞型公園。高低差を生かした池泉回遊式で、高台部は遊戯・休憩ゾーン、低地部は回遊ゾーンとなっています。
 四季折々の花が美しい公園として、区民に親しまれています。

 

■ カシャリ! ひとり旅

 

 


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】33-shinagawa03 品川区立 池田山公園 岡山藩主・池田家の下屋敷跡 池泉廻遊式庭園

2022-09-23 17:20:52 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】33-shinagawa03 品川区立 池田山公園 岡山藩主・池田家の下屋敷跡 池泉廻遊式庭園

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 

           名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道 仏教 仏像

 

 

■ 品川区立 池田山公園 岡山藩主・池田家の下屋敷跡 池泉廻遊式庭園
 

 「池田山公園」(いけだやまこうえん)は、「岡山後楽園」で知られる旧岡山藩主池田家の江戸下屋敷跡に造られた池泉回遊式の鑑賞型公園です。庭園という言葉が名称にありませんが、高低差を生かした池泉回遊式で、高台部は遊戯・休憩ゾーン、低地部は回遊ゾーンとなっています。

 池田家の下屋敷が造られたのは江戸時代初期のことで、現在も残る池泉回遊式庭園は、その当時に屋敷の庭園として造られたものです。四季折々の花が美しい品川区立の公園として、区民に親しまれています。四季折々の花も咲き、斜面のツツジも見応えがあります。都内の隠れた紅葉の名所ともいわれています。

 池田山と隣接している白金台は、武蔵野台地の東端の一つにあたり、この池泉も武蔵野台地の湧水によります。

 

アクセス


 JR五反田駅、JR目黒駅から各徒歩約15分
 地下鉄 白金台駅、高輪台駅、各線 五反田駅より徒歩13分ほど
 休園日    12月29日~1月3日
 〒141-0022 東京都品川区東五反田5丁目4-35

 

 私は、都営地下鉄浅草線高輪台駅下車、出口A2番から向かいました。地上に出ますと左手に交番があり、その脇の道を道なりに直進し、左手に畠山記念館を観ながら、一段下に下りる階段のある小さな十字路に出ます。


 階段を降りずに、左折し、道なりに直進し、やや広めの道を渡り、右に品川区立第三日野小学校の向かいが、入口です。

 

池田山公園は、東京都品川区立の池泉回遊式の鑑賞型公園です。

 

「公園」という名称ですが、

「岡山後楽園」で知られる旧岡山藩主池田家の

江戸下屋敷跡に造られた

池泉回遊式の日本庭園といえます。

 

表門を入るとすぐ右手につるべ井戸があります。

 

門からは緩やかなスロープが右手にカーブして道が整備されています。

つるべ井戸の奥、道の右手には

サクラの古木が一本立っています。

 

桜の木の脇には、萩が咲いています。

 

道の左手には、大きな岩が配されています。

 

 

 瓢箪型の池に石橋が架り、橋の脇に雪見灯籠があります。

その他、庭園内のところどころに灯籠が配されています。
 

いろいろな草花が池の周囲に植えられています。

四季を通じて、可憐な花を咲かせるのでしょう。

 

池の奥には、巨石が巧妙に組み上げられていて、

その上部の滝口から水が流れ出ています。

三段の段瀑となって池に流れ込んでいます。

 

高低差を生かした池泉回遊式庭園ですが、

園内の高台部は休憩ゾーンがあり、

デッキのついた展望所になっていて

低地部の池泉部の回遊ゾーンを見下ろせます。

 

四季折々の花も咲き、斜面のツツジも見応えがあります。

 

オニユリが一本、花を付けていました。

 

冬を迎える頃、職人の手作業により、

赤松に雪吊り、そしてソテツに雪囲いが施されます。

(12月~2月)

 

展望所の奥は、遊戯スペースとして

区民の子供達だけではなく

訪れる人に憩いの一時を提供しています。

 

裏門のすぐ内側には、大きな蹲踞(つくばい)がありました。

 

近くには「ネムノキの庭」があります。

美智子皇太后の生家跡です。

 

 

【参考資料】


 池田家は、明治の廃藩置県後もこの地に屋敷を構えて暮らしていましたが、その後、所有者の変遷を経て、昭和後期に公園として開園しました。「庭園」という名の付かない都内の公園の中で、最も歴史的な日本庭園の一つといえます。
ではないでしょうか(以前は「新江戸川公園」もその代表格でした)。今の所秋にしか足を運んだことないけど、紅葉の時期以外にも様々な花が咲くそうなので別の季節にも行ってみよう…斜面のツツジの花が咲くであろう春も良さそう。

 現在周辺は完全な住宅街ですが、ここから徒歩5分程の場所にある「ねむの木の庭」辺りまで元は池田家の敷地だったそう。なお池田山公園から「東京都庭園美術館」までは徒歩10分程。

 旧岡山池田藩下屋敷跡を整備した鑑賞型公園。高低差を生かした池泉回遊式で、高台部は遊戯・休憩ゾーン、低地部は回遊ゾーンとなっています。
 四季折々の花が美しい公園として、区民に親しまれています。

 

■ カシャリ! ひとり旅

 

 


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【カシャリ!ひとり旅】 東京品川区 尾﨑士郎記念館 小説家 代表作『人生劇場』

2022-07-25 13:32:27 | 【カシャリ!ひとり旅】 東京散歩

 

  【カシャリ!ひとり旅】 東京品川区 尾﨑士郎記念館 小説家 代表作『人生劇場』

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 東京品川区 尾﨑士郎記念館 小説家 代表作『人生劇場』 


  https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/hakubutsukan/ozaki_shiro.html

 品川区には、文士を記念する施設や関係物が多数あります。

 「尾﨑士郎記念館」は、平成20年5月にオープンしました。昭和29年に建てられた尾﨑士郎の居宅のうち書庫、客間、書斎を再現しています。

 彼のエネルギッシュな執筆活動を伝えるために、特に、机周りの雑然とした雰囲気を活かした展示がなされています。豊富な蔵書や原稿用紙をはじめ、いくつもの徳利や調度品までもが展示されています。そこからは、酒と相撲を愛した作家の息づかいが聞こえてきそうだといわれるほどです。

 建物の内部には入れませんが、窓などから内部を細かく観られます。庭にはベンチもあり、雨が降っていなければ、ちょっとした休憩をとることもできます。

アクセス
 JR大森駅より徒歩10分
 JR大森駅または都営地下鉄馬込駅よりバス「山王2丁目」下車徒歩3分
 駐車場 身障者用1台。一般向け駐車場はありません。
 〒143-0023 大田区山王一丁目36番26号
 問い合わせ先    大田区立龍子記念館内 03-3772-0680

開館時間 午前9時から午後4時30分
入館料  無料(建物内には入れません)
休館日  年末年始(12月29日から1月3日)

尾崎 士郎 小説家、社会主義活動をベースにした作品が多い
 おざき しろう
 1898年(明治31年)2月5日-1964年(昭和39年)2月19日)

 小説家で、新聞連載小説『人生劇場』がヒットし、流行作家になりました。

 愛知県幡豆郡横須賀村(現西尾市)、1898年に生まれました。

 中学在籍中に、雑誌『世界の日本』に論文「いかにして選挙権を拡張すべき乎」を寄稿したことが契機となり、その評者の早稲田大学教授・永井柳太郎の目にとまりました。早稲田大学政治科在学中に、社会主義運動にかかわり、中退後、国家社会主義に身を投じたりしました。

 1921年(大正10年)に時事新報の懸賞小説で、大逆事件を取材した『獄中より』が第二席で入選し、以後本格的に小説家として身を立てるようになりました。

 1933年(昭和8年)から都新聞に『人生劇場』を連載開始、大ベストセラーとなり、文芸懇話会賞を受賞しました。戦前、雑誌『文芸日本』、戦後に『風報』を主宰したりもしています。

 川端康成とは関東大震災の翌年1923年(大正12年)に出会って以来からの変わらぬ親友で、葬儀の弔辞は川端康成が読み哀悼の意を表したそうです。

 『石田三成』『真田幸村』『篝火』などの歴史小説も書いたほか、相撲にも詳しく、長編小説『雷電』など相撲関係の著作もあり、横綱審議委員を務めたこともあります。

 展示物に徳利などがあり、相当なる酒豪であったそうです。1964年(昭和39年)、大田区山王の自宅で、直腸癌により、66才で死去しました。

 尾﨑の功績は、平成20年5月にオープンした「尾﨑士郎記念館」に表されています。
 

 

門から見た記念館

正面が玄関、その横が書庫

手前が休憩所

 

玄関横前にある代表作「人生劇場」の石碑

 

玄関横の書庫

 

庭に入る木戸

 

木戸を入ったところから部屋の中を見学

 

庭から木戸を見る

 

窓越しに見た書斎

 

尾﨑士郎が癌を患い、

その入院中に贈られた寄せ書き

 

庭に回ったところ、客間が見える

 

作品の一部

 

客間

 

 

近隣に徳富蘇峰の旧宅「山王草堂記念館」も

徒歩10分ほどのところにあります。

是非、訪れてみてはいかがでしょうか。

山王草堂記念館

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/adb4e888e2e1d9e1e369cf8372c0e7a4

山王草堂庭園

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/4d832d9fa8e8d532216951ce6b812db7

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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