青空Green倶楽部

時々意の趣くままに・・ミヤンマ―・国際・政治・経済・温暖化or寒冷化・限界集落etc

中国・石家荘付近に彰徳がない

2020-11-16 06:15:32 | 忘備

  中国GDPは70年弱で170倍以上に成長し世界第2位の経済大国に・。日本がバブルで浮かれリーマンショック後の失われた20数年の間にです。30年数年前、瀋陽近郊の3段ベッドの全寮制の中学校を訪れた時、午前午後の授業を終えて夕食後、教室に戻り午後10時頃まで真摯に勉強している生徒の姿を見て日本は危ういと感じたのです。政治体制は別にしてハングリーな若者が社会に出て成長や発展を牽引し世界覇権を競う国になったのです。

 その後北京や上海、昆明や西安など数年おきに訪ね脅威の発展の変貌を見てきました。日本のTVメディア等がプロスポーツの勝敗やお笑い芸人やアニメやグルメなどと躍っている間にです。その間、日本社会は国民幸福度、世界の大学ランキング、論文数、所得減少、雇用形態不安、子どもの貧困、格差拡大、犯罪比率、自殺者,児童虐待など劣化しているのです。失礼、忘備録でした。

 生前の母がもう一度、死ぬ前に中国に行ってみたいと・。父母は中国、華北鉄道の軍属で住んでいたと書いたのが河南省彰徳県義安里、北京経由で石家荘駅で降りてその近辺であると・。一緒に訪れる予定でしたが体調が悪化し介護施設に入居することになり写真だけでも撮ってきてと頼まれた。家にある古い写真と母の記憶が頼りの旅です。

 河南省ではなく河北省の石家庄市(中国名)で中国の交通の要衝で省都。都市圏人口354万人、常住人口1087万人、商品集散地、中国有数の薬都です。雑踏の北京西駅から277㎞確か3^4時間で石家庄駅に・。広く大きな駅で駅前も再開発され高層ビルの一角にマクドナルドがあった。隣席の親切な大学生が彰徳県など調べてくれましたが河南省にも河北省にもないのです。北京の北には承徳市はありますが違います。翌日から3日間も大学生が捜索に付き合ってくれて彰徳も義安里の地名も市内の各所の資料も調べてくれましたが見つかりませんでした。

 1937年頃は日本軍の占領下で重要な軍事拠点でした。1947には石家庄市から石門市に改名され1949年には中華人民共和国の石家庄市にその他の地名変更がされていたのです。帰国し介護施設に石家荘市の駅や周辺写真を見せ河南省彰徳県義安里は解からなかった事を告げたらうなずいていました。介護施設の人が母は石家庄市の諸々の写真を何度も何度も毎日眺めていたと聞き少しは親孝行したかな・と。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
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