青空Green倶楽部

時々意の趣くままに・・ミヤンマ―・国際・政治・経済・温暖化or寒冷化・限界集落etc

汚染と清浄・浄化

2018-05-26 07:29:40 | エッセイ


 ミヤンマ―のベンガル湾沿いの半鎖国時のチャンタ・ビーチChaungtha Beach。ハワイなど数か国のビーチも訪れましたがきれいさが違う。喧騒もなく空・海は澄んで砂浜も自然の洗浄で白く綺麗です。                                             それにしても経済優先の社会の進歩、グローバル化、人間の活動結果の気になるのが汚染です。                          大気汚染(中国など)・海洋汚染(マイクロプラスチック・水銀、PCB化学物質など)・人間汚染(詭弁政治家・偽装企業家・データ偽装社員)・スポーツ汚染(ドーピング・暴力・日大監督コーチ・レスリングパワハラ・)それに水質汚染etc です。
 特にスポーツ汚染の状況は深刻です。国、企業、学校、メディアなどの宣伝・売名媒体、競争扇動のスポーツに成り下がっています.明けても暮れても青春期・成人期にスポーツ付け、何か異常さを感じます。ましてプロスポーツの必然性は感じません。

 汚染(おせん)とは汚れること、雑菌が繁殖すること、感染することです。洗浄・浄化しないといけませんネ。
 
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祭祀(さいし)・祭り

2018-05-09 08:23:14 | エッセイ


 多民族連邦国ミヤンマ―(135民族)には民族・地域によって多様な祭祀・祭礼があります。主な祭祀・祭礼は4月のミヤンマ―暦の正月にあたるテインジャン水かけ祭りです。前年の悪と罪を洗い流し新年を新しい気持ちで迎える祭礼です。老若男女が着飾り僧院に金銭や料理を寄付し年配の人に掃除や手伝い、食べ物を贈ります。来客には多くの料理もします。この時期出家する人や精神統一の瞑想に泊まり込みで修行する人も多くいます。
 5月のガソンニャウン・イエトウン菩提樹に水をかける祭祀。仏陀が菩提樹の木の下で悟りを開かれた事にちなんだもの。干上がった池や川から魚を捕らえ水のある場所に移す行事などです。
 ミヤンマ―では7月の満月から10月の満月までは雨安居(うあんご)と呼ばれる雨季です。10月のダディジュ満月祭(雨安居があがる火祭り)11月のダザウンモン満月祭(僧院にささげる服を作る)などです。
 この時期、仏陀が悟りを開かれ弟子に説教されたことに由来し僧侶はより宗教的生活に努めます。雨安居の始まりに僧衣を進呈しこの期間中はより修行に励み、一般の人は婚礼などの行事は控えます。雨安居が終わる満月の夜にはパゴダの参道や家にロウソクやランプの明かりが灯され川にはトウロウを浮かべます.ミヤンマ―の祭礼・祭祀は仏、神、水、満月など超自然的存在に感謝・謝罪・尊敬・帰依・服従の意志や意義の確認で純粋で神聖なものでしたが・・。
 ヨーロッパや日本など先進国の祭礼・祭祀は神聖なものもありますが政治的・経済的色彩が濃くなり大衆統合や娯楽性、観光のイベント化が重視されています。伝統や宗教的意味が形骸化し世俗的な催事としての「祭り」に傾斜しているようにも感じます。
 ミヤンマ―も民主化・開放によって仏陀など超自然を敬う純粋の祭祀・祭礼もまもなく経済優先の催事・観光、イベント化するするでしょう・。

写真はバガン近郊の村のダザウンモン・ボエの隊列
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寛容な仏教徒

2018-05-03 12:59:57 |  ドキュメント


  ミヤンマ―の旧首都のヤンゴン。第二次英緬戦争後英植民地支配の拠点として急速に発展しました。2017年現在のヤンゴン管区人口は793万人と推定されています。スーレー・パゴダを中心に広がる市街地には植民地時代の古い町並みと高層ビルが同居しています。仏教国ミヤンマ―を象徴するのが市街地北のシンゴウタヤの丘にそびえ立つシェダゴン・パゴダです。
 2500年前兄弟商人がインドを訪れた際に仏陀に出会い8本の毛髪をもらい受け丘に祀ったのが始まりと言われています。その後度重なる改修、拡張工事を経て現在の姿になりました。高さ100mの仏塔の最上部には何千ものダイアモンドやルビー、ヒスイが散りばめられその周囲を64の小さなパゴダが囲むように建っています。
 その一つのパゴダの涅槃仏の前で同じ悟りの境地だからとポーズで写真を撮らせてくれたビルマ族のS嬢。寛容な仏陀の事お許し頂けるのかな・と。

 涅槃仏(ねはんぶつ)とは釈迦が入滅した姿、入滅とはこの世を去って仏の世界である「涅槃」に行くこと、その最後の姿を表しています。目を開かれているのは入滅前の最後の説法、もしくは弟子に仏法を説かれている姿だと言われています。
 敬虔な仏教徒のS嬢、仏教の理想とする悟りの境地、一切の悩みや束縛から脱した円満、安楽の境地でしょうか・・


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