すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【映画の見方】強制予約録画のすすめ

2017-02-20 09:53:50 | 映画
知らない映画でも片っぱしから録画すべし

 夜中にテレビで知らない映画をよくやっているが、ああいうのをテキトーに予約録画しておくのはおすすめだ。

 人間は恣意的に選んで映画を観ると、自分の知ってる範囲で好きな映画しか観ないようになる。するとどうしても世界が狭くなる。

 ゆえに知らない映画だろうが片っぱしから強制的にテレビで予約録画し、無理やり観るようにすると思わぬ発見をする。自分は知らない(が才能のある)監督や俳優をザクザク見つけることができる。結果、自分が大きくなる。未知の金脈はまだまだ地中深く眠っているわけだ。

 例えば私の場合、完全な洋画志向だ。だから邦画に関しては致命的に無知である。そこで私はテレビでやっている邦画を手当たり次第に予約録画することにしている。すると、どんどん世界が広がって行く。

 例えば『ウォーターボーイズ』(2001)というタイトル名はもちろん知っていた。だがなんと矢口史靖監督の名前は知らなかった。なぜならあの映画が封切当時は、猫も杓子も話題騒然のバカ騒ぎだったからだ。するとヘソまがりな私は「そんな軽薄な映画なんか、絶対に意地でも観るか」と完全スルーしてしまう。いけないとわかっていながらそうなっちゃう。で、せっかくの重要な新人監督や俳優さんを知らないまま見逃してしまうのだ。

 ところがつい先日たまたまテレビで、夜中に矢口監督の『WOOD JOB!(ウッジョブ) 神去なあなあ日常』(2014)をやっていたので、何の気なしに予約録画して寝た。で、翌日起きて観てみると、なんと冒頭の30分間を観ただけでとんでもない傑作であることを直感した。

 だがあいにくその日は、どうしても出かけなきゃならない用事がある。しかたなく冒頭の30分を観ただけであわてて外出し、用事を済ませるや帰りに速攻でビデオレンタル屋へ直行した。そして矢口監督の『スウィングガールズ』(2004)、『ハッピーフライト』(2008)の2本をレンタルしてきた。

 なぜって作品冒頭の30分間を観ただけで、「この監督は絶対にハズさない監督だ」ってことが充分確信できたからだ。で、試しに『ハッピーフライト』を観てみると案の定、傑作だった。これでまたひとつ、私の頭の中の「優秀監督リスト」が充実したわけだ。

 こんなふうに人生は勉強の連続である。

 恥ずかしいことに、邦画オンチな私はかたや行定勲監督の傑作『今度は愛妻家』(2010)もまったく知らなかった。これもたまたま夜中にテレビでやっていたのを偶然、予約録画したのだ。そして翌日観てみたら感動しまくり。ワアワア泣いた。

 で、また速攻でビデオレンタル屋へ走り、さみだれ式に行定監督の『ロックンロールミシン』(2002)、『世界の中心で、愛を叫ぶ』(2004、おい、こんな大ヒット作も観てなかったのか?)、『北の零年』(2005)、『クローズド・ノート』(2007)、『ショコラの見た世界』(2007)、『パレード』(2010)など一連の作品をレンタルしてきたのは言うまでもない。これでまたひとつ、賢くなれた。やれやれ。

 てなわけでテレビでやってる知らない映画の強制予約録画、ぜひおすすめします。

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【映画評】矢口史靖監督が仕掛ける『ハッピーフライト』(2008)のからくり

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【映画評】矢口史靖監督が仕掛ける『ハッピーフライト』(2008)のからくり

2017-02-17 17:03:59 | 映画

畳み掛けるギャグ、空港での裏方仕事を精緻に描く

 ミュージシャンズ・ミュージシャンという言葉がある。同業者であるミュージシャンから支持されるミュージシャン、という意味だ。

 彼らは一般消費者からのウケは必ずしもよいとは限らないが、同業の音楽専門家から高く評価される。この映画はちょうどそんな作品である。映画監督と同じように、物語を作る作家など何らかの物作りに従事するプロが「うまいな」と心酔しそうな映画だ。

 シンクロナイズド・スイミングに挑む男子生徒達を描いた青春ドラマ『ウォーターボーイズ』(2001)で一世を風靡し、今2月11日からは最新作『サバイバルファミリー』が劇場公開中の矢口史靖監督の手による2008年作品である。出演は田辺誠一、時任三郎、綾瀬はるか、ほか。

 この作品は日本からホノルルへと飛び立ちアクシデントに見舞われる飛行機の機内を軸に、その周辺で働く空港管制塔の職員たちや気象予測担当者、整備士など各分野のプロフェッショナルたちが織りなす人間模様を描く。彼らが「たったひとつの目標」を目指し、一致団結して知恵を出し合いゴールのテープを切る。

 とはいえ、よくあるパニック映画などのようにド派手な大事故や出来事が続々起こるわけじゃない。そういうあざとさで勝負する映画ではない。

 ここで描かれる物語はある意味、えらく地味だ。例えば空港には飛行機の写真を撮るマニアたちが張っていたり、鳥が飛行機にぶつかる事故を防ぐ専門職員がいたり。これらの地味な小ストーリー群がモザイク画のように組み合わさり、ため息が出るほど巧妙な仕掛け時計が回って空港の時が刻まれて行く。

 しかも何がすごいってこの映画、事前に空港業務のあれやこれやをものすごく丹念に取材している。で、われわれ一般人がふだん何気なく利用している飛行機の旅の背後には、こんなにもたくさんの裏方さんがいろんな専門業務をこなしてるんですよ、と人間ドラマをまじえて教えてくれる。「ほぉー、空港ってこんな仕組みになってるんだ」と思わず感心させられる。絶え間なく笑いを挟みながら。

 そしてほとほと参るのは、彼らが行う仕事の見せ方がきわめて精緻でディテールが細かいところだ。とんでもなく緻密に計算されたシナリオをもとに、物語の歯車がガッチリかみ合い、テンポよくギャグも絡めて空港業務が演出されて行く。

「この監督、ウマいなぁ」「緻密に計算してやがるなぁ」

 やっかみ半分、そう無意識のうちに唸らされる。

 ゆえにこの映画は物語を作るような仕事をしている人か、それに準じる何らかのモノ作りをするプロへの訴求度が高いはずだ。映画版「ミュージシャンズ・ミュージシャン」というのはそういう意味だ。ネタばれになるから細かくは触れないが、ぶっちゃけ私はこんなにウマく作られた映画を観たのは生まれて初めてである。いやはや。


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【映画評】「僕の彼女はサイボーグ」が描くアンドロイドの輪廻転生(2)

2016-04-24 18:57:09 | 映画
人間に生まれ変わった「彼女」はまた彼を選んだ

 映画「僕の彼女はサイボーグ」(監督:クァク・ジェヨン / 主演:綾瀬はるか)は、未来の「僕」=ジローがタイムマシンを使って過去の自分自身に送ったサイボーグの彼女と、「僕」との愛と葛藤を描いた作品だ。

 そしてこの映画の裏テーマのひとつが、サイボーグ綾瀬の発する無償の愛=母性であることは前回の記事で書いた。今回は、この映画のもうひとつの裏テーマについて書こう(ネタバレあり)。それは機械の彼女が体験した輪廻転生の物語である。

 サイボーグ綾瀬はジローとのふれあいのなかで、少しずつ愛が理解できるようになった。そして半ば人間化しながらも、彼を助けて身代わりに地震で破壊されてしまった。

 だが物語は終わりではなかった。

 なんと彼女は、未来で人間の女子高生として転生したのだ。

 だが、もちろん前世(サイボーグ時代)の記憶はないし、自分がサイボーグの生まれ変わりだなどという自覚はない。で、運命の糸に導かれるように、彼女は博物館に展示された寿命の切れたかつてのサイボーグ綾瀬と出会った。

「このサイボーグは、なぜ私と同じ顔をしてるんだろう?」

 好奇心にかられた未来の綾瀬は、オークションでサイボーグ綾瀬を父に買い取ってもらった。そしてサイボーグに埋め込まれた記憶チップを使い、いわば自分の「前世の記憶」を脳に再インストールした。この時点で前世が補完された人間の綾瀬は、文字通りあのサイボーグ綾瀬と完全融合した転生・綾瀬となった。

 そして地震後のラストシーンでは、主人公のジローと転生・綾瀬が結ばれるーー。

 彼女はサイボーグ綾瀬の記憶と意識をもち、サイボーグ時代の綾瀬と完璧に一体化している。なにより彼女は、人間として転生したのだから。そして生まれ変わった彼女は最後にジローと結ばれる。

 この解釈なら、サイボーグ綾瀬の方にしか感情移入できず、「最後に結ばれるのはサイボーグの方であってほしい」と願う人たちの心もサルベージできる。

 ただし、この物語は単純なハッピーエンドではない。

 人間の転生・綾瀬はラストで過去に介入し、ジローといっしょに生きて行くパラレルワールドを選んだ。歴史を変えられた時空はまた歪められ、いつか再び強い力でもとへ戻ろうとするだろう。その揺り戻しが起こす災難は、三たび彼と彼女を襲うはずだ。今度は、地震どころでは済まないかもしれない。

「それでも私は、彼といっしょに生きて行く」

「未来にくるであろう破滅も込みで、それでも私はまた彼を選んだ」

 この映画は、そういう物語なのである。


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【映画評】「僕の彼女はサイボーグ」が発散する母性の愛(1)

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【映画評】「僕の彼女はサイボーグ」が発散する母性の愛(1)

2016-04-24 07:52:21 | 映画
男たちはアンドロイド・マザーの夢を見るか?

 すべての男はマザコンである。

 自分の身を犠牲にし子を育てる母の無償の愛があるからこそ、息子は男として家庭を旅立てる。ゆえに、すべての男はマザコンである。

 映画「僕の彼女はサイボーグ」(監督:クァク・ジェヨン)は、未来の「僕」がタイムマシンで過去の自分に送ったサイボーグの彼女と僕(=ジロー)との愛や輪廻を描いたSF仕立てのラブストーリーだ。

「タイムパラドックスが穴だらけなのに、なぜか何度も観たくなる。この映画が気になって仕方ないーー」。ネット上では、よくそんな声を聞く。

 それはあなたが、主演する綾瀬はるかの姿に「母」を見ているからだ。身を挺し何度もジローの危機を救ってくれるサイボーグ綾瀬に、あなたは母の無償の愛を感じている。ゆえにこの映画は観た男性に本能的な思慕の情を起こさせる。すべての男は無意識のうちに胎内回帰願望を刺激される。

 だから何度も観たくなるし、この映画が気になって仕方ない。

 そう。本作最大の裏テーマは、無償の愛=母性である。見返りなど求めず、危険を冒してジローの危機を何度も救うサイボーグ綾瀬は母性の象徴なのだ。

機械の心が嫉妬する

 たとえば劇中で時間を遡行し、ふたりでジローの心の故郷へ帰るシーン。夕焼けをバックにサイボーグ綾瀬が主人公をおんぶするくだりがある。あれは「子供を背負う女=母性の象徴」という位置づけだろう。

 その証拠に「君の背中は機械だから冷たい(が母の背は暖かかった)」とジローにいわれ、サイボーグ綾瀬は背負ったジローをわざと落っことす。彼女はこのとき明らかにジローの母に嫉妬している。機械の心で愛を感じている。

 だが他方、クラブでジローがナンパした軽薄な女性には嫉妬していない。つまりあの程度の女はライバルに値せず、母性の象徴たるサイボーグ綾瀬の嫉妬の対象はあくまでジローの母であることを暗示している。

 実は故郷へ帰るシーンは、母性がこの映画のひとつのテーマであることを絵解きしたカギになる場面だ。「故郷へ帰るくだりは長すぎる。カットしてOK」という意見がネット上に多いが、重要なポイントを読み外していると思う。

 あの帰郷のシーンこそが、男たちの故郷=母の胸へと帰るこの映画最大の裏テーマを象徴するシーンなのである。

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【映画評】「僕の彼女はサイボーグ」が描くアンドロイドの輪廻転生(2)

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映画『ダーウィンの悪夢』が描く勝ち組と負け組の末路

2007-07-31 13:22:05 | 映画
 週末にビデオレンタルで新作映画を借りて観た。『ダーウィンの悪夢』『イカとクジラ』『UNKNOWN』の3本だ。

『ダーウィンの悪夢』は、2004年ヴェネツィア国際映画祭でヨーロッパ・シネマ・レーベル賞を受賞したのを皮切りに、2006年セザール賞(フランスの権威ある賞)で最優秀初監督作品賞、また2006年アカデミー賞では長編ドキュメンタリー賞にノミネートされている。

 映画の舞台はアフリカのビクトリア湖だ。外来魚“ナイルパーチ”の増殖をきっかけに、さまざまな悪夢が連鎖反応的に引き起こされる現実を描く。南北問題(勝ち組と負け組)や貧困、現実逃避としてのドラッグ、搾取の構図などを、構造的な問題として射抜いている。

 生態系の頂点には人間がおり、なにより人間に対する影響がいちばん大きいんだってことを思い知らされる作品だ。超おすすめである。

 この映画のテーマを敷衍すれば、ネカフェで寝泊りして食いつなぐ「日本難民」や年金をもらえない「年金難民」、ワーキングプア、生活保護を門前払いされる人たちに行き当たる。日本にとってアフリカは、もうすぐそこである。

 一方、『イカとクジラ』は、インテリ夫婦の離婚をトリガーに息子たちが反乱を起こす家族問題を扱った映画だ。必要な時期に親に甘えられない子供たちはどうなってしまうのか? 今や日本でも家族の崩壊は深刻である。

 世の中じゃ、とかく憲法がどうとか大きな物語が語られがちだ。だけど実は日本人にとっていちばんシビアな問題は、我々を取り巻く外の世界じゃなく人間の内側にある。

 家族問題はもちろん、「自分は生きる目的を持ち、生きたいように生きなければならない」てな自己実現幻想に取り付かれた自分探しや、その果てに来るニートとかワーキングプア、ウツ病、自殺の問題などなど。大きな物語に気を取られて足元を見ない状態が続くと、5年~10年もすればホントにこの国は危なくなるだろう。

 最後に映画『UNKNOWN』は、ひとことで言えば映画『SAW』のプロットをパクって発展させ、犯罪ミステリーっぽい心理スリラーにした作品だ。パクりと言っても十分に楽しめるデキだった。ラストにもうひと工夫ほしいところだけど……ごにょごにょ。

 以上、3本とも観て損はない映画である。レンタルで3本借りて、3本とも一定水準をクリアしてるってのは珍しいなあ。いやラッキーでした。

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人は映画の中に「観たいもの」を観る

2005-09-09 09:32:23 | 映画
 やっと仕事がひと段落しました。ふう。しかしこのブログの更新頻度は……(笑)。毎日エントリー上げてる人ってたくさんいるけど、なんであんなことができるのかなあ(素朴にうらやましい)。てなわけで今回は仕事上がりの脱力状態、当然頭がカラッポなので、めずらしく日記(というか映画の話)を書こう。お題は「ぜひまた観たいこの1本」であります。

 仕事が落ち着いたんで、きのうの夜中にレンタルビデオ屋さんで映画を3本借りてきた。脳がすっかり仕事モードでヨレヨレだから、観たことない映画を観ても頭が対応できそうにない。で、前に1度観てよかったやつをまた借りてきました。その3本てのは『プレッジ』、『父の祈りを』、『シャイン』です。

 今回はまだ観てないけど、カンタンに紹介しよう。ちなみにアフィリエイトではありましぇん(笑)

『プレッジ』(2001年)
  監督:ショーン・ペン、主演:ジャック・ニコルソン

 この映画を以前観て、「ショーン・ペンってマジで才能あるんだなあ」とうならされた作品。ジャック・ニコルソンはいうまでもなくハマリ役だ。

 ちなみにgooの映画紹介では、主人公の刑事が「妄執に取り憑かれて行動する」とか書かれてる。おいおい、「妄執」じゃないだろこれ(笑)。人間の「根源的な良心」が逆に人の人生を破綻させていく、っていう高度にシニカルなひねりを入れた話じゃないか。この映画は人間の脳の奥底に隠された「動かしがたい良心とは何か?」を問いかけてるでしょうに。妄執どころか、私はニコルソンの行動原理に激しく共感してアツくなったよ? ってあんまり書くとネタバレになるからやめとこ。

 さて、この映画でたったひとつだけ不満に感じたのはラストシーンだ。あそこに限ればニコルソンは「演じすぎ」だと思う。あのシーンでは、「逆に何もせずにボーッとただ座ってるだけ」のほうがインパクトが強烈じゃないか? なによりそのほうが、主人公の心象風景がよりリアルに出ると思うんだけど。

 これ、はるか昔にタルコフスキーの『惑星ソラリス』(1972年)を観て、唯一ラストシーンだけが不満だったのと理屈は同じだ。要するに「説明しすぎ」なの。どっちもすごくいい映画なのに、最後の最後でマイナス点がついちゃうのはもったいないよなあ。てか、あくまで「私的に」だけど。

 要は、「説明しなきゃわからない人もいるから」ってことなんだろうけど、「わからなきゃわからないでいい」じゃない? 映画って。

『父の祈りを』(1993年)
  監督:ジム・シェリダン、主演:ダニエル・デイ・ルイス

 監督のジム・シェリダンは、あの『マイ・レフトフット』(1989年)の監督さんです。ダニエル・デイ・ルイスの才能を確信させられた映画であります。

 父と子の物語なんだけど、人生の「答え」を探して紆余曲折してた息子が最後には、みたいなお話。私が以前、エントリー「自分探しに疲れたあなたに贈る処方箋」で書いた、魚屋さんになったほうのA君とその親父、ってところだ。70年代のロックを取り巻く状況が小道具として出てきておもしろかった。この作品もかなりイキました。

『シャイン』(1995年)
  監督:スコット・ヒックス、主演:ジェフリー・ラッシュ

 ピアニスト役を演じたジェフリー・ラッシュが、第69回アカデミー賞で主演男優賞をとったので、この作品は知ってる人も多いだろう。精神病院で長い間を過ごした主人公が、天才ピアニストとして開花していく物語だ。

 しかしよく考えたらこの作品にも、父と子のあり方がサブストーリーとして流れている。こうしてみると、私がツボにくる映画ってけっこう共通してるのか? たしかに「父親」なる存在は、私の深層意識にトゲとして刺さってるわけだし(謎)。人は、「自分の観たいものを映画の中に観る」みたいなことですかね?(笑)。

 私は映画を観て泣くことはあまりないが、この映画にはワアワア泣いた。たぶん私は「ハンディキャップを乗り越えて」みたいな、アメリカ人が好きそうなわかりやすい設定にハマったんじゃない。主人公に強く感情移入したのは事実だけど、それは「うんうん、天才ってこういうもんなんだよなあ」とか、例の「父と子のモンダイ」の部分に心をゆさぶられたからだ。

 んー、映画のネタって、あんまりくわしく書くとネタバレになるんでむずかしいわ(笑)。この3本はとにかく観てソンはありません(キッパリ)。おすすめです。ただし『プレッジ』だけは、「ものすごくツボにくる人」と「それほどでもないけど、でもおもしろいと感じる人」に分かれるかもしれないけれど。

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(追記)一部、語尾を整えた(2005,9/10)
コメント (3)
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ジョニー・デップとジュード・ロウ―― 「かっこいいけど性格俳優」の系譜

2005-04-13 00:47:45 | 映画


 ジョニー・デップの爆発ぶりを見ていると「かっこいいけど性格俳優」な時代がきたんだなあ、と実感させられる。

 その系譜を紐解くと、ここ10年~20年の範囲なら元祖はまちがいなくカイル・マクラクランだ。デヴィッド・リンチが好んで彼を使ってることでもそれは証明されている。

 カイル・マクラクランは「Dune 砂の惑星」(1984年)で印象に残り、当時ひそかに脳内メモしておいた役者だった。

 その後、彼のややこしいキャラをそっくりそのまま映画にしたような作品である「ブルー・ベルベット」(1986年)、バツグンの出来だった「ヒドゥン」(1987年)と続き、世間的には「ツインピークス」(1990年)で人気が一気に炸裂することになる。

 ところがこの人の最高なところは、売れたからといってヒュー・グラントが出るような一般ウケするラブコメあたりに出たりしないところだ(いやヒュー・グラントもすばらしいよ。「すばらしさ」の切り口がちがうだけで)。

 や、実際、「ツインピークス」で当てたあとのカイル・マクラクランの作品が、リブ・タイラーあたりと組ませてこんなふうになっていたってちっともおかしくはない。

 マクラクラン&タイラーが恋人たちに贈るハートウォーミング・コメディ「恋のチャンスは電話から――いつもあなたにダイヤルイン」

 ところがカイルは決してそうならない。するとそこから導かれる法則は……。

■カイル・マクラクランの定理

「カイル・マクラクランはヘンな作品にしか出ない」

 彼はヘンな作品、もとい、おかしな作品、ううん、「個性的」な作品にしか出ない。いや単に話がこないだけかもしれないが、私の勝手な想像では彼はポリシーをもってるんだと思う(んー、ハリウッドはそんな甘い世界じゃないかなあ)。

 映画俳優がダメになるパターンってのは厳然と存在する。なんかの作品でイッパツ当てると、本人のキャラとは無関係に2匹目、3匹目のどじょう狙いな企画が殺到する。その典型が大向こうウケする売れ筋狙いのラブコメだ。

 で、やってくる企画を次々に受けてるうちに、もともとの持ち味がなんだったのかワケわかんなくなっちゃう。自分自身も、観客も。かくて業界はその俳優を使って一定の利益をあげて、えっへっへ。一方、すっかり消費された俳優本人は、擦り切れてあえなく消えていく。

 業界から見たら、彼が消えようがどうしようが利益さえあがりゃ、んなこたカンケーない。代わりはいくらでもいるんだから。

 カイル・マクラクランはこのパターンに、はっきり「No」と言ってるのである(勝手な想像)。

「おれはシナリオを読んで、自分がおもしろいと思った作品にしか出ないぜ。金? そりゃいったいどこの世界の話だい?」(私の「脳内マクラクラン」)

 いいねえ、あんた。いいよぉ。かっこよすぎだよ。

 私はそんな彼を、地獄の底まで支持するつもりだ。このブログの1回目で書いたジョン・ウェットンがあんなふうにフヌけていったのに対し、彼は好対照であるといえる。

 とにかく私はマクラクランが出た作品はもれなく観るし、おヒネリも投げる。機会さえあれば、何かに書いて微力ながらパブリシティもしちゃう。みんなぁ、「ルート9」(1999年)を観てやってくれよ。たのむよ。絶対ソンしないからさ。

 ああ、また前フリがすっかり長くなっちゃった。

 で、そんな「かっこいいのに性格俳優」な系譜を継ぐのが、ジョニー・デップなんである。

 みなさん、彼のデビュー作ってなんだか知ってます? 「エルム街の悪夢」(1984年)ですよぉ。

 まあデビュー作というのは「とにかく何でもいいから出たい」ってのがあるだろうから、参考にはならない。が、彼のその後の出演作を見ていると、やっぱり本人の意図が感じられる。象徴的なのは初ブレイクした「シザーハンズ」(1990年)だろう。

 彼は超メジャーになったため、いまやファン層がはっきり2分している。パターンその1は、「きゃー、かっこいぃぃ。ステキ。ジョニー好きぃ♪」な方々(もちろん他意はない。楽しみ方は人それぞれだ)。

 かたやパターンその2は、「おれは屈折した役を演じるジョニーが好きなんだ」って偏屈な人たちである。

 たとえば私の場合、彼の出演作でいちばん好きなのをひとつあげると、圧倒的に「エド・ウッド」(1994年)だ。

 1950年代に“史上最低の監督”といわれたエドワード・D・ウッド・ジュニア。彼はいつも「ヘンな思いつき」にこだわり、熱をあげている。

 で、そんな自分の思いを人々に伝えようと、「自分がおもしろいと思うこと」をまんま映画にするんだが、さっぱりウケない。だってヘンなんだもん。

 それを理解できる人ってね、地球人口の20%しかいないんだよ。残りの80%はごくごく平凡で当たり前な人たちなの。で、この80%に支持されることを俗に「売れる」という。そして平凡な80%にウケるてっとり早い方法が、前述の通り「ラブコメ」である。

 ただし方法はある。エド・ウッド本人みたいに剛球一直線な方法じゃなく、ティム・バートンが「シザーハンズ」で使った手法だ。根っこになってるのは「ヘンな思いつき」ではありながら、人をひきつけるための切り口を工夫し、わかりやすい味つけをする。

 すると一部の人にしか支持されない剛球じゃなく、80%の人たちにもおもしろいと思わせる「大リーグボール」(古いよ)になる。

 ヘンなことを思いつくのは「才能」だ。だが加えてティム・バートンみたいに、それを売れる物にアレンジする手腕はプロの「技術」といえる。プロはどっちも兼ねそなえてなきゃだめなのだ。

 それはともかく。

 この「エド・ウッド」が熱いのは、製作者の思い入れが感じられるからである。監督のティム・バートンは、「こいつ(エド)はまったくおれ自身だよ」って思ってる。そう考えたのが製作の動機だ。

「あんたの気持ちはよくわかるよ、エド」

 そしてジョニー・デップもおそらく同じことを感じてる。

 スクリーンを通してそんなヤツらの熱さと思い入れ、エド・ウッドに対する愛が伝わってくる。映画でも文学でも音楽でもなんでもそうだけど、こういう「念」は作品を通して届くんだよね。それが人の心に刺さるんだ。

 たとえば人と同じようにピアノの鍵盤を叩いてるんだけど、グレン・グールドはあきらかにほかのピアニストとはちがう。

 使ってる楽器はもちろんただのピアノだし、音を出す道具が「指」なのもほかのピアニストと条件は同じ。でもグレン・グールドが鍵盤をなでる1打、1打には、平凡な表現だけど魂がのっかっちゃってる。だから彼のCDはいまこの瞬間にも、衛星に載って宇宙を飛んでいるのである。

 ん、また話がそれてるな。こんなふうに書いてるうちに第2、第3のポイントが湧き上がってきて、それをまんま書くから私の原稿はいつも長くなっちゃう。そこで頭のいいヤツは「2回に分ける」んだよ、2回に。そしたら原稿料が2倍もらえるじゃないか。

 なんの話だっけ? ああ、デップの出演作だ。

 ほかには「ニック・オブ・タイム」(1995年)にも参った。この作品はとにかくシナリオが抜群にいい。ただしデップはごくふつうの「おとうさん」を演じてて、別に彼じゃなくてもこの映画は成立するわけではあるが。

 てなわけでハジからあげたらキリがないけど、カンタンに私が観ておもしろかった彼の出演作を開陳しよう。

 かつてマフィアを摘発しまくった実在のFBI潜入捜査官、ジョー・ピストーネを題材にした実録物「フェイク」(1997年)。こいつもピカイチだった。このピストーネはいまもマフィアに50万ドルの懸賞金を掛けられたまんま、引退し隠れて生きてる。映画のモトになってる実話自体がとんでもないのだ。

 映画では分厚い「物語エネルギー」で人間ドラマに仕立てているが、この物語エネルギーはちょっと前に私がツボったソダーバーグ監督の「トラフィック」(2000年)にも共通している。第73回アカデミー賞で最優秀監督賞を取った作品だ。とにかくベニチオ・デル・トロが最高です。トロけます(おい)。

「ラスベガスをやっつけろ」(1998年)は、マイフェイバリット監督のベスト5に入るテリー・ギリアムだったんで期待したものの、見事にコケました。ええ。

 が、続く「GO! GO! L.A」(1998年)はすばらしい出来だった。監督は同様にマイフェイバリット監督ベスト5のカウリスマキだ。たのむからみんなコレを観てくれよ、って感じ。作品全体はもちろんだが、ヴィンセント・ギャロがめちゃんこいい味出してて、あの演技だけでも観る価値はある(とキッパリ断言)。

「ショコラ」(2000年)もハートウォーミングでまあ印象に残った。ただしこれは映画そのものより音楽がよかった。あの映画でデップがジプシー音楽を演奏するのを観て、「これいいなあ」と角度のちがうハマり方をしちゃった。

 で、第2のジャンゴ・ラインハルトとか言われてるらしいチャボロ・シュミットのCD「ミリ・ファミリア」を買ってきて、一時は毎日ずっと流してました(このCD、マジおすすめです)。

 ちょっと変わったところでは、ギリアム好きじゃなきゃおもしろくもなんともないであろう「ロスト・イン・ラ・マンチャ」(2001年)も感慨深かった。

 これはギリアムが作るつもりだった映画が流れ、ボツになるのを刻々と記録したドキュメンタリーだ。大雨でセットが流されるシーンを見て、「ギリアムの夢が流れていくなあ」と無性に悲しかった。ああ、いとしの我がギリアムは立ち直れるんだろうか……。非常に心配だ。

 最後に「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」(2003年)も理屈抜きに楽しめるエンターテインメントである。この映画でもデップはふたクセある海賊を演じ、実にいい味を出している。

 さて駆け足でデップの作品群にふれたが、このうちデップじゃなきゃ成立しない映画は実はそれほど多くない。それだけ彼がメジャーになり、ふつうの役どころも演じてるってことだ。

 じゃあ、マクラクラン、デップと続く「かっこいいけど性格俳優」の系譜を継ぐ者はだれか? もちろんジュード・ロウに決まってるじゃないか。

 彼は「真夜中のサバナ」(1997年)みたいなクソにも出てたりして、デップほど「ハズさない度」は高くない。けど、この人、役にハマると観てる人間がフリーズしちゃうほど鬼気せまるモンがある。

 出演作で3本だけおすすめをあげると、「ロード・トゥ・パーディション」(2002年)、「イグジステンズ」(1999年)、「スターリングラード」(2000年)だ。

 クローネンバーグ監督の「イグジステンズ」は、彼お得意のヘンてこりんな小道具を主役にした作品である。

 人間の脊髄にイグジステンズって呼ばれるゲームを接続し、バーチャルリアリティな悦楽的遊戯に興じる世界に引きずり込まれる主人公を描く。シナリオがよく、一気に物語世界にひっぱりこまれてラストまで突っ走っちゃう。

 お次の「スターリングラード」は、「薔薇の名前」「セブン・イヤーズ・イン・チベット」のジャン=ジャック・アノー監督作だ(どっちもサイコーの映画だったでしょ? この監督さん、優秀だよ)。

 主人公は、第二次大戦中に実在した伝説の狙撃手(スナイパー)である。ヨーロッパ最大の激戦地だったスターリングラードを舞台に、極限状況に置かれた人間はいったい何を考え、どうなってしまうのかをテーマにした戦争ドラマだ。

 さてトリは真打、「ロード・トゥ・パーディション」である。この作品、ジュード・ロウはホンの脇役でちょいと出る程度なんだが、これがいいんだなあ。あのジュード・ロウのガイキチぶりには、まったくシビレさせられた。

 彼は暗殺者を演じてるんだけど、これがタダの悪役じゃない。でっかいカメラを持ち歩き、人を殺すたんびに射殺現場を写真に撮るのを無上の楽しみにしてる。ま、異常者ですな。で、この破綻した人格を表現するロウの演技がとびきりいい。死に方まで最高だった。

 これまであげた3作の中では、彼の真骨頂がいちばん出てるのがこの作品だと思う。ジュード・ロウでなきゃ絶対、こんなふうにはならないもの。

 私の個人的希望では、彼は「コールド マウンテン」(2003年)みたいな映画に出るのはもうやめて(笑)、こういう役ばっかりやってほしいな。カイル・マクラクラン風にね(傍観者だから勝手なことばっかり言う)。

 さて。はたしてジュード・ロウは今後、マクラクラン系の割り切り方をするのか? それともジョニー・デップみたいにいろんな作品群に出ながらも、それぞれに自分の味を出していくのか?(でもこれってかなりむずかしい芸当だ)

 あるいは人気が出ちゃってもうどうでもいいような売れセン作品に出まくったあげくに、堕ちていくのか? 映画ファンとしては大いに気になるところだ。

 ジュード・ロウよ、ハリウッドの罠にかかって自分を見失うんじゃないぞ。しっかりやれ(命令)。

-----------【本文中に使った作品のデータ集】--------------

※「★」は、私の独断と偏見によるおすすめ度。
取り上げるに値する作品しか出してないから当然平均点は高い。
5段階評価でござんす。

●「Dune 砂の惑星」(1984年) ★★★★ 

監督:デヴィッド・リンチ
出演:ホセ・ファーラー、マックス・フォン・シドー

●「ブルー・ベルベット」(1986年) ★★★

監督:デヴィッド・リンチ
出演:イザベラ・ロッセリーニ、デニス・ホッパー

●「ヒドゥン」(1987年) ★★★★

監督:ジャック・ショルダー
出演:マイケル・ヌーリー、エド・オロス

●「ツインピークス」(1990年) ★★★

監督:デヴィッド・リンチ
出演:マイケル・オントキーン、シェリル・リー、ジョアン・チェン

●「ルート9」(1999年) ★★★★

監督:デヴィッド・マッケイ
出演:ピーター・コヨーテ、エイミー・ロケイン

●「シザーハンズ」(1990年) ★★★★

監督:ティム・バートン
出演:ウィノナ・ライダー、キャシー・ベイカー

●「エド・ウッド」(1994年) ★★★★★

監督:ティム・バートン
出演:マーティン・ランドー、サラ・ジェシカ・パーカー

●「ニック・オブ・タイム」(1995年) ★★★★

監督:ジョン・バダム
出演:クリストファー・ウォーケン、マーシャ・メイソン

●「フェイク」(1997年) ★★★★★

監督:マイク・ニューウェル
出演:アル・パチーノ、マイケル・マドセン

●「ラスベガスをやっつけろ」(1998年) ★★

監督:テリー・ギリアム
出演:ベニチオ・デル・トロ、キャメロン・ディアス

●「GO! GO! L.A」(1998年) ★★★★★

監督:ミカ・カウリスマキ
出演:デヴィッド・テナント、ヴィネッサ・ショウ

●「ショコラ」(2000年) ★★★

監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ジュリエット・ビノシュ、ヴィクトワール・ティヴィソル

●「ロスト・イン・ラ・マンチャ」(2001年) ★★★

監督:キース・フルトン
出演:テリー・ギリアム、ジャン・ロシュフォール

●「パイレーツ・オブ・カリビアン」(2003年) ★★★★

監督:ゴア・ヴァービンスキー
出演:オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイ

●「イグジステンズ」(1999年) ★★★★

監督:デヴィッド・クローネンバーグ
出演:ジェニファー・ジェイソン・リー、

●「スターリングラード」(2000年) ★★★★

監督:ジャン=ジャック・アノー
出演:エド・ハリス、ジョセフ・ファインズ

●「ロード・トゥ・パーディション」(2002年) ★★★★

監督:サム・メンデス
出演:ポール・ニューマン、タイラー・ホークリン
コメント (10)
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