Madame Miekoの、優遊自適

アンティークショップを、卒業し,次は何にチャレンジ❓の答えを、、、

”東海道五十七次”

2019-01-09 22:42:15 | Weblog

年末に実家に帰る時は,必ず参拝する地元の佐太神社

子供時代は遊び場にもなっていた、、、

”ここは学問の神様、菅原道真公が、立ち寄られた、由緒ある神社”と

父がよく話していた

なんと、今まで見たことのない”東海道五十七次”の地図 ???

エッ?東海道五十三次ではないの?

 

あった、五十七次 守口宿!

実家の近くの神社が、、、

地元の歴史を勉強するしかない、、、

57 守口宿(東海道57次)
 守口宿は江戸から57番目の宿場で、秀吉が造った文禄堤の上に造られた。南北約十町(1km)、東西は約1町(109m)の細長い宿である。大坂から2里の近距離にあったため旅人の宿泊は少なく、さらに時代が下がるとともに淀川舟運が発展し、交通量は少なくなってしまった。しかし、米・菜種・綿花などの農産物の集散地として重要な機能をはた商業活動は活発だった。宿場通りには今でも伝統的は商家なども所々に残されていて、当時の面影をしのぶことができる。また豊臣秀吉が文禄6年(1569)に淀川左岸を修築して作ったいわゆる文禄堤の京街道は、その多くは消滅してしまったが、八島交差点から義天寺まで1kmほどに往時の面影が残っている。
本陣1、脇本陣0  旅籠27  

 

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