Madame Miekoの、優遊自適

アンティークショップを、卒業し,次は何にチャレンジ❓の答えを、、、

74年前、8月6日

2019-08-06 22:51:27 | その他
74年前の8月5日 いろんな事情が重なり、海軍施設本部宿舎に上司と泊まることになった父
翌朝、(8月6日)上司と2人で、広島まで給料を受け取りに行く予定を
突然、上司が「給料受け取るだけなら、1人でもいいのでは⁉️」と、
急遽、宇部に戻ることになった父
一人呉駅へと向かい広島駅から急行に乗り換え宇部へと、、
この上司の一言が運命の分かれ道

「広島に(ピカドン)が落とされた、街も人も、みんな丸焼けになった」と
宇部に着いて聞かされた、と、
その時間、8時15分ごろは岩国を通過した辺り と、手記に書かれている

私達が大人になるまで、いっさい戦争のことを口にすることがなかった父
平成13年のある日、父から
分厚い自筆の手記が私の手元に届いた

あまりにも、言葉で言い表せない悲惨な地獄を見た者が、
何とか歴史の1ページとして、残したいと思ってのこと❓

広島、長崎、の原爆、3、11の福島の原発

もうこれ以上の被害を広げないで‼️核廃絶を‼️と、訴え続け、
地球上から核を無くすことが、生かされて、残された人の使命
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