のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング ボランティア 時々花と金魚

両国は どすこいの街 お祭りだ~

2018年04月30日 07時17分24秒 | うたごえ

両国界隈 5月から始まる大相撲 昨年開館した北斎美術館 安田庭園の一画に刀剣美術館も開館した

江戸時代から賑わう街だ 回向院では大相撲も興行された歴史もある

江戸東京博物館も含めて 一帯は2日間 お祭り 歴史と文化と子どもたちの未来への躍動だった

 

国技館前はちゃんこミュージアム ちゃんこは両国の名物グルメでもある

国技館ホール ここでは土産品 様々なグッズが売られている 敷地内の相撲博物館は無料

子どもの遊び場 これはベーゴマ 男性の足の前に立つ小さな円形の上で回すベテランも居る

江戸東京博物館 ここも都庁も 建設に拘わった想い出がある

餅つき大会で付きたての餅が振る舞われる 

若い子たちが躍る 花は咲く この曲がよさこい調に編曲されていた

プロダンサーのようなチームワークとフットワーク

年少だが動きは抜群 笑顔が可愛い

男の子も負けない 格好良い動き

大旗を見事に振り回す 曲に合わせての動きも素晴らしい

駅構内 実物大の土俵の周囲にある飲食店 甘味どころ 混雑で諦めた

何だか古い占いも披露していた

天麩羅専門店 

駅前から回向院まで 歩行者天国 相撲部屋のちゃんこテントも出る

これはだぁ~れ?

友綱部屋 寺尾の部屋などが並ぶ

相撲のお囃子

回向院 鼠小僧の墓

昔は墓石を削り取りお守りとしていた 今は前立の石を削る お金に縁があるとか

和太鼓や相撲甚句

 

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貴乃花 再び燃やせ 男意地

2018年04月29日 09時35分29秒 | うたごえ

昔からの大相撲フアンでもある私は 最近の情勢には距離を置きつつある

組織に胡坐をかいた経営と 危機意識に欠けたトップや親方衆に魅力が無いのだ

圧倒的なモンゴル勢にモノも言えない これも日本人がハングリー精神も無くだらしないからである

 

暴力の隠ぺい体質 あの土俵上の緊急事態に 女性は上がるなと言うあきれ果てた暴言

もう 相撲は国技 神様への奉納など 起源は別にして 単なるスポーツでも良さそうだ

どこの会社でも 政治の世界でも 組織は強いものだ ひとり正義を訴えても大概は潰される

 

貴乃花 あの偉大な横綱 親方としての指導 相撲界への提言など 支持する方はファンにも強い

だが今は 犯罪でも犯したように小さく見える 勝てば官軍 負けた敗軍の将に見えてならない

大きな組織に戦いを挑む戦略 戦術に欠けていたのではなかろうか

 

当初は彼を支持するファン マスコミにも伝わっていた しかし 個人での戦いは限度がある

あの提訴中だからの だんまり戦術に至っては 私も理解不能だった 不快にさえ感じた

むしろ争点を堂々と開示して マスコミを 社会の人々の後ろ盾にせねばならなかっただろう

 

貴乃花部屋は閑静な住宅地にある 近くには私のウォーキングする仙台堀公園もある

今はひっそり マスコミも訪れない 5月場所も間近い ガンバレ~

 

大横綱の名誉が今のままで終わってはならない

いつか多くの賛同を地道に取り続け味方を増やし 捲土重来を期して欲しいものだ

昨日は 相撲の街 両国が国技館周辺でにぎわい祭りを催していた

 

国技館内部は正面ホールだけ入れる 目の前には3横綱 中心は白鳳

両国駅構内に改装されて 実物大の土俵 周りには飲食店 土産売り場など

両国駅から回向院までの道路は交通止め 地域や各部屋のちゃんこなどが売られる ここは寺尾

添乗員現役では相撲の朝稽古 そして この店でちゃんこを食べるツアーに案内した

回向院境内では 相撲甚句 和太鼓などが披露されていた

 

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笑い合う 仲間が居る場所 心地良さ

2018年04月28日 06時58分42秒 | うたごえ

テレビではゴールデンウイークが始まり レジャー情報などが流れている

サラリーマンなど会社勤めの方たちは 大型連休を楽しむだろう

私たち高齢者は何時でも果てしない連休である 暇はあるがお金と健康さえあれば自由に出かけられる

 

それでも人は誰でも寂しがり屋だ 家に居たら話す相手も居ない 古女房でも居る方は幸せだ(笑)

そんな寂しさも こうしてブログを綴ったり 皆さんとコメントの交流をしたり 地域の花や情報も入って来る

孤独が好きだと言う人が居る それは強がり 私は 誰かと話したり 笑ったり歌い合うことが好きだ

 

 

ボランティアも然りだが 下町のうたごえ通じて 集まって貰える方たちと 一緒の時間を楽しむ

歌と言う媒体もあるが 皆さんが歌い 私はピアノを弾く トークでも笑い合う 笑顔がいっぱい

ほんの少しでも会話が出来る なんと素敵な時間だろうと思う

 

人生と言う長い時間の線上に 当日だけでも 2時間 あるいはそのあとの時間も含めて3時間

この時間は 皆さんと同じ場所 共通の居心地の良い場所に居た 共有できたものである

時間の共有 それが楽しいものであれば そこがまさしく ここに幸あり である

 

 

きのう歌った歌  34曲

切手のないおくりもの 北の旅人 あなたのすべてを 千の風になって 森の水車

津軽のふるさと 追憶 知床旅情 琵琶湖周航歌 美しい十代 学生時代

学生街の喫茶店 泉のほとり 小さな木の実 夜明けの歌 お山の杉の子

 

岬めぐり 悲しき口笛 君恋し 鯉のぼり 故郷を離るる歌 湖畔の宿 ゴンドラの唄

白い花の咲くころ 人生の並木道 菩提樹 みどりのそよかぜ 山のけむり

我は海の子 おもちゃのチャチャチャ 希望 上海帰りのリル せいくらべ 蘇州夜曲

 

 

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江戸を戦火から救った勝海舟

2018年04月27日 08時15分55秒 | うたごえ

桜の頃やウォーキングで隅田公園やスカイツリーにまで足を延ばす

そこに凛々しく江戸城の方向を向いて指差す 勝海舟 の姿がある

あの戊辰戦争では 幕府軍の軍事総裁となったが 江戸城無血開城を実現させ江戸を戦火から救った

 

 

圧倒的な軍事力を誇る官軍の 江戸総攻撃に対して ナポレオンのモスクワ占領にを模した作戦もあった

江戸150万人をあらゆる船に乗せて 今の千葉県に疎開させ 江戸の街は焼き尽くす

その為の手筈は進められ 火消しの衆は放火をして回るなど 準備も整えられていたようである

 

その上で 官軍の総大将 西郷隆盛と薩摩藩邸で会談して 降伏の条件も認めさせて合意に至った

二人で江戸の街を一望できる愛宕山に登り この街を最後の戦いで消滅させるか迫った

徳川慶喜の身分保障その他の条件も飲んで 江戸城無血開城は実現出来たのである

 

江戸の街は整然と美しかった 外国人が幕末の江戸を撮っていた

この写真はNHKから借用 今週末から3回にわたって江戸の特集が放送される

 

当時のリーダーは 勝海舟にしても 西郷隆盛にしても 決して戦争を好むものでは無かった

目的を持って 責任も明らかにして戦いに臨んだ 仕方がないからとか忖度してのものでは無い

こんな風に 昨日の「FM銀河・てんがらもんラジオ」 ゲストの田中一成さんが熱く語っていた

 

 

冒頭の勝海舟像は 生まれたのが現在の墨田区・亀沢町 少年時代は墨田区・緑町に住む

蘭学を志し 赤坂の福岡藩屋敷に住む この頃には 剣道・直心影流も免許皆伝も得ていた

修行中に辞書「ドゥーフ・ハルマ」を1年かけて2部筆写した 一部は自分の為 一部は売って生活費にする

 

幕末頃はペリーの来航もあるが ロシア イギリス フランスなどが鎖国をしている日本に開国を迫る

幕府の阿部正弘は 諸大名から一般の町人に至るまで広く 海防意見書を募集した

これに海舟も応募 阿部の眼に止まり 念願の役人となって行き 人生が決まった

 

オランダ語にも精通しているため 長崎海軍伝習所入り 教官になったりオランダ人との通訳も兼ねた

この時期に 薩摩藩主・島津斉彬とも知遇となる そして2度 薩摩を訪れて斉彬とも会った

不平等条約とも言われるアメリカとの批准書交換ではアメリカ軍艦の護衛と称して咸臨丸で渡米する

 

幕府崩壊のあとは 勝海舟は 徳川宗家の存続を認めさせ 徳川は400万石から駿府70万石になる

明治政府の旧幕臣の代表格で高官ともなって行く 

徳川慶喜は水戸藩で謹慎していたが舟で駿府へ送られここで謹慎した

 

自身は政府の役人となるが 徳川家の面倒も見る 日光東照宮を保存したり旧幕臣に資金援助もした 

駿府へ要人を送り 茶畑開墾も奨励したこれが現在の静岡茶の始まりである 

新潟上越市・岩原へは大金を融通して貰った川上善兵衛にワインの製造とぶどう栽培を奨励する

西郷隆盛の名誉回復で上野に銅像を作ったり 徳川慶喜の叙勲で明治天皇と皇居で対面もさせた

 

 

明治32年に亡くなるが現在の脳溢血の様である 風呂上りにトイレに行った後倒れた

侍女に生姜湯を持ってくるように頼んだが間に合わず ブランディを飲んですぐに意識不明になった

最後の言葉は 『コレデオシマイ』だった

 

なお タマタマ事件は 9歳の時 犬に睾丸を噛まれて生死をさまよった

そのとき父は水垢離をして 息子の命を助けてくれるよう懸命に祈った

以後 勝海舟はトラウマのようになり 犬の姿を見るとおびえていたようだ

 

 

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良い笑顔 ディの方々 我学ぶ

2018年04月26日 08時54分54秒 | うたごえ

ディサービスを利用する方々 ボランティアで行けば 皆さん元気に楽しまれている

全員ではないが 殆どの方が私たちの踊りや歌をそれなりに楽しむ

どこか身体に不自由な方が利用しているのに 素直にその状態を受け容れていることが良いなと思う

 

私などは 少しでも身体が変調したりすると どこかマイナス思考になりがちである

私が多分 利用者になった時 ポジティブに生きられるかは不安なものがある

幾つかの施設に行くが 男性の方が楽しさを表さない 溶け込むことに欠けているように見える

 

身体の不自由さに苛立つのか 言葉も態度も荒い男性もたまには見かける

スタッフの方たちは そんな方に対しても 優しく対応する 忍耐力 体力も必要な仕事だなと思う

そこへいくと女性は 協調性があり 誰とでもしゃべったり こうした訪問も素直に楽しんでくれる

 

盆踊り 『好きになった人』 私のバンドでは ラストテーマソング

踊り 『三味線ブギ』

若月仙之郷師匠の踊り 『男船』

東京音頭 炭坑節など 利用者さんたちは椅子に座って手で踊る方 手拍子で合わせる

 

私の時間は 『みんなで歌いましょう』 キーボードを持ち込み プロジェクターに映し出した歌詞を見て歌う

「喜びも悲しみも幾年月」 佐田啓二 高峰秀子さんと言う美男美女が出演していましたね

あの 佐田啓二さん 私の若いころに良く似ていました と言えば 皆さん大笑い 誰も信用しないの?(爆)

 

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