松川町を流れる天竜川にある頭首工です。
すぐ下流が豊丘村との町村界になり、
ここから取り入れた農業用水は、
豊丘村の水田に供給されます。
井水の名前は竜東井と言います。
この写真を撮った場所は、松川町台城で、
古くは大島城の本丸です。
今は城跡として公園になっており、藤が咲いていました。
織田信長が武田勝頼を攻めて信州に入ったときに、
攻め滅ぼされて落城した大島城になります。
昭和五十七年五月の建立された
「大島城落城四百年慰霊」の碑があります。
松川町を流れる天竜川にある頭首工です。
すぐ下流が豊丘村との町村界になり、
ここから取り入れた農業用水は、
豊丘村の水田に供給されます。
井水の名前は竜東井と言います。
この写真を撮った場所は、松川町台城で、
古くは大島城の本丸です。
今は城跡として公園になっており、藤が咲いていました。
織田信長が武田勝頼を攻めて信州に入ったときに、
攻め滅ぼされて落城した大島城になります。
昭和五十七年五月の建立された
「大島城落城四百年慰霊」の碑があります。
瀬戸内国際芸術祭ですが、
以前に展示された作品で、ほかのところにも似た作品がありました。
壁に描かれた少年です。
この作品の横に看板がありました。
江戸時代後期に島の実力者橋本屋善兵衛の屋敷跡に残る
この島では唯一の石積み水路です。
うまく写真が取れませんでしたが、きれいに残る石積み水路です。
そして水路正面にあった土蔵と思われる建物の鬼瓦です。
梅の家紋いりでした。
善光寺界隈の用水路の3回目です。
北八幡川からさらに善光寺方面に歩きます。
善光寺の正面に向かう中央通りの交差点のところに水路があります。
用水路は鐘鋳堰と呼ばれています。
大門町交差点を東側から見ているところですが、
手前に大きな四角いグレーチングがありますが、この下が用水路です。
さらに東に戻ると道路中央を流れています。
ここから右側に方向を変えて北に向かって流れます。
分水ヶ所があって少しだけ顔を出しています。
流れは再び道路下になります。
この用水は、
旧豊野町境の新幹線車両基地がある長野市長沼まで行きます。
長野市街地は長野駅から善光寺まで徐々にのぼり坂になっています。
ゆえに3本の大きな用水路は、等高線状に流れているので交差するのです。
昔の人々の大きな力によりできた水路です。
前回に続いての用水路です。
南八幡川を過ぎて善光寺方面に歩くと
広い道路を横断します。国道19号です。
長野県庁前から長野市役所前を通る道路です。
これを過ぎると再び用水路に当たります。
これが北八幡川ですが、ほとんど道路下にあるのでわかりませんが、
近くに行くと車や町の騒音に混じって水が流れる音が聞こえます。
ここは小学校横を流れています。
振り返ると道路下になっています。
歩いている人の右側が水路のコンクリート暗渠です。
水路を見るには、この上流になりますが、
長野県庁横から信濃毎日新聞社裏側あたりがいいです。
長野市へ行く機会があると善光寺界隈を歩いてきます。
善光寺界隈は、歴史が深くまた残っています。
その中で徐々に新しいものに変わりながら残っているのがいいです。
今回は長野駅から善光寺方面に歩きましたが、
大きな用水路が3本東に向かって流れています。
今は、かんがいしない時期なので用水は流れていません。
用水は、長野商業高校の西側の裾花川から取水しています。
ここは南八幡川と言われている用水路です。
市内の環境や景観に配慮して造られています。
長野市のような大きな都市の市街地で蛍が舞うところは少ないようです。