山梨放送のベリカードが届きました。
送信所のデザインからイラストになりました。
5枚ベリカードをいただきましたが、
5枚ともデザインが異なるカードです。
今回は、
4時前に試験電波を発射していたのを受信しました。
受信日 2019年8月12日
周波数 765kHz
山梨放送のベリカードが届きました。
送信所のデザインからイラストになりました。
5枚ベリカードをいただきましたが、
5枚ともデザインが異なるカードです。
今回は、
4時前に試験電波を発射していたのを受信しました。
受信日 2019年8月12日
周波数 765kHz
ラグビーの日本での始まりと飯田の関係です。
深い関係があるわけではありませんが。
日本に公式にラグビーが紹介されたのが、
1899年に横浜のエドワード・B・クラーク教授と田中銀之助が
慶應義塾大学の学生に紹介した時とされています。
この田中銀之助は、「天下の糸平」の曾孫になります。
そしてその曾孫の田中真一は2011と2012に慶應大学のラグビー部の
監督をした人で、トップリーグのキャノンでプレーをしていたようです。
田中銀之助は、1873年生まれで、初代田中平八は飯田の出で、
二代目田中平八の長女の婿養子となった三代目田中平八(北村菊次郎)の長男として
生まれ、1893年にケンブリッジ大学トリ二ティ・オール・カレッジの入学して、学位を取得して
帰国。田中銀行の取締役になる。そして1899年に恩師のクラーク教授とともにラグビーを
伝えている。そして、会長就任を固辞したために、初代の日本ラグビーフットボール協会の
名誉会長になった人です。
余談ですが、
三男の釜吉は高田慎蔵の娘と結婚して高田釜吉となり、
その曾孫がタレントの高田万由子だそうです。
あまり飯田とは関係ないですかね。
「天下の糸平」こと初代の田中平八は、
伊那郡赤須村(今の駒ヶ根市)に資産家の三男として生まれますが、
父の相場の失敗で、1846年(弘化3年)に飯田の魚屋に丁稚奉公に出されます。
その後魚屋として独立し、染物屋の娘田中はると結婚して
婿養子となり「田中平八」になります。
本人も相場に手をだし大損して、剣の道に入りますが水戸天狗党の乱で小伝馬町に
投獄されて、再び商売をすることを決意します。
そして横浜で1865年に「糸屋平八商店」を開業し、
巨利を得て「糸屋の平八」「天下の糸平」と呼ばれるようになった人です。
まあ、3代前後すれば、皆何かと関係するとは思いますが。
ラグビーワールドカップのウェールズ対ジョージア戦です。
これは入場券
これは会場でもらった団扇
テレビでは「トライ」の時に皆さんが振っています。
入場の時にいただいた資料の袋
豊田スタジアムの観戦ガイド
ラグビーのワールドカップ2019日本大会を観戦しました。
9月23日(月)に豊田スタジアムで行われた
ウェールズ対ジョージアの試合です。
結果は世界ランキング1位だったウェールズが
43対14で勝ちましたが、
点差に比べて観て面白い試合でした。
上がウェールズ、下がジョージアのアップ中の写真
試合の写真はありませんが、
ウェールズのWTBやFBの走るトライが見れたのはよかった。
ジョージアも前半のノックオン、ダイレクトタッチなどのミスが
少なければもっと面白い試合になっていたと思います。
テレビとは違う会場の盛り上がった雰囲気が楽しめました、
青森放送のベリカードが届きました。
今回は中継局の写真ではなく
放送局のイラストです。
なかなかいいカードだと思います。
受信記録も記載していただきました。
受信日 2019年7月29日
周波数 1233kHz