野良耆の見聞記

いなか暮らしの野良着生活

古びていくものには味わいがある。そこに小さな歴史があるから・・・・・

入会山和解の碑

2020-12-01 | いろいろな石仏

「入会山和解の碑」です。

下條村親田から阿智村寺尾に至る道路の

親田の戸屋根というところに建てられています。

大正六年十月に建てられました。

碑文は下伊那郡長の石川斧太郎によるものです。

下條村の資料によると、

極楽山付近一帯は、昔は親田(下條村)、栗矢(阿智村)、

三穂、川路(ともに飯田市)の人々の入会山でした。

伝承によると、江戸時代の中頃貞享年間に、入会権をめぐって

親田と三穂・川路の人々で争いになった。解決できないので、

親田の熊谷作兵衛が江戸に直訴したことで、幕府の役人が裁くことになり、

一度は和解したが明治になってもやまず、裁判により石川斧太郎の調停で、

200年以上続いた争いが解決したので建立された。

今は、「入会(いりあい)」という言葉は使われないが、

山林や原野をいくつかの集落で共同として使い、伐採、採草、キノコ狩りなどに

利用していたことをいいます。薪としての伐採、農地への肥料としての採草、

売るためのキノコ狩りなど、昔の人々の生活と密着していたので、「入会」をめぐって

各所で争いが生じていたと伝えられています。

 

 

 


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