ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

藤沢周平『三屋清左衛門残日録』1992・文春文庫-老いることと生きること

2024年05月08日 | 小説を読む

 2019年5月のブログです

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 藤沢周平さんの『三屋清左衛門残日録』(1992・文春文庫)を再読しました。

 久しぶりでしたが、堪能しました。

 やはりいい小説です。

 この小説も、テレビドラマを観たのがきっかけで読みました。

 嫁役の南果歩さんがとても可愛かったのを覚えています。

 その後、原作を読んだのですが、すばらしい小説で、それがきっかけでじーじは藤沢周平さんの小説をたくさん読むことになりました。

 さて、本書、おとなの小説です。

 おとなというより年寄りの小説かもしれません。

 しかし、物語は結構、現代的で、描かれる主題は、例えば、組織で、あるいは、社会で、生きていく、とはどういうことか、と問いかけてきます。

 そして、そこに、男女のことがらが絡み、人として生きることとは、ということも出てきます。

 出てきますが、当然、正解はなく、様々な生き様が描かれます。

 若い人には少し時間が必要な物語かもしれませんが、青年期後半くらいからなら理解できるのではないでしょうか。そんな小説です。

 周りに流されずに、真摯に生きていきたい、という人にはぴったりの小説ではないかと思います。      (2019.5 記)

 

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山中康裕『親子関係と子どものつまずき-子どもと教育を考える22』1985・岩波書店

2024年05月08日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2019年5月のブログです

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 山中康裕さんの『親子関係と子どものつまずき-子どもと教育を考える22』(1985・岩波書店)を再読しました。

 この本もかなり久しぶりで、本棚の隅のほうに隠れていた(?)のを見つけ出して、読んでみました。

 全然古くありません。

 まだ大家になる前の山中さんの若々しい姿が、そこにあって、新鮮な感じで読めてよかったです。

 自閉症の子どもさんなどのケースをていねいに提示して、ケースの理解と治療の様子をかなり詳しく述べておられるので、とても参考になります。

 山中さんは理屈抜きに、自分に正直に子どもさんやお母さんと向き合っており、やはりその情熱と熱意がすごいなと思います。

 例によって、今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、子どもの出生について。

 世間では、子どもをつくる、つくらない、産む、産まない、などといいます。

 しかし、山中さんは、子どもは授かるものであって、コントロールできるようなものではなく、さらに、いろんな赤ちゃんがいて当然、というスタンスを強調されています。

 確かに、子どもをつくる、つくらない、産む、産まない、という視点からは、親の都合に合わない子どもは排除するという姿勢が見えて、少し怖い感じがするのは、じーじだけでしょうか。

 このコントロール万能主義が子どもの精神的な病いに繋がる可能性を山中さんは危惧されます。

 二つめは、自閉症の場合、いろいろな要因がありますが、治療的には子どもの心理的な育て直しの視点が大切ということ。

 親の側のいろいろな要因で、子どもを十分にケアできなかったところや子どもの生来の障碍の部分をケアしていくという視点から、さまざまな働きかけがなされるようです。

 ここには、親の責任を問うような視点は全くなく、親への援助を通して、子どもの心理的援助を促していくという子どもの臨床家の姿勢が強調されます。

 いないいないばあの大切さや兄弟喧嘩の大切さなど、よく知られているサインのプラスの評価が含まれます。

 三つめは、特にじーじが反省させられたのですが、親や子どもの攻撃的な感情の受けとめの大切さ。 

 攻撃的な感情を受けとめるのはなかなか難しく、つらいものがありますが、これをきちんとできないと、子どもも親も次の段階には進めないということ。

 じーじなどはつい攻撃的な感情からは逃げがちですが、きちんと見通しを持って、受けとめていくことの大切さを教えられたように思います。

 まだまだ力不足なことを痛感させられました。

 さらに勉強をしていこうと思います。     (2019.5 記)

 

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滝川一廣『新しい思春期像と精神療法』2004・金剛出版-子どものことを考える精神科医に学ぶ

2024年05月07日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2019年6月のブログです

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 滝川一廣さんの『新しい思春期像と精神療法』(2004・金剛出版)を再読しました。

 5月の遊戯療法学会で滝川さんのお話をお聞きして、やはりすごい人だと思い、この本も再読しました。

 いい本です。

 臨床中心に、理屈ではなく、現実をわかりやすく説明してくださいます。

 特に、デビュー論文が摂食障害の論文だったということもあって、摂食障害とその治療についての記述がすごいですし、それでいてわかりやすく、身近な感じがする論考です。

 例によって、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、いじめについて。

 いじめは悪ふざけのレベルから恐喝や傷害のレベルまで幅広いのですが、滝川さんは、どのいじめも子ども集団の中での相互作用として生じている現象、と捉えます。

 それゆえに、加害者意識が生じにくいことを指摘されますが、いじめの構造について、まさに卓見だと思います。

 二つめは、摂食障害について。

 滝川さんは、摂食障害は食卓の病い、と見ます。

 そして、なぜか緊張感のある食卓にこの病いが発生しやすい、と述べます。

 さらに、思春期になって食卓から徐々に自立する際に、家族関係の影響で食卓からうまく離れることができない病い、と捉えます。

 これらも、なかなか新鮮で、刺激的な論考です。

 また、摂食障害の治療に関しては、真面目すぎる患者さんが多いので、治療者も困惑することの大切さ、を説きます。

 さらに、下坂幸三さんも同じように述べていますが、専門用語は意味を確かめ、ふだんの言葉に直すことの大切さを述べます。

 他にも、大切なお話がたくさん出てきます。

 もっともっと、学んでいきたいと思います。    (2019.6 記)

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 2021年1月の追記です

 統合失調症の患者さんに真面目なかたが多いのは周知のことですが、摂食障害の患者さんも真面目なかたが多いように思います。

 摂食障害という病いになって、はじめてわがままが出せるようになったのかもしれません。

 ほどよいわがままの出し方を一緒に探っていくことが大切になりそうです。    (2021. 1 記)

 

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読書三昧・村上春樹さん・藤沢周平さん-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年05月07日 | じいじ日記を書く

 2019年5月の日記です

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 金曜日のボランティアで疲れたせいか、週末は小説三昧。

 村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』(2004・講談社文庫)と藤沢周平さんの『三屋清左衛門残日録』(1992・文春文庫)を交互に読む。

 すごい組み合わせ、自分でも驚く(!)。

 しかし、これがとてもいい。

 カステラとおせんべいを交互に食べているような感じ(?)。

 洋風と和風のコラボレーションだ。

 どちらもなかなか深くて、しかし、少々のユーモアが効いているので、読み心地がいいし、後にひく。

 人生とは、出世とは、仕事とは、男女とは、などなど、久しぶりに考えながら、しかし、時おり、ニヤリとしながら読む。

 どちらもおとなの小説で、じーじにも読みごたえを感じさせてくれる。

 いい週末だ。

 そして、もうすぐビールの時間だ。     (2019.5 記)

 

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滝川一廣『「こころ」の本質とは何か-統合失調症・自閉症・不登校のふしぎ』2004・ちくま新書

2024年05月07日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2019年5月のブログです

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 先日の遊戯療法学会で滝川一廣さんのお話に感心をしたので、本棚の隅っこにあった滝川さんの『「こころ」の本質とは何か-統合失調症・自閉症・不登校のふしぎ』(2004・ちくま新書)を見つけ出して読む。  

 久しぶりだが、いい本だ。  

 統合失調症の発症の経過がとてもていねいに説明されて、中井久夫さんと同じくらいにわかりやすい。  

 幻聴の生じ方もよく理解できる。  

 自閉症に関しては、共同性という概念の導入で、こちらもとても理解しやすい。  

 自閉症が単なる発達の正規分布の一部であることも述べられて(いわゆる自閉症スペクトラムだ)、いたずらに原因追及をすることの弊害も説明される。  

 それよりも、関係性の発達の遅れととらえて、周囲がかかわることの大切さが説明される。  

 昔と違って、一次産業や二次産業の人口が減り、三次産業という対人職種の増加による人間関係のおおらかさや多様性の減少が指摘され、それによる社会のゆとりのなさや人のぎこちなさの目立ちの問題も指摘される。  

 重要な視点が提示され、われわれの視方も吟味される感じがする本だ。

 いい援助のための視点を提供してくれる、いい本だと思う。    (2019.5 記)

 

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遊戯療法・箱庭療法・プレイセラピー-2019年遊戯療法学会

2024年05月07日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2019年5月の日記です

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 昨日から遊戯療法学会で東京にいる。

 昨日はワークショップとシンポジウム。

 ワークショップは山中康裕さん。

 箱庭療法のカルフさんと思い出話。

 今も昔も「熱い」先生で尊敬をする。

 山中さんのお元気なお話を堪能してまことに幸せな時間を過ごす。

 シンポジウムは養護施設の子どもさんのケース。

 いつもお世話になっている新潟大の横山知行先生が指定討論者のお一人だったが、先生のすごいケースも提示されて、教わることが多かった。

 今日の午前中は研究発表。

 じーじは田中千穂子さんが助言者の分科会に参加したが、田中さんのあいかわらず切れのいい助言に酔う。

 とても幸せな時間だった。

 午後、もう少しだけ勉強をして帰りの新幹線に乗る予定。

 新幹線で吞むビールが今から楽しみだ。    (2019.5 記)

 

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心理臨床・イメージ・箱庭療法-じーじのカウンセリング日記

2024年05月06日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2019年5月の日記です

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 BSの放送大学の「心理臨床とイメージ」を見る。

 今日は箱庭療法の講義。

 講師は小野けい子先生。 

 放送大学大学院で勉強していた時にたいへんお世話になった先生だ。

 臨床心理学、心理療法、箱庭療法、絵画療法など、とても詳しく、ていねいに、わかりやすく教えていただいた。

 そして、今日のゲストがなんと山中康裕さん。

 遊戯療法学会の会長で、このブログにも何度も登場している先生。

 じーじの尊敬する心理療法家だ。

 山中さんはスイスの箱庭療法家のカルフさんから箱庭療法を習い、その後、河合隼雄さんなどと一緒に、箱庭療法を世界的なものに発展させた人でもある。

 このお二人が箱庭療法のお話をするということで、とても豪華な講義である。

 久しぶりに学生になったような気分で真面目に勉強をする。

 実は今月中旬に東京で遊戯療法学会があって、じーじは山中先生のワークショップを予約していて、そこでもカルフさんとの思い出話をお聞きできる予定で、今から楽しみにしている。

 今日はちょうどその予告編のような感じであった。

 カルフさんと箱庭療法、そして、山中さんと河合隼雄さん、どんな貴重なお話が聞けるか、ワクワクしている。

 じーじも勉強に頑張れそうな5月だ。    (2019.5 記)

 

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立原正秋『冬の旅』1973・新潮文庫-凛とした孤高の青年を描く

2024年05月06日 | 小説を読む

 2019年5月のブログです

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 立原正秋さんの『冬の旅』(1973・新潮文庫)を久しぶりに読みました。

 おそらく30代の終わりくらいに再読をして以来、約30年ぶりくらいの再読です。

 とてもいい小説で、記憶力の悪いじーじにしてはめずらしくあらすじを覚えていて、再読が久しぶりになってしまいました。

 本当にいい小説なので、あらすじだけでなく、文章もじっくりと味わうことができるのですが、すごいご無沙汰でもったいないことをしてしまいました。

 今回は、文章を丁寧に味わいながら、ゆっくり、ゆっくりと読みました。

 やはりすごい小説です。

 文章がたびたび胸に迫ってきて、こころを平静に保つのが難しくなることもありました。

 じーじが持っている文庫本は1973年に購入したもの。

 大学1年の時です。

 おそらく高校時代に「冬の旅」のテレビドラマを観て、印象に残っていて、原作を読んだのだと思いますが、当時、ものすごく感動をしたのを覚えています(原作は読売新聞夕刊に1968年から1969年まで連載されたようです)。

 そのころ、じーじは中学校の社会科の先生になりたかったのですが、この小説を読んで、中学校で不良生徒の相手をしたいな、と強く思ったものです。

 結局、いろいろあって、家裁調査官になり、非行少年の相手をすることになったのですが、なぜかわかりませんが、じーじは昔から非行少年に親和感があり、この小説を読んで、その感覚がいっそう強まったように思います。

 官僚や社会的に偉いとされる人より、貧乏や不幸な生い立ちの中で格闘している彼らに共感をしてしまいます。

 自分が貧乏で苦労をしたということがあるのかもしれませんし、自分の中の反体制派の感覚やアウトローの感覚が彼らに親しみを覚えるのかもしれません。

 しかし、ずるい人間を許せないという点では、この小説の主人公と一緒です。

 ずるくない非行少年には優しいですが、ずるい非行少年やずるいおとなは許せません。

 厳しくいえば、結局はおとなになりきれないということなのかもしれませんが…、でも、そういう人生でいいや、と思っています。

 一所懸命に生きつつも、うまくいかない人たち、非行少年もそうでしょうし、病気の人たちもそうでしょう。

 そういう人たちを理解できるおとなでいたいな、とつくづく思います。     (2019.5 記)

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 2023年12月の追記です

 立原さんの『随筆・秘すれば花』(1971・新潮社)を読んでいると、この小説の主人公が少年院で知り合って親友となった安という青年が出てきますが、この安が連載中の小説の中で交通事故で亡くなった時に、立原さんの行きつけの飲み屋から追い出されたといいいます。

 安のような善良な男を殺した小説家に酒はのませられない、と言われたらしいのですが、そんなフアンがいる小説が今までにあったでしょうか。

 立原さんは、連載が終わったので、一升壜をさげてあやまりに行くつもりだ、と書かれていますが、そういう立原さんも素敵です。  (2023.12 記)

 

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冬の旅・愛読書・物語のちから-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年05月05日 | じいじ日記を書く

 2019年5月の日記です

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 昨日から立原正秋さんの『冬の旅』(1973・新潮文庫)を再読している。

 じーじにとってはもっとも大切な小説。

 「もっとも」という言葉は簡単には使いたくないが、この小説はじーじにとっては本当に大切な小説。

 この小説を読んだことで、非行少年の相手をしてみたくなり、臨床の世界に入ったからだ。

 おそらく、自分の中の、非行少年、不良少年、の部分に向き合わされたのだろうと思う。

 あらすじはさすがに、じーじにはめずらしく(?)まだ覚えているので、再読を少し迷ったが、やはりいい小説を読んで、こころを豊かにしたいな、という思いが強くなった。

 いい小説の文章の力、物語の力は、やはりすごいと思う。

 そういう意味で、再読をしたい大切な小説はまだたくさんあって、たとえば、村上春樹さんの『海辺のカフカ』(2005・新潮文庫)なども、再読は少し早いかな、でもまた早く読みたいな、と迷っている小説だ。

 藤沢周平さんの『三屋清左衛門残実録』(1992・文春文庫)も同じ。

 もっとも、こちらは、久しぶりすぎて、本棚のどこかでかくれんぼをしていて(?)、探している最中。

 貧乏なわりには、ぜいたくなことだと思っている。

 こういう精神的なぜいたくをしながら、年を取っていく人生も悪くないのかなとも思う。

 少なくとも、孫娘たちには馬鹿にされないのではないかな。     (2019.5 記)
 

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加藤周一『夕陽妄語2 1992-2000』2016・ちくま文庫-ドイツと日本の戦争責任のあり方を考える

2024年05月04日 | 随筆を読む

 2022年5月のブログです

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 加藤周一さんの『夕陽妄語2 1992-2000』(2016・ちくま文庫)を再読する。

 加藤さんの『夕陽妄語』の感想文は、なぜか、『1』と『3』だけがあって(よかったら読んでみてください)、『2』がなかったので、再読してみた。

 1992年から2000年にかけて、『朝日新聞』に月1回ずつ連載されたエッセイをまとめたもの。

 この間、日本では、戦後50年問題、阪神淡路大震災、オウムサリン事件などがあり、海外ではユーゴスラビア紛争その他が起きた。

 加藤さんはそれぞれの出来事を冷静に、時に熱く述べるが、じーじの見るところ、その通底には日本の戦争責任のあり方の不十分さを問うているものがあるように感じられた(加藤さん、間違っていたら、ごめんなさい)。

 ドイツが、ナチスの戦争責任とそれへの協力者に対して長年にわたって厳しく糾弾していることは、歴史を学ぶと明白である。

 イタリアも同様。

 しかし、日本だけは、あいまいである。

 一応の反省は表明しているが、教科書検定で中国侵略が進出になったり、南京大虐殺がなかったことになったりする。

 慰安婦や徴用も強制ではなかったかのようになる。

 そして、日の丸・君が代の強制。

 まるで今のロシアを見ているようだ。

 そう、ロシアのウクライナ侵略をみていると、昔の日本がやってきたことを思い出さざるをえない。

 日本民族を守るため、アジア民族を解放するためと称して、日本はアジア各国を侵略した。

 その結果が無残な敗戦と混乱である。

 おそらくロシアも結果的には同じことになるのではないか。停戦が実現しても、経済破綻はまぬがれそうもない。

 戦争は勝っても負けても民衆を苦しめる。それがわからないような政府や国家は必要ない。

 日本も今からでもきちんと戦争責任を反省し、責任を取り、アジアの国々に信頼されるようになってほしいと思う。     (2022.5 記)

 

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