ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

大場登『ユングの「ペルソナ」再考』2000・創元社-ユング心理学に学ぶ

2024年05月19日 | ユング心理学に学ぶ

 2011年のブログです

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 放送大学大学院の大場登先生の『ユングの「ペルソナ」再考』(2000・創元社)を読みました。

 大場先生の博士論文ということで、じーじに理解できるかなと不安を抱きながら読みましたが、丁寧な論文で最後まで一気に読んでしまいました(内容をどれだけ正確に理解できているかは別ですが…)。

 最近読んだ河合俊雄さんの『概念の心理療法』(日本評論社)でも同じような印象を持ちましたが、ユング心理学の場合、概念が固定化してしまうことが問題で、イメージや考えが常に流動的になっていることが大切(河合さんの言葉では「弁証法的」になっていることが必要)なのかなと思いました。

 大場先生の論文は、引用文献が和辻哲郎さんや坂部恵さんなど、じーじも興味を持って読んでいた人達がたくさん出てきたのですが、同じものを読みながら、こんなに違うことを考えるんだなとあらためて尊敬をしました。

 ユングさんの考えをさらに深めようというその姿勢に圧倒されました。

 じーじもいずれ、こんなことを考えながら、臨床に望み、さらに新たな考えをまとめることができればいいなと、とてつもない夢を抱きました。     (2011.7 記)

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 2023年2月の追記です

 ペルソナ、仮面、表向きと本音、さらには、意識と無意識、影(シャドー)、などなど、ユング心理学では大切な概念ですね。

 河合隼雄さんも詳しく述べられていると思いますが、わかるようでなかなか奥の深いむずかしいことがらです。

 さらに勉強をしていきたいと思ます。     (2023.2 記)

 

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河合隼雄『対話する生と死-ユング心理学の視点』2006・だいわ文庫-心理療法を深める

2024年05月13日 | ユング心理学に学ぶ

 2019年春のブログです

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 河合隼雄さんの『対話する生と死-ユング心理学の視点』(2006・だいわ文庫)を再読しました。

 これもかなり久しぶりで、小さな文庫本なので、本棚の片隅にあったのを見つけて読んでみました。

 しかし、中身は充実していて、いい勉強になりました。

 さすがは河合さん!です。

 今回、特に印象に残ったところを一つ、二つ。

 一つめは、治療者の私が、もう一人の私としての病者を自覚すると、病者の心の中のもう一人の私としての治療者が働きはじめる、ということ。

 深い言葉です。

 転移・逆転移を表現しているとも言えそうですし、患者さんの自己治癒力の発現の機序を語っているようにも思えますし、さらには、もっと深いことがらを表現しているようにも思えます。

 たぶん北山修さんも同じようなことを話されていて、もっともっと考えてみたいな、と思いました。

 二つめは、治療者が安定してそこにいることの大切さ。

 治療者が患者さんを理解しつつ、そこに一緒にいることの重要性を説きます。

 これはもう、精神分析でもさんざん話題になっていることがらですね。

 三つめは、心理療法において練習を積むことの大切さ。 

 鍛えたうえでこそ、とっさに出てくることが理にかなう、と述べます。

 そして、苦しくても頑張りぬく姿勢が大切で、いい気になると駄目なことが多い、と警告をされます。

 一般、初心者向けの本ですが、丁寧に読むと、かなり奥深い、いい本だと思います。

 さらに、謙虚に、勉強を続けようと思いました。     (2019.4 記)

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 2020年11月の追記です

 練習を積むことの大切さは、他の世界でも同じでしょうが、心理療法でもいろんな方が強調されています。

 まずは基本を身に付ける、型を究める、などなど。

 そのうえで、土居健郎さんのいう、出たとこ勝負、が重要になるのかもしれません。    (2020.11 記)

 

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山中康裕『こころと精神のはざまで』2005・金剛出版-こどもごころを残したすてきな臨床家に学ぶ

2024年05月10日 | ユング心理学に学ぶ

 2020年5月のブログです

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 山中康裕さんの『こころと精神のはざまで』(2005・金剛出版)を久しぶりに読みました。

 このところ、BS放送大学の小野けい子先生の「イメージと心理療法」を見ていて、ゲストで登場される山中さんの切れのいい、しかし、温かみとユーモアのあるお話をお聞きして、やはりすごい先生だな、と思い、何冊かの本を読み返しています。

 本書は、雑誌「臨床心理学」に、河合隼雄さんの後を受けて連載されたエッセイというか、論文で、山中さんの学術的な経験が本音でどんどんと語られます。

 バウムテストや絵画療法の思い出、ひきこもりの「内閉論」、こころの「窓」論、箱庭療法のカルフさんとの思い出、などなど、その専門性の高さはじーじも尊敬をするところです。

 また、河合隼雄さんだけでなく、中井久夫さんや木村敏さん、その他の優秀な学者さんとの交流もすごいです。

 ちなみに、精神分析の成田善弘さんは中学の同級生で、それ以来の付き合いとか、これもすごいです。

 山中さんのすごさは、その素直さではないでしょうか。

 こどものこころを残したおとな。

 学者らしからぬ、気さくで楽しい人柄は、とてもいい臨床家の姿を体現されています。

 本書でも、多少の失敗も正直に記されていますが、素直に反省をされるので、そこから治療が進展したりします。

 なかなかできないことですが、見習いたいです。

 さらに、読み込んでいきたい本だと思います。      (2020.5 記)

 

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伊藤良子『心理療法論』2011・京都大学学術出版会-こころに大切なことを学ぶ

2024年05月03日 | ユング心理学に学ぶ

 2018年のブログです

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 先日、伊藤良子さんの『心理治療と転移』を読んでおもしろかったので、今度は同じく伊藤さんの『心理療法論』(2011・京都大学学術出版会)を再読してみました。

 これもかなり久しぶりで、なんとなく心理療法論という題名や京都大学学術出版会という名前にちょっと怖じ気づいてしまい、遠のけていました(伊藤さん、京大関係者のみなさん、ごめんなさい)。

 読んでみると、内容は案の定、ほとんど忘れていたのですが、しかし、ところどころに付箋やアンダーラインがあり、昔は真面目に勉強していたんだな、と感心をしました(?)。

 今回、印象に残ったことを一つ、二つ…。

 一つめは、来談者こそクライエント、という視点。

 われわれは、ともすると、症状を出している人が問題、と考えがちですが、こと、心理療法においては、来談者に耳を傾けることしかできないわけであり、来談者こそがクライエントであるということを再認識することが大切なように思われました。

 二つめは、料金と転移の問題。

 事例を通じて、転移を適切に扱うためにも、料金のやりとりで現実感覚を維持することが大切なんだな、と改めて考えさせられます。

 三つめは、事後性の問題。

 精神分析の人がよくいう、過去の記憶は今の感情によって変化する、ということがらですが、やはり伊藤さんも同じ指摘をしており、心理療法において大切なことなんだなと思われました。

 四つめは、ラカンの鏡像段階。

 『心理治療と転移』の中でも詳しく述べられていましたが、本書では、母親のまなざしが鏡の役割をするという指摘があり、そういう視点も大切だと思われました。

 最後が、普遍性は個の固有性の極まれるところにある、というご主張。

 エヴィデンスが声高に叫ばれる時代に、深い事例研究の大切さを述べられており、伊藤さんの潔さが感じられました。

 さらに謙虚に勉強をしていこうと思いました。       (2018.7 記)

 

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伊藤良子『心理治療と転移-発話者としての<私>の生成の場』2001・誠信書房-「私」とは?

2024年05月02日 | ユング心理学に学ぶ

 2018年のブログです

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 伊藤良子さんの『心理治療と転移-発話者としての<私>の生成の場』(2001・誠信書房)を再読しました。

 今年の遊戯療法学会のワークショップでお話をきく機会があり、せっかくなので以前読んだことのある本書を読んだうえでお話をきこうと思って再読をしたのですが、読み終わるまでに少し時間がかかってしまいました。

 じーじの本には2種類の付箋が貼られていて、おそらく2回は読んでいるようなのですが(?)、なかなか難しい本で、今回も結構、難渋をしました。

 それでも、少しだけ、印象に残ったことを書いてみます。

 一つめは、自閉症児は「見ること」へのとらわれがあるのではないかという仮説です。

 自閉症児が「見る」ことに過剰にとらわれて、「もの」に執着し、「人」への対象の移行がうまくできていなにのではないか、ということをいくつかの事例をとおして考察しています。

 なかなかの卓見のように思われます。

 二つめは、ラカンさんの「鏡像段階」の考えを援用して、わたしたちは、自分の存在証明を「鏡像」という「他者」の存在に負うているのではないかということを、これも事例をとおして述べられています。

 この事例をワークショップで詳しくご紹介いただいて、検討しましたが、とても感動的な事例で、伊藤さんの熱いプレイセラピストぶりも感動的でした。

 三つめは、言葉の誕生についての考察で、クライエントの発する言葉をセラピストが真にきくときに、クライエントの言葉は「充ちた」言葉になる、という視点。

 人が言葉を発するときに、それを真にきく他者がいないと、言葉は「言葉」とならないのだ、ということを述べられておられます。

 四つめは、このところ、他の本でも話題になっている、セラピストが生きのびることによって、クライエントを守らなければならない、ということについて。

 伊藤さんは、このことについて厳しくおっしゃられ、それができないくらいなら心理療法を引き受けてはならない、とまで言い切っていて、伊藤さんの覚悟が感じられました。

 まだまだ大切なことがいっぱい述べられていますが、今のじーじの力量では十分にご紹介できないのが残念です。

 今後も臨床経験を積み重ねたうえで、さらに読み返して、理解を深めていきたいと思います。      (2018.6 記)

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 2022年2月の追記です

 人が言葉を発するときに、それを真にきく他者がいないと、言葉は「言葉」とならない、というところは大切だなあ、と思います。

 言葉を発しても、周囲の他者にきちんときいてもらえないと、とても苦しい状況に陥ることは容易に想像できますし、クライエントさんには、こういう人が多いように思います。

 その原因がどこにあるにせよ、また、ふだんの人間関係や治療関係に限らず、人の言葉を真にきく他者の存在は大きいなあ、と思います。      (2022.2 記)

 

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河合隼雄『子どもと悪』1997・岩波書店-「いい子」が自立をするために必要な「悪」を考える

2024年04月30日 | ユング心理学に学ぶ

 たぶん2016年ころのブログです

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 河合隼雄さんの『子どもと悪』(1997・岩波書店)を再読しました。

 もう何回目になるでしょうか。

 1997年の本ですから、かれこれ20年くらい読んでいることになります。

 何回読んでも、いろいろと考えさせられる本ですし、河合さんの本の中でもじーじが大好きで重要な本の一冊だと思います。

 内容は、悪と創造、盗みの意味、暴力と攻撃性、うそと秘密、秘密と性、いじめ、子どもをとりまく悪、などなど。

 いずれも、子どもの成長や自立をめぐって、「悪」の大切さを考察しています。

 ここでいう「悪」とは、人間が自立をする際に、ギリシア神話の中で、神さまから「火」を盗んだことに象徴されるような意味での「悪」です。

 そして、それは、子どもが神さまならぬ親から自立をするときに必要なものを意味するようです。

 そういえばかつて「いい子」だった(?)じーじにも、いろいろと心当たりがあります(?)。

 河合さんは、「いい子」のさまざまな問題を指摘し、「いい子」が親や教師などにとっての「悪」を経験することで、本当に成長し、自立をすると述べます。

 そして、「悪」の重要性と、おとなが「悪」を排除せずに、それらを見守る大切さを説きます。

 なかなか難しいことですが、じいじになったじ-じにはとてもうなずける点です。

 おとなが子どもに、じぶんたちにとって「よい」ことだけを求めすぎると、弊害が大きいことは、ようやく世の中の人々もわかりかけてきたのではないかと思います。

 おとなが理解をもって、長い目で子どもたちのいろいろな試行錯誤をゆったりとした気持ちで見守っていけたらいいなと思います。(2016?記) 

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 2018年秋の追記です 

 子どもの自立、おとなの成熟には、「悪」の問題と同じくらいに「秘密」の問題も大切だと思われます。  

 このことは精神分析でも重要なテーマで、土居健郎さんや藤山直樹さんなどが魅力的なお考えを述べられています。

 いずれご紹介できればと思ってます。    (2018.10 記)

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 2022年秋の追記です

 藤山直樹さんが『続・精神分析という営み』の中で、「秘密」と「はにかみ」について述べていて、おとなへの道を理解する参考になります。   (2022.10 記)

 

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河合俊雄・田中康裕編『大人の発達障害の見立てと心理療法』2013・創元社-発達障碍を考える

2024年04月20日 | ユング心理学に学ぶ

 2018年のブログです

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 河合俊雄さんと田中康裕さんが編集をした『大人の発達障害の見立てと心理療法』(2013・創元社)を読みました。

 なかなか難しい本でしたが、かなり刺激的な本で、勉強になりました。

 お二人ともユング派の分析家ですが、ユングにこだわらずに、精神分析や心理療法全般にも目配りがなされており、バランスのいい本です。

 発達障害、と聞くと、空気を読めない、とか、自己流とか、マイペース、とかいったイメージが湧いてきますが、河合さんは、それらよりも、主体のなさや主体の未成立がその本質ではないか、という仮説を持っていらっしゃいます。

 主体が未成立だからこそ、状況に関係なく、刺激に流されてしまい、状況と関われないのではないか、とおっしゃっているように思います(間違っていないと思うのですが…)。

 したがって、主体を確立することが大切なことになるようです。

 そして、分離、発生、誕生などといった言葉や概念がキーワードになるといいます。

 そのうえで、発達障害の人の心理療法においては、まず、周りとのずれの気づきが重要で、それも内省としてではなく、具体的なことがらからを通しての気づきや実感が重要になるようであり、そういう点で従来の心理療法と少し違う工夫が大切にだろうといいます。

 主体のなさの例証として、風景構成法という心理テストで、普通は10歳くらいの子どもに見られる、川が立つ、という描き方が、発達障害の人では遅くに出現するという現象が挙げられていて、とても示唆的でした。

 いずれまた、近いうちに再読をして、さらに深く読み込んでいきたいなと思う本でした。       (2018. 10記)

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 2019年11月の追記です   

 発達障碍のかたは、悪気がないだけに、とても傷ついている人が多いと思います。

 まずはその怒りやうらみの受けとめが大切になりそうです。

 そのうえで、周囲とのずれの明確化や直面化を一緒に考えていくことになるのでしょうか。      (2019. 11記)

 

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田中康裕『心理療法の未来-その自己展開と終焉について』2017・創元社-個別から普遍へ

2024年04月19日 | ユング心理学に学ぶ

 2018年のブログです

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 田中康裕さんの『心理療法の未来-その自己展開と終焉について』(2017・創元社)を読みました。

 田中さんはユング派の分析家ですが、じっくりと読むのは初めて。

 かなり刺激的でいい本でした。

 田中さんは、心理療法はその対象によって常に改定される、といいます。

 神経症が対象だったフロイトさんの時代は精神分析、その後、精神分析は統合失調症や境界例にも適応されて発展しますが、解離性障害ではなかなか難しくなった、と指摘されます。

 それは、解離性障害では、それまで当然とされた「人格」の存在があやうくなった(?)ため、といいます(雑な要約で、間違っていなければいいのですが…)。

 そのために、それまでの、意識と無意識からなる「人格」を当然のものとしていたそれまでの心理療法では手に負えなくなったのではないか、と考察されます。

 そして、その後に出てきた発達障碍。

 ここでは、「心的未成」という状態が考えられ、まずは「心的誕生」が必要と考えられ、これまでの神経症、境界例、統合失調症という病態水準ではなく、それとは別の発達スペクトラムの視点での関わりが必要になる、と述べられます。

 当然、そのために必要な心理療法の技法も違ったものとなるようで、本書では、これまで常識とされていた中立性などの概念の再検討がていねいになされていて、とても参考になります。 

 そして、なにより刺激的だったのは、やはり、心理療法家は眼前のものへの個別性を大切にしたコミットメントが重要との指摘で、事例検討を重視し、個別から普遍へと進むことで事例研究に至るという考え方を徹底されています。

 ここらへんは、先日の遊戯療法学会のシンポジウムでも取り上げられていた点であり、真のエヴィデンスとは何か、を考えるうえで大切な視点になると思います。

 とても面白く、刺激的な本で、さらに読み込んでいきたいと思いました。      (2018.7 記)

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 2021年9月の追記です

 このブログを改めて読んでいると、ビオンさんの、記憶なく、というフレーズがふと浮かびました。

 毎回毎回のカウンセリングが新鮮なことの大切さを強く感じますし、そこでしかカウンセリングの真の勝負はないのかな、と思ったりします。     (2021.9 記)

 

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河合俊雄編著『ユング派心理療法』2013・ミネルヴァ書房-ユング派の臨床に学ぶ

2024年04月14日 | ユング心理学に学ぶ

 2018年のブログです

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 河合俊雄さん編著の『ユング派心理療法』(2013・ミネルヴァ書房)を再読しました。

 たぶん2回目だと思うのですが(?)、例によってあまり自信はありません。

 以前読んだ時には当時のじーじの力不足のせいで、あまり理解できたとはいえなかったように思うのですが(河合さん、ごめんなさい)、今回は少しだけ以前より理解できた箇所もあったように思います。

 解説編と事例編の二部構成で、解説編では、心理療法における第三のもの、という論点に興味をひかれました。

 精神分析のウィニコットさんのいう中間領域やオグデンさんや藤山直樹さんのいう第三の主体、あるいは、クライン派の考えなどをめぐって、ユング派から見たイメージの考えなども含めて、考察がなされます。

 イメージから物語、象徴との関連など、考察は広がって、こちらの想像力も喚起される感じがしました。

 心理療法における、今、ここで、の重要性も指摘されており、今、ここでの、クライエントさんの気持ちより、今、ここでの、クライエントさんの事実が重要であって、さらには、今、ここでの、クライエントさんとカウンセラーの両者の事実が重要である、と述べられているように思いました。

 おそらく、その事実の理解や体感のために、第三のもの、が大切になるのだろうと思うのですが、まだまだじーじの力では理解が難しいところです。

 また、事例編でも、クライエントさんが内面を語るより事実を語る中で変化していく事例が紹介されています。

 ここでも、内面にアプローチするより、事実にアプローチをする中で治療的展開が起こっており、これまでの神経症を対象とした内省的な心理療法から発展をしている様子がうかがえます。

 もっとも、じーじのつたない理解では、精神分析でも同様のことが述べられているように思われ、神経症から境界例、統合失調症、そして、発達障碍へと心理療法の対象が広がるにつれて、心理療法のありかたも変わらざるをえないのかもしれません。

 あるいは、本書が主張していることも、そういうところにあるようにも思います。

 難しいですが、なかなか刺激的な、さらに勉強をしたくなる、いい本でした。        (2018 記)

 

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河合隼雄編『ユング派の心理療法』1998・日本評論社-ユング派の臨床に学ぶ

2024年04月13日 | ユング心理学に学ぶ

 2018年のブログです

     *  

 河合隼雄さん編集の『ユング派の心理療法』(1998・日本評論社)を再読しました。

 このところ、なぜかユング派が気になっていて、この本も本棚の隅に見つけて、読みました。

 ちょうど20年前の本で、じーじも2~3回読んでいるはずで(?)、付箋も2種類の付箋があちこちに貼られ、アンダーラインも引かれているのですが、例によって、記憶はあいまいで、またまた新鮮な(?)気持ちで読んでしまいました。

 面白かったです。

 古い本なので、今は大家になった人達の中堅時代の論文が多いですが、みなさん、当時は日本に13人しかいなかったユング派の資格を取った人たちで、当時の熱意みたいなものが伝わってきます。

 もちろん、中身もそれぞれ多彩で、深く、今読んでも勉強になりますし、いろいろと刺激されるところが多いです。

 今回、印象に残った第一は、人と人が傷ついて出会う、という視点。

 今はユング派でも、その後の展開がありますし、精神分析でも議論されていますが(北山修さんなども述べられています)、やはり大切な視点だろうと思います。

 それと関連しますが、第二は、転移と逆転移。

 互いに傷つきながら、治癒に至るという考え方は、なかなか意味深いです。

 第三は、イメージの重要性。

 無意識からのイメージに重きを置くユング派らしい論点だと思います。

 総じてユング派は、私見では、人間の自然治癒力や無意識の治癒力に重きを置いているように思いますが(もちろん、一方で、無意識の破壊力についても警告をしています)、安易に陥らない、真摯で全体的な無意識との対話が大切になってくるように感じられます。

 そして、ここには、精神分析がいうところのエロスや攻撃性との統合も含まれてくるのだろうと思います。

 読んでいると、本当にいろいろな意味で刺激を受ける本で、さらに深く考えてみたいと思いました。       (2018 記)

 

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