ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

カードの過払い金請求のコマーシャルを見て思ったこと-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年05月27日 | じいじ日記を書く

 2023年春のブログです

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 テレビを見ていると、カードの過払い金請求のコマーシャルをよく見る。

 過払い金があるかどうか、弁護士や専門家が無料で調べてくれるらしい。

 親切な人たちがいるなぁ、と思うが、一方で、弁護士や専門家にいちいち相談しないと過払い金は戻ってこないのかあぁ、とも思ってしまう。

 じーじはカード制度や過払い金のことについてはまったくの素人で仕組みがわからないが、カード会社というのは、過払い金の請求がなければ、過払い金を返さなくてもいいという仕組みになっているらしい。

 すごい仕組みだ。

 おそらく、政府がいろいろな形で法律的にカード会社を優遇しているのだろうと思うが、それにしてもよくわからない仕組みだし、普通の社会では理屈の通らない話だと思う。

 過払い金が発生している可能性が大きいなら、カード会社は、請求される前に、利用者に返金すべきだし、それが社会のルールだろうと思う。

 請求されないと返金しないというのは、ある意味、言葉が悪いが、どろぼうや詐欺と同じやり方だ。

 そんなことが許されている日本の社会はどうなっているのだろう。

 日本の社会というよりは、自民党政府の政策のまずさかもしれないが…。

 ひどいもんだ。

 政府やカード会社には再考をしてほしいと思うし、そんな政府を支持したり、そんなカード会社を利用するのは考え直したほうがいいのではないかと思うが、どうなんだろう。      (2023.4 記)

  

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保護者のPТA不加入と子どもの登校班拒否の問題-じーじのじいじ日記(2024.5.14)

2024年05月14日 | じいじ日記を書く

 2024年5月の日記です

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 夕方のニュースを見ていたら、保護者がPТAに加入していない子どもが小学校の登校班に入れないという問題が出ていた。

 保護者のPТA不加入と子どもの登校班拒否とがどう関係するのかまったくわからない。

 同調社会の日本らしいことだなと思うが、笑いごとではすまされないだろう。

 PТAは保護者の任意参加が原則で、強制ではない。

 入らない保護者が増えるとPТAは困るかもしれないが、あくまでも任意の団体だ。

 困るPТAは対策を考えて、加入している保護者や教師と相談をして、できる範囲で行事を行なうべきだと思う。

 PТAに入らない保護者の子どもを小学校の登校班から締め出すというのはいじめだろう。

 もっとも、じーじが小学校の頃には登校班なんてなかったし、子どもたちの時もなかった。それで特に支障もなかったと思う。

 ニュースでは、登校班だけはなく、学校とPТAとの行事などでも差別があるらしい。

 子どもを人質に取っての差別で、言語道断だ。

 おそらくPТAだけでなく、自治会や労働組合などでも同じような問題が起きているのではないかなと危惧する。

 今朝の新聞では、会社で内部告発をした者が差別をされているという記事もあった。

 ひどい国だな、と思う。

 戦争にもきっと同じような同調圧力が働いてしまうのだろうと想像する。

 孫娘たちだけはこんな卑劣な同調圧力からなんとか守りたいなあと思う。    (2024.5 記)

 

 

 

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読書三昧・村上春樹さん・藤沢周平さん-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年05月07日 | じいじ日記を書く

 2019年5月の日記です

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 金曜日のボランティアで疲れたせいか、週末は小説三昧。

 村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』(2004・講談社文庫)と藤沢周平さんの『三屋清左衛門残日録』(1992・文春文庫)を交互に読む。

 すごい組み合わせ、自分でも驚く(!)。

 しかし、これがとてもいい。

 カステラとおせんべいを交互に食べているような感じ(?)。

 洋風と和風のコラボレーションだ。

 どちらもなかなか深くて、しかし、少々のユーモアが効いているので、読み心地がいいし、後にひく。

 人生とは、出世とは、仕事とは、男女とは、などなど、久しぶりに考えながら、しかし、時おり、ニヤリとしながら読む。

 どちらもおとなの小説で、じーじにも読みごたえを感じさせてくれる。

 いい週末だ。

 そして、もうすぐビールの時間だ。     (2019.5 記)

 

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冬の旅・愛読書・物語のちから-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年05月05日 | じいじ日記を書く

 2019年5月の日記です

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 昨日から立原正秋さんの『冬の旅』(1973・新潮文庫)を再読している。

 じーじにとってはもっとも大切な小説。

 「もっとも」という言葉は簡単には使いたくないが、この小説はじーじにとっては本当に大切な小説。

 この小説を読んだことで、非行少年の相手をしてみたくなり、臨床の世界に入ったからだ。

 おそらく、自分の中の、非行少年、不良少年、の部分に向き合わされたのだろうと思う。

 あらすじはさすがに、じーじにはめずらしく(?)まだ覚えているので、再読を少し迷ったが、やはりいい小説を読んで、こころを豊かにしたいな、という思いが強くなった。

 いい小説の文章の力、物語の力は、やはりすごいと思う。

 そういう意味で、再読をしたい大切な小説はまだたくさんあって、たとえば、村上春樹さんの『海辺のカフカ』(2005・新潮文庫)なども、再読は少し早いかな、でもまた早く読みたいな、と迷っている小説だ。

 藤沢周平さんの『三屋清左衛門残実録』(1992・文春文庫)も同じ。

 もっとも、こちらは、久しぶりすぎて、本棚のどこかでかくれんぼをしていて(?)、探している最中。

 貧乏なわりには、ぜいたくなことだと思っている。

 こういう精神的なぜいたくをしながら、年を取っていく人生も悪くないのかなとも思う。

 少なくとも、孫娘たちには馬鹿にされないのではないかな。     (2019.5 記)
 

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朝ドラ「虎に翼」を観て-じーじのじいじ日記(2024.4.22)

2024年04月22日 | じいじ日記を書く

 2024年4月22日の日記です

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 朝ドラ「虎に翼」を観る。

 じーじは朝ドラはあまり観ないほうだが、今回は裁判所が舞台なので、観ている。

 主人公の寅子さんが元気いっぱいでいい。

 寅子さんのモデルは三淵嘉子さん。

 女性初の弁護士で、後に裁判官になり、さらには、女性初の裁判所長になったという方だ。

 じつは、じーじが50年くらい前に浦和の家庭裁判所(今のさいたま家裁ですね)に採用になった時の所長さんが三淵さん。

 びっくり、ぽん!だ(古いなあ)。

 三淵さんから採用辞令をいただいたはずなのだが、全然記憶がない(三淵さん、ごめんなさい)。

 じーじが緊張していて、記憶がないのかもしれない(じーじにもそういう時代があったんだなあー)。

 当時は、そんなにすごい経歴の方とはまったく知らずに、おばさんの裁判官が所長さんなんだ、と思っていた(三淵さん、再びごめんなさい)。

 三淵さんとはあまりお話をする機会はなかったが(なにせ所長さんですからね)、一回だけ、仕事をご一緒させていただいたことがあった。

 窃盗(たぶん)をして鑑別所に収容された少年の審判事件。

 当時、新米調査官補だったじーじが、少年自身や保護者から話を聞いて書いた拙い報告書をもとに、三淵さんが審判をされた。

 豊かな経験を活かされての、テンポのいい、厳しくも、優しい審判だったことを覚えている。

 少年が鑑別所に収容されて反省が深まっていたこともあって、少年院送致にはならずに、保護観察という在宅処遇となり、じーじもほっとした。

 少年非行はなかなか難しい問題で、単なる同情や叱責では解決できず、専門的な訓練が必要だが、裁判官もたいへんだと思う。

 三淵さんの経験はすばらしいものがあるし、じーじももう少しだけがんばりたい。

 毎朝のドラマから元気をいただいて、いい一日を過ごしたいと思う。    (2024.4 記)

 

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なつ・じーちゃん・北海道弁ーじーじのじいじ日記・セレクト

2024年04月17日 | じいじ日記を書く

 2019年4月の日記です

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 またまた、「なつぞら」を観てしまう。

 不覚にも(?)、面白い。

 フフフ、と小声で笑いながら観てしまう。

 勧善懲悪でないところがいい。

 矛盾と葛藤と、その他もろもろを、そのまま描いているところがいい。

 その底に、少しのユーモアと優しさが透けて見えて、なんだか心地よい。

 じーじのふるさと北海道のお話、というだけでなくて、いいと思う。

 十勝の自然を観ていると、気持ちが雄大になる。

 北海道弁を聞いていると、なんだかなつかしくなる。

 やっぱりふるさとはいい。

 言っていることが矛盾しているか?

 しかし、矛盾も大切だ。

 矛盾と葛藤の中でこそ人は大きくなる、と誰かが言っていた(誰だ?)。

 じーじもたまには、じーじ、ではなく、じーちゃん、と呼ばれてみたい!

 じーじの孫娘たちは、ほんのたまに、じーちゃん、と呼んでくれることもある。 

 幸せな一瞬だ。

 そのうち、どさんこじーちゃん、に改称しようかな。    (2019.4 記)

 

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なつ・なつぞら・十勝-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年04月16日 | じいじ日記を書く

 2019年4月の日記です

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 NHKの朝ドラ「なつぞら」を観てしまう(朝ドラはあまり観ないほうだが、今回はやっぱりじーじのふるさと北海道が舞台なので、つい観てしまう)。

 いつの間にか、急に登場人物が大きくなっていて、驚く。

 月日の経つのは早い。

 じーじも年を取るわけだ(?)。

 小さななつも可愛かったが、大きくなったなつも悪くはない(少々美人過ぎるのがなんだが…。美人恐怖症のじーじにはやや辛い?)。

 しかし、それにしても、十勝の自然はいい。

 それだけ、気候は厳しいわけだが…。

 今日は、大きくなったなつがじーちゃんに勧められて馬で登校する。

 まるで西部劇のようだ。

 そういえば、十勝を訪れると、なんとなく外国の雰囲気が漂っているのは気のせいでもないのかもしれない。

 じゃがいも、牛乳、バター、どれも素朴だが、とてもおいしい。

 コメ作りが主体であるじーじのふるさと旭川などと違い、やはり十勝は畑作と酪農などで特徴のある土地かもしれないと思う。

 北海道の個性的なそれぞれの土地が、その個性を活かした生き方をしていくのは素晴らしいと思う。

 がんばれ!なつ。そして、十勝に生きる人々。    (2019.4 記)

 

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子育て支援金は敵基地攻撃用ミサイルのトマホーク代を充てませんか?-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年04月15日 | じいじ日記を書く

 2024年2月の日記です

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 ニュースを見ていると、子育て支援金で当面、月500円程度を保険料に上乗せして徴収することになるという。

 計算によれば、月1,000円程度になる国民もいるらしく、えらい「増税」である(政府は「増税」でないというが、言葉のペテンにすぎない)。

 じーじのような年金生活者は、税金プラス介護保険料だけでもアップアップなのに、どういうことかと思う。

 子育て支援にお金を使うことには反対しないが、あくまでも税金の範囲内で行なうべきだろう。

 税金といえば、防衛費の増額が著しい。

 特にびっくりしたのが、敵基地攻撃能力の議論。

 議論がきちんとなされないままに、攻撃用ミサイルのトマホークの購入が決まってしまったらしい。

 憲法違反の可能性もあるのに、そんなに拙速に決めていいのだろうか。

 1発数億円、400発を注文するらしい。

 しかし、どこの国に撃ちこむというのだろうか。

 今のところ、すぐに攻めてきそうな国はないし、宝の持ち腐れだ。

 それよりは、子ども支援金だろう。

 トマホークは当面、張りぼて(?)で我慢してもらって(北朝鮮のミサイルも一部張りぼてという噂もある)、早急に子育て支援金にまわしてほしい。

 税金は、平和と子どもたちのために使いたいと強く願う。    (2024.2 記)

 

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チューリップの国旗とチューリップの国歌の夢を見た-じーじのじいじ日記・セレクト

2024年04月07日 | じいじ日記を書く

 2023年12月のブログです

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 お昼寝をしていたら、とても楽しい夢を見た。

 日の丸がチューリップの図柄(!)の国旗にかわり、国歌が君が代にかわってチューリップの歌(!)になるというもの。すごいでしょう!

 夢の中では、小学校の入学式で、新入生がチューリップの花を持ち、チューリップの国旗に向かって、チューリップの国歌を元気に歌っていた。

 日の丸・君が代の強制が厭で、自分の子どもたちの入学式と卒業式は全部欠席したじーじだが(子どもたち、ごめん)、こういう入学式や卒業式なら列席してみたい。

 孫娘たちが学生のうちに実現しないかな?

 そうしたら、じーじもぜひ出席させてもらって、チューリップの歌を大声で歌いたい(?)。

 そもそも、日の丸はもとより、菊や桜の図柄だと、なんとなくキナ臭いイメージがつきまとう。

 その点、チューリップはいい。

 チューリップといえばオランダだが、日本が文明開化をしたのはオランダの蘭学によるところが大きく、学問や思想の自由を表現すると思う。

 加えて、チューリップの歌の、どの花見てもきれいだな、というフレーズは、国民の平等と人権を表現すると思う。

 さすがはじーじ、いい夢を見る。

 日頃、フロイトさんのまねをして、夢の研究をしている成果が出たのかもしれない。

 こんないい夢が実現するといいな。     (2023.12 記)

 

 

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じーじ、改名か?ーじーじのじいじ日記・セレクト

2024年03月31日 | じいじ日記を書く

 2021年3月のブログです

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 週末で孫娘たちが遊びにきてくれた。

 2階のじーじの部屋で下の孫娘とお話をしていると、じーじからのメールを読んだらしく、びっくりの発言。

 「じーちゃん、『にいがたのじーじ』ののばすきごうの『ー』は、カタカナでしか、つかえないいんだよ。ひらがなではつかえないんだよ」

 じーじが驚いて、「学校で習ったの?」ときくと、「そうだよ」と教えてくれる。

 じーじが「すごいな。もう、そんなことを勉強するんだ!」と感心をすると、孫娘はうれしそうにしている。

 そういわれると、たしかにそうで、じーじは今の1年生は本当にすごいなあ、とあらためて思う。

 せっかく、下の孫娘が教えてくれたので、これからは、孫娘たちへのメールには、『じーじ』を『じいじ』に変更して、「にいがたのじいじより」と書こうと思う。

 老いては子にしたがえ、ならぬ、老いては孫娘にしたがえ、だ。

 もっとも、ブログの「どさんこじーじ」や「じーじ」には、自分なりの思い入れがあるのと、書き換えるのがたいへんなので、このままでいこうと思う。

 下の孫娘が将来、じーじのブログを読むようになって、また、指摘をされたら、ちょっと困るかな?…。

 うれしい贅沢な悩みが増えたじーじである。     (2021.3 記)

     *

 2024年3月の追記です

 じーじは裁判所の現役時代から、昔の文部省や今の文科省が嫌いで、昔の当用漢字や今の常用漢字の取り決めを守らずに、よく赤ペンを入れられたが、今もそんな感じで過ごしている。

 理由は、ある作家さんの、行政は日本語を貧しくしている、という発言に賛同してのことで、たいしたことはしていないが、できるだけ美しい日本語を書きたいと思う。

 いつか、そんなことを孫娘たちと話し合えたらいいなあ、と思っている。    (2024.3 記)

 

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