ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

オグデン(狩野力八郎監訳・藤山直樹訳)『こころのマトリックス-対象関係論との対話』1996・岩崎学術出版社

2024年05月17日 | 精神分析に学ぶ

 2023年5月のブログです

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 久しぶりに再読をしたオグデン(狩野力八郎監訳・藤山直樹訳)『こころのマトリックス-対象関係論との対話』(1996・岩崎学術出版社)をようやく読み終える。

 藤山直樹さんの翻訳デビュー作である。

 藤山さんが土居健郎さんの7年にわたるスーパーヴィジョンを終えて、狩野力八郎さんのスーパーヴィジョンを受けはじめた頃、狩野さんから紹介のあったこのオグデンさんの本を藤山さんが翻訳、それを狩野さんと藤山さんが4年をかけて検討したという労作。学者さんの世界も大変だ。

 オグデンさんの本の紹介は2冊目だと思うが、オグデンさんはアメリカの精神分析家で、フロイトさんやクラインさんの考えを深化させ、ウィニコットさんやビオンさんのアイデアを発展させている人で、じーじもよくわからないなりに(?)ファンである。

 たしか、土居健郎さんが有名な『方法としての面接』の中ですでに注目をされていて、その本物ぶりがわかるが、オグデンさんの本はどれもかなり難解だが、読みごたえがある。

 じーじもわからないなりに読んできているが、なかなか感想文を書くほどには理解ができず、もう何回かずつは再読をしないと、自分なりの考えがまとめられない状態だ。

 しかし、いつまでもそうも言ってられないので(?)、今回も、わからないなりにも、現状でわかる(らしい)ことを大胆にも(?)感想文に書いてみることにした。

 まずは、フロイトさんやクラインさんの考えの検討がすごい。精神分析の概念がていねいに再検討され、哲学的な視点からも考察されて、勉強になる。

 特に、クラインさんの妄想・分裂ポジションや抑うつポジションの再検討などは、そういう見方もできるのかとびっくりする。

 視点が主体や歴史の問題などにも発展をして、読んでいてわからないなりにも面白い。

 さらに、ウィニコットさんの考えの再検討も刺激的だ。

 遊ぶこと、移行対象、可能性空間などのアイデアがより深く検討され、投影同一化のプラスの意義も明らかにされて、目からうろこが落ちる感じがする。

 おそらく、これからも何回も再読をしないとわからなさが残るのだろうが、奥の深さが予感されて、楽しみでもある。

 わからないことに耐えることは、精神分析の世界でも同じなのだろう。

 奥の深い、いい本に出会えて、幸せである。     (2023.5 記)

 

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オグデン(藤山直樹監訳)『精神分析の再発見-考えることと夢見ること、学ぶことと忘れること』2021・木立の文庫

2024年05月16日 | 精神分析に学ぶ

 2022年5月のブログです

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 アメリカの精神分析家であるオグデンさんの『精神分析の再発見-考えることと夢見ること、学ぶことと忘れること』(藤山直樹監訳・2021・木立の文庫)を読む。

 2021年10月の発行時に一回読み、半年後の今回、再読をする。勉強嫌いのじーじにはめずらしいこと。

 すごく面白い本だが、なかなか難しく、どれだけ理解できたか。

 再読をしても、感想文を書くほど理解できているかどうかもわからないが、とりあえず今の段階でわかっているらしいことを記す。

 そういえば、オグデンさんの本はとても面白くて数冊読んでいるが、いずれも感想文は書けずにいる。今後の課題だ(藤山さんの翻訳デビュー作であるオグデンさんの『こころのマトリックス-対象関係論との対話』(1996・岩崎学術出版社)もとてもいい本で、いつかご紹介できればいいなあと思う)。

 さて、今回読んで感じたことを一つ、二つ。

 まずは、オグデンさんが、ビオンさんの『臨床セミナー』(じーじの拙いブログもあるので、よかったら読んでみてください)を詳しく解説というか、説明しているところがすごい。

 ビオンさんがセミナーでケース提供者にスーパーヴィジョンをしている内容だけでもすごいが、それをさらにわかりやすく解説するオグデンさんの多面的な視点がすごいと思う。すごく勉強になる。

 ともすると、一見わかりにくいビオンさんの言葉が(ビオンさん、ごめんなさい)、オグデンさんの説明で、すごくよくわかる(ような気がする)。

 そして、驚いたのが、オグデンさんもわからないことに耐えることの大切さを述べているところ。

 ビオンさんの、事実と理由を苛立って追い求めることなく、不確実さ、謎、疑惑のなかに留まること、というところをひいて、真に考えるためには、知らないということへの耐容性が必要である、と述べている。すごい。

 ますます深く考えていく必要が出てきたと思うし、ゆっくりと不確実さを味わっていこうと思う。

 二つめは、夢見ること。

 オグデンさんは、精神分析では、夢見ることが大切で、精神分析の時に、それが患者さんでは自由連想になり(子どもでは遊びになり)、分析家ではもの想いになる、とウィニコットさんをひいて述べる。

 卓見であると思う。夢見ることの大切さをわかりやく述べていると感心する。

 そして、さらに、夢の重要さや不思議さなどについても、たくさんの症例が述べられていて、勉強になると思う。

 時間をかけて読んだわりには、ご紹介できる内容が拙いが、本当にいい本だと思うので、今後も再読をして、実践を重ねて、理解を深めていきたいと思う。

 素敵な本に出会えて幸せである。     (2022.5 記)

 

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ウィニコット(牛島定信監訳ほか)『人間の本性-ウィニコットの講義録』2004・誠信書房

2024年04月27日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

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 ウィニコットさんの『人間の本性-ウィニコットの講義録』(牛島定信監訳・館直彦訳、2004・誠信書房)を再読しました。

 これも、ものすごく久しぶりです。

 そういえば、ウィニコットさんのことはずいぶん引用するわりに、彼の本をきちんとご紹介するのは初めてかもしれません。

 いずれ、きちんとご紹介したいと思っているのですが…。

 さて、本書、イギリスの幼児教育や社会福祉などの大学院生に向けての子どもの発達やこころの発達についての講義。

 深い内容をていねいに話しています。

 人間の本性というのは human Nature の訳で人間性のことですが、人間の精神的、心理的な成熟について語っていると思います。

 いろいろなことが語られていて盛りだくさんですが、じーじが今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、精神分析について述べているところで、精神分析は認識することの増大と認識できないことへの耐性をもたらす、という点。

 ウィニコットさんらしいというか、逆説的な感じで、認識できないことへの耐性をもたらす、といわれると、なるほどと思います。深いですね。

 二つめは、ひきこもりについてで、退行した部分を有する人が、外的な関係を犠牲にしても、その部分の世話をしている状態、と述べていて、かなり肯定的にとらえていると思います。

 三つめは、人間の成熟についてのコメントで、成熟した人間の数が一定数以下ならば、民主主義は政治的実態ではなくなる、と明言しているところ。

 今の世界各国や日本の社会状況を見ていると本当にうなづけます。

 また、カウンセリングをやっていると政治と無関係という感じがしていましたが、人間が少しずつでも成熟する過程をお手伝いすることは真の民主主義を実現することにつながるのだな、今回、わかったように思います。

 なかなか勉強になる一冊です。             (2018 記)

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 2021年3月の追記です

 今ごろ気がついたのですが、認識できないことへの耐性、ということは、わからないことに耐えること、に通じそうですね。    (2021.3 記)

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 2023年11月の追記です

 以前は、カウンセリングで個人の悩みを解決しても、社会が変わらないと駄目ではないかという、心理学には限界があるのではないかという気持ちもどこかにあったのですが、この本を読んで、個人が人格的に成熟することで社会も変わりえるのだ、ということがわかって、とてもうれしく思った記憶があります。    (2023.11 記)

 

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ボラス(館直彦ほか監訳)『精神分析の経験-事物のミステリー』2004・岩崎学術出版社

2024年04月25日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

     * 

 アメリカの精神分析家であるボラスさんの『精神分析の経験-事物のミステリー』(館直彦他監訳・2004・岩崎学術出版社)を再読しました。

 これもかなり久しぶりです。

 ボラスさんの本については、何冊かはこのブログにも感想を書いていますので、ご承知のかたもいらっしゃるかもしれません。

 アメリカ人ですが、イギリス独立派の精神分析を学んだ人で、ウィニコットさんやビオンさん、クラインさんなどの名前がたくさん出てきます。

 本書はその書名のとおり、精神分析という経験をていねいに描写して、その中で起きていることを学問的に考察しています。

 精神分析の経験がない人でも精神分析というできごとを想像できるような細やかな本だと思います。

 じーじも精神分析そのものの経験はなく、精神分析的心理療法の経験から想像をするしかないのですが、それでも精神分析の重要な概念や考えが多少は理解できるような内容になっていると思います。

 今回、勉強になったことの一つめは、ウィニコットさんのいう、二人でいて、一人でいる能力、の考え。

 じーじはこれまで、これは母子関係の中で、子どもが徐々に自立していく様子と単純に理解していました。

 しかし、これについては「本質的孤立」といって、成熟したおとなが、他者のいるところで一人でいるという能力に通じる大切な概念のようです。

 二つめは、破壊性の創造的側面ということ。

 これも基本は、母子関係の中で、母子分離のために、子どもが母親の(心理的)破壊を通して開放や自発性が起こる、と考えているようです。

 三つめは、これとも関連をしますが、母親が思いやりの中で子どもの(心理的)破壊を是認することで、子どもにすまなさや罪悪感が育ち、子どもがそれまでの万能感からの脱出や成長が可能となる、という考えです。

 いずれも、母子関係の中から、母親の愛情のもとで子どもがどう自立していくのかを考察し、成熟したおとなになる条件を考察していて、参考になります。

 今後も、臨床現場での経験をさらに積み重ねて、こういった概念を参考にし、確認をしながら、力のある臨床家になりたいと思いました。   (2018.5 記)

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 2020年11月の追記です

 よく考えると、ここでも、生き残ること、がテーマになっているようです。

 親が子どものわがままに耐えて、生き残ること、が子どもの自立や精神的成熟に大切なようです。    (2020.11 記)

 

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松木邦裕・藤山直樹『愛と死-生きていることの精神分析』2016・創元社-「生きること」と「生きていないこと」

2024年04月24日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

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 松木邦裕さんと藤山直樹の『愛と死-生きていることの精神分析』(2016・創元社)を再読しました。

 じーじとしてはめずらしく(?)、2年目での再読です。

 それでも結構、忘れている部分が多くて、びっくりです。

 本書は創元社が主催する「精神分析スタディDAY」というセミナーの第7回の記録です。

 このセミナーはじーじも以前、一回だけ参加したことがありますが、深い内容の講義がなされ、それをもとに出版されている本もレベルが高く、参考になります。

 今回のテーマは、愛と死。

 なんだか小説の題のようですが、精神分析はなんだかんだと難しい議論がなされますが、しかし、やはりこの二つのテーマが重要だということだと思います。

 愛、というと、じーじなどはなんだか恥ずかしくなりますが、精神分析では、生きることは愛することだ、と藤山さんは言い切ります。

 そして、愛を支える生とそれを揺さぶる死を見つめることの大切さを論じています。

 一方の松木さんは、二つの症例を提示して、死んでいるように生きている患者さんの不毛さへの援助のあり方を論じています。

 いずれの症例も長期間の困難な治療ですが、参考になります。

 今回は、以前より、アンダーラインと付箋がだいぶ増えました。

 それだけ理解が深まっているといいのですが、どうでしょうか。

 愛と死を胸に秘めて、じーじは今日も勉強に励んでいきたいと思います。   (2018 記)

 

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松木邦裕・藤山直樹『精神分析の本質と方法』2015・創元社-精神分析に深く学ぶ

2024年04月23日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

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 松木邦裕さんと藤山直樹さんの『精神分析の本質と方法』(2015・創元社)を再読しました。

 2015年の本ですから、のんびり屋のじーじとしては、めずらしく早めの(と、言っても3年ぶりですが…)再読です。

 松木さんと藤山さんのそれぞれの講義と討論からなっていますが、なかなか充実した内容で、奥が深いですし、やはり難しいです。

 特にじーじは、藤山さんの講義に感心させられましたし、刺激を受けましたが、自分の経験が少ないために、どれくらい理解ができているかとなると、かなり心もとない感じがします。

 それでも、勉強になったことを、一つ、二つ。

 一つめは、今、フロイトさんを読む意義。

 藤山さんは、精神分析を学ぶには、フロイトさんを読んで、フロイトさんと語り合うことが大切だ、といいます。

 フロイトさんの学説だけでなく、フロイトさんの迷いや不安を体感することから精神分析に近づくことができるのではないか、と述べます。

 藤山さんのような大家でも、何度も何度も読み返すそうですから、初学者のじーじなどはさらに読み込まなければなりません。

 二つめは、精神分析の面接の特異性。

 精神分析では、普通の心理療法と違って、親しい人間関係を目指すのではなく、あくまでも両者の間に起こる転移関係を「生きる」ことが大切、といいます。

 親しさを優先しない点で、精神分析は対面法の心理療法と大きく異なった技法のように感じられます。

 改めて、両者の違いに気づかされるとともに、より良き精神分析的心理療法の形を考えていく必要があるな、と考えさせられました。

 討論では、率直な藤山さんとあくまでも学術的な松木さんの好対照な姿勢が印象に残りました。

 しかし、お二人とも、個人開業の中で苦労しながらも精神分析を深められてきた先達であり、共通点も数多く、また、仲の良さや信頼しあっている様子がうかがわれて、本を読んでいてもとても心地よい雰囲気を感じることができました。

 いい本を再読できて、有意義なひとときを過ごしました。    (2018 記)

 

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ボラス(館直彦監訳)『太陽が破裂するとき-統合失調症の謎』2017・創元社

2024年04月22日 | 精神分析に学ぶ

 2017年のブログです

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 ボラスさんの『太陽が破裂するとき-統合失調症の謎』(舘直彦監訳・2017・創元社)を読みました。

 楽しみにしていた本で、すごくわくわくしながら読みました。

 ボラスさんはアメリカの精神分析家で、じーじもこれまでに何冊かの本を読んでいます。

 『精神分析という経験』(2004・岩崎学術出版社)という本はとてもいい本ですし、『終わりのない質問』(2011・誠信書房)もすごい本です(いずれもブログに感想文を書いていますので、よろしかったら読んでみてください)。

 今回の本は、統合失調症の患者さんへの精神分析的アプローチについて、多くの事例をもとにていねいに論じている本で、表題の、太陽が破裂するとき、はある患者さんの言葉です。

 内容は、事例が中心ですので読みやすいのですが、中味を理解するのはなかなかたいへんです。

 少なくとも、数回、自分の経験などとも照らし合わせながら読み深めていかないと、理解できないのではないかと思います。

 それでも、今回、勉強になったことは、まずは、患者さんの論理構造、思考構造をていねいになぞることの大切さ。

 なぞる、というと、精神療法家の下坂幸三さんの、言葉ですが、同じような細やかでていねいな作業をされているような印象を受けました。

 そういえば、下坂さんも精神分析の勉強から精神療法に入られたかたです。

 何か共通点があるのかもしれません。

 ボラスさんのなぞりはかなり徹底的で、そこに精神分析的な手法や考えが使われます。

 患者さんの一見支離滅裂な言葉から、つながりを見つけ出すその技はすごいですし、感動的です。

 そして、そういう作業を患者さんと一緒にやっていくことが、精神分析の、もの想い、につながり、情緒的体験を可能にするといいます。

 ここまでくると、もう完全に精神分析の世界になりそうです。

 なかなかたいへんな作業ですが、じーじも少しずつでも勉強し、努力をしていきたいと思いました。     (2017 記)

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 2019年春の追記です

 「精神分析研究」63巻1号に東中園聡さんが本書の書評を書かれています。

 さすが東中園さん、というすばらしい文章で、読み応えがあります。

 じーじがよく理解できていなかったところもわかりやすく説明されていて、勉強になります。

 こんなふうな文章が書けるようになりたいなあ、と思いました。

 まだまだ勉強を深めていく必要があります。     (2019.  4 記)

 

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西園昌久『精神分析技法の要諦』1999・金剛出版-精神分析の基本と実践に学ぶ

2024年04月16日 | 精神分析に学ぶ

 2019年春のブログです

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 西園昌久さんの『精神分析技法の要諦』(1999・金剛出版)を再読しました。

 これもすごく、というか、ものすごく久しぶりの再読です。 

 真面目そうな、堅実そうな印象の本でしたので、再読がつい遅くなってしまいました(西園さん、ごめんなさい)。

 西園さんには思い出があり、今から20年以上前、新潟で家族療法学会があった時に、初めて講演をお聞きして、すごいな、と感心した記憶があります。

 それまで学会などには背を向けていたのですが、本当にすごい人がいるんだな、と思い、その後、いくつかの学会に顔を出すきっかけをつくってくださいました(西園さん、ありがとうございます)。

 それから何度かお話をお聞きしたり、本を読ませていただいて、勉強をさせてもらっていますが、その堅実な理論と豊富な症例には本当に感心させられます。

 それは本書でも同様で、症例の豊富さには本当に驚かされますし、多少の失敗場面をもきちんとご紹介してくださる正直さには頭が下がります。

 この点は土居健郎さんや藤山直樹さんなどにも共通をしますが、失敗場面をきちんと提示して、そこから学ぶ姿勢は、みなさんすごいと思いますし、見習いたい点です。

 その他に印象に残った点としては、やはり、心理療法においては、いま、ここでのやりとりを、感情をこもった体験として行なうことの大切さということ。

 その際に、できればユーモアを伴うことができればないよい、ということなどが述べられていて、いつも思っていることではありますが、再確認をしました。

 さらに、今回気づいたのが、作業療法の大切さに触れている点。

 頭だけでなく、手を使い、足を運び、体を動かすことの重要さを述べられていて、精神科デイケアでの実践や援助の学びになります。

 大家からいろいろと大切なことを再び学び直し、少し勇気をいただいて、さらに学んでいきたいと思いました。     (2019.4 記)

 

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藤山直樹『続・精神分析という営み』2010・岩崎学術出版社-その2・「甘え」と秘密をめぐって

2024年03月26日 | 精神分析に学ぶ

 2022年夏のブログです

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 藤山直樹さんの『続・精神分析という営み』(2010・岩崎学術出版社)を久しぶりに再読しました。

 今回もいろいろなことが勉強になりました。

 特に今回、じーじが参考になったことは、「甘え」と秘密の関係と、自由連想についての考察。

 いずれも鋭いです。

 秘密の問題については、精神分析でいろいろな方が論じていますが、今回、藤山さんは、「はにかみ」と「甘え」いう現象を取り上げて説明をします。

 そして、おとなになるためには秘密が必要であり、それが「甘え」や「はにかみ」の世界に包まれるような関係が大切といいます(それで合っていると思うのですが、間違っていたら、ごめんなさい)。

 一方、自由連想。

 藤山さんは、自由連想は、単に自由に連想をすること、ではなく、自由に連想をしたことを語ること、に意味があるといいます。

 そして、患者さんが治療者に連想を語ることの一方、治療者は連想したことのすべてを語らず、もの想いすることの重要性を説きます。

 改めて、そう指摘をされると、本当に大事な点だな、と思います。

 まだまだ勉強不足で拙い理解だとは思いますが、さらに勉強を深めていきたいと思います。     (2022.8 記)

 

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藤山直樹『続・精神分析という営み』2010・岩崎学術出版社-その1・投影同一化と正直さをめぐって

2024年03月25日 | 精神分析に学ぶ

 たぶん2012年ころのブログです

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 藤山直樹さんの『続・精神分析という営み』(2010・岩崎学術出版社)を再読しました。

 この本も何回か読んでいるのですが、じーじの理解不足もあって、リポートをするのがなかなか難しい本で、結局、読んでみてください、いい本ですし、すごい本です、としか言えないような感じもします。

 しかし、それではブログになりませんので、とりあえず、今回、じーじが印象に残ったことを一つ、二つ、書いてみます。

 この本の中では、解釈や自由連想、遊び、反復強迫、物語など、精神分析におけるいろいろな技法や現象の問題が論じられているのですが、じーじが一番印象に残ったのは、投影同一化の問題です。

 投影同一化は精神分析では重要なテーマですが、説明がなかなか難しい現象です。

 じーじの理解も十分ではありませんが、簡単にいうと、患者さんが治療者に自己の問題を無意識に投影して、治療者が動きの取れないような心理的状態になることを言います(これで合っているのかな?)。

 そして、その困難な状況に治療者がなんとか耐えているうちに、事態が打開するというふうに、現在の精神分析では論じられています。

 そして、この本の藤山さんの論文では、いろいろな技法や現象の説明のところにかなり投影同一化が顔を出しているような気がします。

 この理論的にも、技法的にもとても難しい現象を、藤山さんは相当に苦労しつつも、しかし、なんとか打開をして、そのうえで、そこでの転移・逆転移を説明されています。

 これは初学者にはとても勉強になります。

 初学者の場合、何が起こっているのか、よくわからないままに事態が推移してしまうことが多いと思います。

 それをわかりやすく説明してもらえるのは、すごく勉強になります。

 さらに、藤山さんの、事例での正直さはすごいです。

 それは、プロセスノートについての論文でも明確ですが、わからないものをわからない、と言う正直さと勇気が、やはり大切なんだな、と考えさせられます。

 ともすると、わたしたちは格好よくしたがりがちですが、臨床では他の大家もそうですが、正直さが勝負のようです。

 さらに謙虚に学び、実践をしていこうと思います。     (2012?記)

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 2023年秋の追記です

 わからないものをわからない、と言う正直さと勇気、というところは、わからないことに耐えることの大切さ、に通じそうですね。   (2023.10 記)

 

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