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(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ボンバーガール(豊丸、権利物)

2017-08-03 17:10:28 | 権利モノ




1993年(平成5年)に豊丸から登場した「ボンバーガール」
(新要件・3回権利物)


★赤色ブロック(ドット)デジタル採用

★賞球:7&15

★大当り確率:
・通常時:1/310
・2,3回目権利中:1/31※
(※メーカー発表値。但し、内部確率はさらに高いハズ)

★デジタル停止順:左⇒中⇒右

★図柄:
・左、中デジ⇒0~9の数字(10図柄)
・右デジ⇒0~9の数字と、オールマイティの「H」(11図柄)

★大当り図柄:
000~999のゾロ目。左・中ゾロ目+右デジHでもOK
(計20通り)

★出玉:3回権利消化で約6500~7000個

★意図的な連チャン:無し

★当時の主な設置店
新宿・西口「アラジン」など

★ゲーム性
(1)左肩スルー通過orヘソ入賞でメインデジタル変動
(2)000~999のゾロ目(右デジHでも可)停止で当選
(3)ヘソ下の電チューが5.8秒開放
(4)電チュー2個以上入賞で権利発生
(5)権利発生後は右打ちに切り替える
(6)右上回転体と右下アタッカーの連動で出玉増(16R)
(7)2,3回目権利時はデジタル超高確率、すぐ当たる。




今思えば、ずいぶんと盤面イラストのインパクトが強い台だったな…。


いわゆる「セクシー路線」のデザインだが、当時多く出回ったその系統の
機種の中でも、1、2を争うお色気度ではなかっただろうか。ただ、女性の
顔の造作が私の好みとかけ離れていたのが、個人的に残念な点ではあった。


本機の始動チャッカーは左肩とヘソの2か所。ヘソに入れば7個の賞球が
得られたが、さほど入賞率は良くなかった。メインの始動チャッカーは
左肩の方だ。コチラはスルーで戻しがない為、投資スピードは速かった。
まぁ、当時の権利モノといえば、戻し無しが当たり前とも言えたが…。


左と中の図柄は0~9の10個しかないので、表面上のリーチ確率は1/10。
ただ、内部的にはもう少し低かった印象も残る。また、右デジタルには
オールマイティー図柄の「H」が配されており、000、111などの他に、
33H、55Hなどでも大当りとなる。必然的に、右デジにはチャンスが
2回あって興奮度もアップするが、あくまでも表面上のものにすぎず、
実際は普通にハズれまくった。リーチアクションはシンプル。ロング、
スーパーの類は一切ない。左・中テンパイで右デジが速度を落として
暫く進むだけである。


デジタルが揃ってもすぐ大当りとはならず、ヘソ下の電チューが開放、
ここに2個以上入賞させるのが条件。電チューに入った1個目の玉は、
電チュー下の権利発生ヤクモノの右側(OUT穴)に流れて、2つ目が
左側(LUCKY穴)へと向かう仕組み。したがって、電チュー1個入賞
では権利発生とならないが、その場合も、救済措置としてデジタルの
確率が大幅にアップする為、パンクに泣かされる事はなかった。


2、3回目の権利時、表向きはデジタル確率が10倍アップの1/31と
されていたが、実際は1/5~1/6くらいの超・高確率で抽選されて
いたと思われる(詳細な解析資料が手元にない為、実戦時の挙動で
判断せざるを得ない)。権利中のハマリによる打ち込みの心配など
皆無に近く、3回権利消化時の出玉も6500~7000発と多かった。


攻略に関しては、導入当初は特段の噂も無かったが、設置開始から
数か月すると「永久連チャン打法が可能」との話題が持ち上がった。
3回目の権利中、1~14Rまで普通に右打ちで消化。15Rは回転体に
玉が乗った瞬間に打ち出し停止。アタッカーが開いたら、2、3発
打ち出してノーカウントエラー回避(この時、回転体に玉が乗って
しまうと、15~16Rの間に行う攻略手順が使えなくなるので失敗)。
アタッカー入賞を確認したら通常打ちに戻して、デジタルを回す。
3回目権利中はデジタルが超高確率なので、リーチが掛かった瞬間、
大当りを見越してすかさず右打ち、最終16Rを消化する。消化後に
運よくデジタルが揃ったら通常打ちに戻して、ヘソ下の電チューに
玉を2個入れればダブル成功…となる訳だ。さらに、このネタとは
別に、3回目の権利獲得後、右打ちをせずにデジタルを回し続ける
攻略法も存在。この時、デジタルが再度揃って電チューに2個以上
入れるとパンクとなるが、内部では1回目の権利が終わった状態と
なり、高確率状態が2回分残るので、実質的に連チャン獲得という
ものであった。理論的には、運さえ良ければ永久連チャン可能な
攻略法だが、残念なことに私が上記手順を知った時には設置店が
既に見当らず、一度も試す機会がなかった…。



そうそう、当時「ボンバーガール(BOMBER GIRL)」といえば、
前年の1992年に織田哲郎がリリースしたソウルフルなナンバーが
有名だが(近藤房之助も参加)、本機も大当りになると、あの曲と
しか思えないノリノリのBGMが流れてきて楽しかったな。同じ頃、
豊丸は爆裂連チャンの一般電役「ヤングマン」も登場させていて、
妙に歌謡曲チックな名前の台が続いた格好だ。



(豊丸「ボンバーガール」の項、了)